(広島県竹原市 重要伝統的建造物群保存地区 都市景観100選)
竹原港から竹原の駅前に辿り着く。駅前は少し懐かしい中小都市の商店街といった感じであった。駅前から右手奥、北東方向に向かうと、古い町並みが現れる。
竹原は、奈良時代に都宇郷(つうごう)と呼ばれ、旧山陽道都宇駅が置かれた。平安時代には、京都賀茂御祖神社の荘園となり、鎌倉・室町時代は、小早川氏の所領となった。江戸時代に入り、慶安三年(1650)になると海岸に入浜式塩田をつくり、その繁栄によって現在の町並みが形成された。現在でも北は上市の照蓮寺から、南は下市の地蔵堂まで、江戸時代中期以降の町家が残され、安芸の小京都と呼ばれている。
(地蔵堂)
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(杵築大社 出雲国一宮 島根県出雲市大社町東杵築 式内社 旧官幣大社 国宝 重要文化財)
出雲市駅を降り、バスで大社町に向かった。大社は第十一代垂仁天皇時代に創建されたという。祭神は大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)を祀る。かつては高さ八丈から三十二丈(24m~96m)の神殿があったと伝わっている。
(祖霊社)
(神楽殿)
(十九社 「神在月」に各地の神々が宿るところ)
(平成の大遷宮普請)
(氏社)
(筑紫社)
(発掘調査)
(寛文六年(1666)毛利綱広の寄進 銅鳥居)
(東京都港区赤坂)
平成12年まで防衛庁本庁舎・檜町庁舎であったこの地を再開発し、平成19年に完成した業務・商業・住宅施設である。54階建248mのミッドタウン・タワーと、30階建108mのザ・パーク・レジデンシィス・アット・ザ・リッツ・カールトン東京、25階建114mのミッドタウン・イースト、13階建67mのミッドタウン・ウェスト、9階建48mのガーデンサイドからなる。
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(OAP 大阪市北区天満橋)
平成2年から13年にかけて、土壌汚染で問題になった三菱金属大阪精錬所跡の5haを開発した、業務・商業・住宅施設である。4棟の高層ビル「OAPタワーズ」があり、39階建オフィス棟(OAPタワー176m,延床面積144405㎡)、24階建ホテル棟(帝国ホテル大阪117m,延床面積66212㎡)、30階建住宅棟2棟(レジデンスタワー東西館106m,延床面積71683㎡)及び低層の商業施設(帝国ホテルプラザ等)からなる。
(レジデンスタワー)
(大川(旧淀川)) (生駒山方面)
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(第一東海自動車道豊橋本線検札所 愛知県豊橋市賀茂町)
昭和63年(1988)東名高速に面する小照山を開削して設置された検札所である。サービスエリアにおいて通行券を交換して、不正通行が相次いだために設けされたが、ETCの普及とコスト削減により平成19年(2007)をもって廃止された。車線上の検札施設及び管理棟等は撤去されたが、車線脇のゲート基礎はそのまま残されている。
(京都市左京区・東山区)
岡崎公園から南下すると、やがて白川に出会う。白川は、比叡白川山より発し、琵琶湖疎水の水量調整を果たしながら鴨川に注ぐ川である。他の地域の白川同様、石英を含む砂利により白く見える川、白川と名付けられたという。
(あいだがわ・はざまがわ 愛知県豊橋市・豊川市 一級河川)
この川も、とよがわ同様に私にとって、馴染み深い川である。新城市富岡の吉祥山南麓より発し、豊川市三上町でとよがわに注ぐ川である。上流部は四ッ谷川と呼ばれ、豊橋市石巻西川町付近から沖積平野を流れる。昭和30年代まで、下流部の豊橋市賀茂町付近では狭い流路が紆余曲折していたため、氾濫が多かった。大規模な河川改修により直線化され、氾濫はなくなった。旧流路の痕跡は、賀茂菖蒲園や栗八名川等でみることができる。