熊本一の繁華街である通町から北に続く通りである。江戸時代には武家屋敷であった地域であり、二丁目以北はアーケードはなく、緩やかな坂と平成2年に植えられた街路樹が並んでいる。「並木坂」はその植樹の際に名付けられたものである。
熊本一の繁華街である通町から北に続く通りである。江戸時代には武家屋敷であった地域であり、二丁目以北はアーケードはなく、緩やかな坂と平成2年に植えられた街路樹が並んでいる。「並木坂」はその植樹の際に名付けられたものである。
昭和51年(1976)に開館した、「福岡市民図書館」の後継として、平成8年に開館した、SRC造、地上5階、延床面積24.369㎡,収蔵能力200万点を擁する、福岡を代表する図書館である。館内には国際資料部門があり、アジア地域の図書資料、映画フィルムを収集し、定期的に館内映像ホール(256席)でフィルム上映をしている。その他、中国研究者より寄贈された、魯迅・毛沢東等の研究資料を有する「竹内實文庫」がある。
開館時間は10:00から18:00(休日は~19:00)であり、市内に福岡市文学館(赤煉瓦文学館)を含む、9館の分館がある。
今は緩やかな弧を描いている帯川も、改修されるまでは、細い水路が紆余曲折する川であった。昭和24年(1949)までは、この写真の付近で南東方向に川道が逸れ、隣の谷川町の段丘を下り、古豊川の跡に流れる松原用水に流れ込んでいた。然し、増水の際に用水のある下郷(したごう)と呼ばれる低地が洪水となるため、既に豊川海軍工廠建設のため改修されていた佐奈川に付け替えられた。ここにある桜は、そのとき植えられたものである。
熊本駅北側、花岡山麓の北岡地区に向かった。鹿児島線に沿って九州新幹線の建設工事が進み、北岡付近では「北岡公園橋梁」が築造されていた。この橋の下は、北岡公園及び細川家墓所となっているが、墓所の修繕及び調査が行われており、立ち入ることができなかった。(花岡山)
(九州新幹線建設事業)
(北岡公園橋梁)
鹿児島線を挟んで北岡神社が鎮座する。承平四年(934)肥後国司藤原保昌によって京都八坂神社より勧請されたものという。当初は白川沿いの二本松(熊本駅南東側)にあったが、明治17年(1884)現在地に遷座している。
このときは朔日であったため、絶え間なく参拝者が訪れ、この地の人々の信仰心を感じとることができた。
(熊本市西区記事:くまもと森都心 路電熊本平成二十一年 くまもと森都心プラザ A列車で行こう 路電熊本平成二十七年 北岡神社 妙解寺跡 熊本駅平成二十一年)
(舞鶴城 石城 福岡市中央区 国指定史跡 日本100名城85番)
市民に親しまれている大濠公園、舞鶴公園のある福岡城に向かった。
慶長六年(1607)黒田孝高(如水)、長政によって、それまでの名島城(福岡市東区)から、警固村福崎(福岡市中央区)に新たに城が築かれ、黒田家縁の備前国福岡(岡山県瀬戸内市長船町福岡)の地名をとって福岡と改めたという。黒田氏が廃藩まで十二代藩主を務めた。往時は、四十七の櫓が存在したといい、一時は天守も存在したという説がある。また、城が築かれる以前の遺跡、平安時代の外交施設、鴻臚館(こうろかん)跡が、昭和62年(1987)に三の丸跡付近から検出されている。これら遺跡や遺構を基に、「舞鶴城址将来構想」が提唱されている。
(不審火修復により櫓門に戻された下の橋大手門と潮見櫓(県文)(旧母里太兵衛邸長屋門:県文)
(名島門:旧名島城門:市文)
一旦宿泊先に向かった後、夕刻の水前寺公園へと足を運んだ。
成趣園は、寛永十三年(1636)熊本藩主細川忠利が築かせた水前寺御茶屋が始まりという。阿蘇伏流水を利用した池を取り巻く回遊式庭園であり、東海道中の景勝地を模している。然し、年々周辺が市街地化しており、背後の眺めが悪くなっているといえる。また、明治10年(1877)の西南戦争によって荒廃した水前寺公園に、翌年の明治11年、出水(いずみ)神社が創建され、細川藤孝以来細川家十柱と細川忠興室である玉(ガラシャ夫人)を祀っている。
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今年も身近な春の川を訪れた。「例年より色が淡いね」という人々の言葉が気になりながら川縁を歩いたが、私にはそう感じなかった。代わりに、今年は不景気なためか、例年より花見客の数は多いように感じた。
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(関連記事:佐奈川の春平成二十年)
明治42年(1909)建築家辰野金吾が設計した、煉瓦造、地上二階地下一階、塔屋付、建築面積282㎡の建物である。昭和44年(1969)福岡市に譲渡され、福岡市歴史資料館となり、平成6年からは福岡市民図書館(福岡市総合図書館)文学資料室の分館として、福岡市赤煉瓦文化館(福岡市文学館)となっている。
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大正13年(1922)に建造された、RC造4階建塔屋付、建築面積208㎡の事務所ビルである。
私は当初、このビルの存在を知らなかったが、その異彩さから、歴史のある建物と即座に感じとることができた。
開発進む渡辺通から北に歩を進め、福岡市役所に立ち寄り、市役所北別館6階にあるURCに向かった。
九州は他のアジア地域に近く、その中心地である福岡に財団法人福岡アジア都市研究所は設けられている。
都市政策資料室は、アジア地域の都市政策関係資料、調査研究報告書、行政資料を収集し、約4万点を所蔵、一般に公開している。
開館は月曜日から金曜日の10時から17時、貸出は5冊までで期間は2週間であり、利用者の地域制限はない。