(愛知県蒲郡市 2007年4月30日)
国道247号線(名古屋半田豊橋線)の未開通区間である蒲郡中央バイパス西側の工事が始まった。都市計画が制定されてから半世紀以上経過し、東海道新幹線等バイパスが通過できるように設計されているが、国道23号線と共用する星越バイパス区間開通から36年の歳月がかかっている。
(京都市左京区北白川)
明治23年(1890)に竣工した、琵琶湖疎水の白川分線である。蹴上で本線から分流し、南禅寺水路閣、哲学の道、白川を経て、高野川、賀茂川を渡り、清水頭(上京区)に至る8,390mの水路である。
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(愛知県蒲郡市神ノ郷町壱丁田 2007年4月30日)
天正十二年(1584)織田信長に仕えた加藤直喜が帰農して神ノ郷村殿市場に住み、若宮神社を創建した。寛文二年(1662)直喜の曾孫秀喜が現在地に遷座している。また、宝暦六年(1756)領主松平兵庫が一石を寄進している。
(京都市左京区北白川西町)
志賀越道から白川通に入る付け根に、鎌倉時代中期に造立されたという大きな石仏がある。天正十四年(1586)豊臣秀吉が平安京の大内裏に築かれた聚楽第に、この石仏を庭に運び入れた。然し、石仏が鳴動したため元に戻したと伝わる。天明八年(1788)拾遺都名所図会にも「稀代の大像」として紹介されている。
(岐阜県高山市堀端町 2007年4月27日)
明治11年(1878)高山城三の丸跡に伊勢神宮より天照皇大神の分祀と飛騨地方の神道関係者、公務員殉職者、地域功労者の霊を祀り、中教院飛騨大神宮として創立したのが始まりである。明治42年(1909)靖国神社より日清日露戦争の戦没者を分霊して合祀し、飛騨招魂社となった。昭和14年(1939)内務省令により飛騨護國神社と改称されている。
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(京都市左京区吉田神楽岡町 旧官幣中社 国指定重要文化財 府指定有形文化財)
貞観元年(859)公家である藤原山蔭(ふじわらのやまかげ)が春日大社から祭神四柱を勧請したのが始まりという。鎌倉時代から明治維新まで代々、公家の卜部氏(うらべ:後に吉田氏と改姓、吉田兼好を輩出)が神職を務めた。境内末社として、藤原山蔭を祀る山蔭神社があり、山蔭は四条流庖丁道の創始者であるため料理の神と称されている。また、菓子の神とされる田道間守(たじまもり:三宅氏祖)を祀る菓祖神社も鎮座する。
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(岐阜県高山市 2007年4月27日)
昭和45年(1970)に開通した奥飛騨観光開発のロープウェイである。新穂高温泉駅から鍋平高原駅の第1ロープウェイ間573mと、しらかば平駅から西穂高口駅間2,598mの第2ロープウェイからなる。平成10年(1998)からは第2ロープウェイに2階建てのゴンドラが導入された。
(京都市左京区吉田本町)
大正3年(1914)京都帝国大学文学部陳列館(建物現存)として開設されたことに始まる。昭和34年(1959)文学部博物館と改称され、平成9年(1997)総合博物館となり、従来の文学部の垣根を越えている。
(京都市左京区吉田本町)
法経済学部本館 昭和8年(1933) RC造4階
文学部陳列館 大正3年(1914)国有形 煉瓦造2階、延床面積1,464m2
時計台 大正14年(1925) RC造2階地下1階、延床面積5,279m2
法経済学部本館 昭和8年(1933) RC造4階
旧石油化学室本館 明治22年(1889) 煉瓦造2階
尊攘堂 明治36年(1906)国有形 尊王攘夷活動をした品川弥二郎の没後に、関係資料と建設資金を寄付
文学部陳列館 大正3年(1914)国有形 煉瓦造2階、延床面積1,464m2
(岐阜県高山市一之宮町 2007年4月26日)
富山湾に注ぐ神通川の上流宮川は、下呂市との境、分水嶺である標高1,625mの川上岳より発する。名の由来は、川沿いに鎮座する飛騨国一宮水無神社に由来する。
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