(浄土真宗亀甲山方得院成福寺 神奈川県鎌倉市小袋谷)
鎌倉幕府三代執権北条泰時の子、出家した泰次(成仏)によって天台宗の寺院として創建したが、泰次が親鸞の教えに従い、貞永元年(1232)鎌倉唯一の浄土真宗に改宗している。
山門 旧鎌倉郡山崎村奥平氏屋敷門
(愛知県宝飯郡一宮町西原字岡ノ上 2000年9月4日)
金剛谷城跡に建つ曹洞宗金剛寺境内にある、笠付角柱型の庚申塔である。二鶏と三猿が彫られ、青面金剛の右手持物は矛、弓、不明。左持物は宝輪、矢、剣であり、元禄二年(1689)の造立である。
聖観音
(神奈川県鎌倉市山ノ内)
横須賀線北鎌倉駅下り側ホーム外側に素掘りのトンネルがある。正式名は市道434-046号線北鎌倉隧道であり、昭和2年(1927)横須賀線北鎌倉駅設置に伴い、利便性を図るため開削されたものである。平成27年、市の地質調査により崩落の危険があると判断され、通行禁止となった。同時に横須賀線に接するこの山裾部分を撤去し、車両が通行できる道路とする計画が浮上した。然し、市民らによる保存運動が持ち上がり、市は現状を維持する形で補強する計画に変更した。
小袋谷側の隧道
(臨済宗福源山明月院 神奈川県鎌倉市山ノ内 国指定史跡)
明月川を遡ると明月院に達する。かつての鎌倉らしいとされるこの辺りは、流れる川の水が聞こえる程の静かなところである。康元元年(1256)北条時頼によって創建された最明寺が後に荒廃し、康暦二年(1380)足利氏満の命により関東管領を務めた上杉憲方によって禅興寺(明治初年に廃寺)として中興され、その塔頭(たっちゅう:境内末寺)として明月院は創建したとされる。境内には鎌倉十井の一つである瓶ノ井(つるべのい)や、北条時頼の宝篋印塔、鎌倉最大とされる「やぐら」(鎌倉地方特有の横穴式納骨窟)がある。
北条時頼廟と伝時頼宝篋印塔
開山堂とやぐら
伝上杉憲方宝篋印塔のある羅漢洞やぐら
(愛知県宝飯郡一宮町豊津字神ノ木 2000年9月1日)
私の兄弟子が住職を務めるこの寺には、文政元年(1818)の聖観音と元禄十五年(1702)の青面金剛と三猿の彫られた庚申塔がある。
左手、日輪、蛇、右手、月輪、剣、三州八名郡日下部村結衆等敬白
(天竜浜名湖鉄道 静岡県掛川市 2000年8月24日)
とある資格を取得することになり、掛川から1.8kmの西掛川まで天浜線を利用することになった。1.5km地点には、掛川城三の丸から移転した市役所の最寄りの駅、掛川市役所前駅が平成8年に開業した。