(青森県弘前市上白銀町 国登録有形文化財 2012年5月8日)
実業家であり日本商工会議所会頭も務めた藤田謙一が、大正8年(1918)郷里である弘前に別邸を建てる際に造園したものである。園内総面積は21800㎡(6600坪)であり、高さ13mの崖を挟んで高所が居宅と洋風庭園で、低所が池泉回遊式の日本庭園となっている。敷地内には別邸の居宅であった洋館と、岩木山麓の農牧場開拓のために建てられた開発事業事務所の煉瓦倉庫、昭和36年(1961)に藤田本宅を移築した昭和12年(1937)築の和館がある。昭和21年(1946)の藤田の没後、弘前相互銀行倶楽部として使用され、昭和62年(1987)には市制施行百周年記念事業の一環として弘前市が買収して藤田記念庭園として開園された。
多摩川に架かる主要地方道2号東京丸子横浜線(中原街道)の橋である。現在の橋は平成12年(2000)に築造された二代目で、全長406m,幅25mのローゼ橋である。










(小牧空港 愛知県西春日井郡豊山町・小牧市・春日井市・名古屋市北区 2012年5月8日)
国管理空港時代の平成6年(1994)4月26日に発生した中華航空着陸失敗の際に近隣を訪れていたことを思い出す。平成17年(2005)中部国際空港開港を機に、愛知県に移管された。


(愛媛県今治市登畑 2012年8月14日)
霊仙山麓、富田川(頓田川)に面するこの地に、三宅川永昌入道越智通常(みやがわえいしょうにゅうどうおちみちつね)は館を構えた。通常は最初、先祖からの領地である伊勢国宮川(三重県伊勢市)を領していたが、永禄十二年(1569)一条兼定の招きに応じて土佐国赤岡・岸本(高知県香南市)に転じ、長宗我部元親と戦ったが戦い利なく敗退し、越智・河野姓時代からの所縁の地である伊予国越智郡登畑に転じて館を構えた。天正十年(1582)生涯異端であった通常は安芸竹原(広島県竹原市)で討死し、子の通安(常安)はその父の生涯から武門を捨て、父の亡骸をこの地に埋葬、祖先からの菩提を弔うため天祐寺を建立した。
(愛媛県今治市 2012年8月14日)
標高841mの五葉が森より発し、瀬戸内海燧灘に注ぐ、全長14kmの二級河川であるが、天井川(周辺地より川床が高い河川)であるため、度々氾濫し、特に富田地区に大きな被害をもたらすことがあった。頓田川は、その富田地区を流れる富田川が訛ったものである。

















































