(北海道上川振興局)
標高1,920mの十勝岳連峰上ホロカメットク山より発し、石狩川に注ぐ延長195kmの一級河川である。名の由来は、ソー(滝)・ラプチ(重なる)・ペッ(川)というように、滝の多い川を意味する。
(北海道富良野市)
北海道の臍(へそ)にあたる富良野を訪れた。旧来からアイヌの生活圏であったが、明治29年(1896)富良野原野殖民地区画により福岡県から中村千幹(ちから)らが入植し、開拓が行われた。以降農業が盛んとなり、ワインやチーズ等の特産品も産出している。前述の地理的要因により開始された北海へそ祭りや、テレビドラマ北の国からの舞台となったこと等により観光客が増加したが、過疎化により街自体の力が衰えたため、近年ではルーバン・フラノ構想により市街地にフラノマルシェを開業させる等、策を昂じている。富良野の由来は、アイヌ語でフーラ(匂い)・ヌ(嗅ぐ)・イ(ところ)を表し、活火山である十勝岳の臭気を意味するという。
(底原川 沖縄県石垣市宮良 2012年12月25日)
旱魃が多かった石垣島において、宮良川流域灌漑計画により、昭和57年(1982)に工事が開始され平成4年(1992)に竣工した、面積1.38km2,総貯水量13,000千m3の人造湖である。
(北海道空知郡中富良野町宮町)
中富良野は大正時代に腸チフスが流行したため、それまでの川の水の飲み水から井戸掘削及び湧水の水利用へと転換した。この用水池もその一つであるが、アルミニウムを含んでいるため、特に曇天の日には水が青く見えるという。
(沖縄県石垣市川平 2012年12月25日)
17世紀中葉、港で風待ちをしていた船に乗っていた小僧が川平に上陸し、暫くして港に戻ると船はいなくなっていた。小僧は嘆き悲しみ、船が戻るよう祈ったところ、北風が吹き船が戻り乗ることができた。小僧は和尚となり、祈ったこの場所に観音堂を建てたのだという。
(長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢 DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築033 2012年8月19日)
昭和10年(1935)イギリス人司祭ウォードによって献堂され、建築家アントニン・レーモンドによって設計された。