(日蓮宗経栄山題経寺 東京都葛飾区柴又)
門前町の突き当たりは帝釈天である。寛永六年(1629)に創建したこの寺は、安永八年(1779)本堂修理の際に行方不明になっていた日蓮が刻んだという帝釈天の板本尊が発見され、その日が庚申の日であったため、その日を縁日とし、以後帝釈天という呼び名で広まったという。
(長野県南安曇郡穂高町 2002年4月17日)
北アルプスから湧き出る豊富な水は、そこかしこで音を奏で流れる。その清澄な水で色鮮やかな山葵が栽培され、犀川、高瀬川、穂高川等の水色のナチュラルカラーが視野一杯に広がる。
常盤橋跡
(長野県南安曇郡穂高町 2002年4月17日)
安曇野に建つ、教会を想わす煉瓦造りの建物は、この地出身の彫刻家荻原碌山(ろくざん 1879-1910)の作品を展示するために昭和33年(1958)に設けられた、RC造2階建塔屋付、延床面積129m2の施設である。
(曹洞宗吉祥山東光寺 長野県南安曇郡穂高町等々力 2002年4月17日)
「東龍寺」を近隣北城から移築し、「東光寺」と改めた等々力家の前にある同寺の山門前には、朱塗りの大きな下駄がある。これは山門の仁王の履く下駄と例えられ、参拝者が履くと願いが叶うとされている。
(長野県南安曇郡穂高町 2002年4月13日)
北アルプスを背にする千国街道(塩の道)保高宿には、多くの双体道祖神が佇んでいる。また、その中の一体には、昭和50年(1975)NHK連続テレビ小説「水色の時」撮影時に製作された道祖神(トップ写真)が残されている。
(千葉街道 東京都墨田区錦糸町)
墨田区の最大市街地である錦糸町は、隣の江東区亀戸と合わせ東京七副都心の一つに挙げられている。錦糸堀(置行堀:おいてけぼり)が地名由来とされ、江戸時代以降それら堀による水運で栄えた。
(王子街道 東京都荒川区日暮里)
かつては新堀(にいほり)と呼ばれたこの地は、享保年間に「一日中過ごしても飽きない里」という意味を持つ日暮里の字が当てられ、読みも「にっぽり」となった。今は鉄道交通の要衝として賑わっている。
(天台宗護国山尊重院天王寺 東京都台東区谷中)
谷中霊園の一角にある寺院である。鎌倉時代後期、日蓮がこの地の領主関長耀(ながてる)の館に宿泊した際、長耀が日蓮に帰依して庵を結んだことに始まるという。当初は日蓮宗長耀山感応寺であったが、日蓮宗が法華信者以外からは布施を受けず、また他宗派の僧には布施を施さないという不受不施派に属していたため、幕府より邪宗として改宗を命ぜられ、元禄十一年(1698)天台宗に改宗され、寺号も改称された。境内には寛政三年(1791)に再建された五重塔があったが、昭和32年(1957)放火により焼失し、現在は礎石と、一部焼け残った木材を利用した毘沙門堂が建立されている。
(愛知県犬山市入鹿 2002年3月2日)
明治村に面する寛永十年(1633)に竣工した溜池である。五条川の途中に築かれ、灌漑(かんがい:供給)面積は1,358ha,満水面積152.1ha,貯水量,16,810,863m3,堤高7.0m,堤長120mである。