京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

笑ふてくらそ

2024年08月01日 | 日々の暮らしの中で
娘はまだ夏の暑さが残る8月中旬に生まれた。
湯上りなどには体中にぱたぱた白い粉をはたいて、あせも予防をしていたのを思いだしていた。

   天瓜粉ところきらはず打たれけり 日野草城
まさに〈天花粉まみれの赤ん坊〉だったなあとクスッとした笑いがもれる。

黄烏瓜(天瓜)の根からとった澱粉の汗取り粉は、汗しらずとも言ったのだったか。
誕生祝いのカードの全ての締めに、「笑ふてくらそ ふふふふふ」と書き添えておいた。



「一緒に住んでる人間の顔色を見、いつも上機嫌で居らせてやりたい、ト。ブーとむくれた顔をさせるまい、ト。そのことに心くだいて一生送る、これは人間の一番大切な仕事と違いますか? こんなリッパな、人間の仕事、ないのんちゃいますか? それで一生過ぎたら、ええこっちゃありませんか。そうすることが、つまりは自分のたのしみ、自分の生き甲斐になるんやったら、
ええ人生やありませんか。」
  と田辺聖子さん。

今朝 八月朔日。
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特大プレゼントって…

2024年07月30日 | 日々の暮らしの中で

そよともしない青田。

       七月の大べら坊に暑さかな   一茶

(暦の違いはあるが)まったくまったく、「べらぼう」に「大」の字がつく毎日の暑さ。

24日に西本願寺で雨宿りし、帰宅途中に折りたたみ傘では凌げないほどの雨脚の強さでずぶ濡れになった。まったくもって〈着ながらせんだくしたり夏の雨  一茶〉状態だった。
この日は夜に入っても激しい雷雨が続いた。けれどそれからは雨知らずの酷暑が続く。
午前中は風の通り道を見つけてわが身を移動するも、午後にはエアコンに頼ることになる。




娘の誕生日のために買い求めるには種類がなくて(これでもいいか)という思いで選びはしたが、何か…イマイチ、だけどユニーク?
考えに考えて二日が過ぎて、明日には出したいのだけれど未だにこれといいうアイディアが浮かばない。
私(母)から娘へ、特大のプレゼントを贈りたい。モノではなくて言葉をリボン付きの箱に収めたい。
遺言めいたらまずいじゃない。相手はまだまだ子育て中の“おかあさん”。うーん、だけど花のいのちは短い???

と、エアコンの効いた部屋で考えながら、数枚の写真も選んでみたのだけれど…。
こてこてにならんよう、されどハッピーさも添えて。

お使いに出たついでに中古書店に立ち寄れば、たいていなにがしかの出会いがある。
柳美里著『JR上野駅公園口』。
今までも何度か手に取っては書棚にもどしていたが、やっぱり読んでみようと手に入れた。申し訳ないような値段で。
「出会い頭にいろいろな人と出会い、その衝撃で自分の枠が壊れて何かが流れ込んでくる瞬間、そこから物語が始まる」
どなたが書かれたか忘れたが、こんな書評に目を通したことがあって、これが誘い水に。





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分身の術

2024年07月28日 | 日々の暮らしの中で
「分身の術」って、英訳すると a ninja replication technique となるらしい。



「いったいどれがきみのほんとのすがた。」
「ほんとのすがたなんてないわよ。」
― 『バケルくん』 藤子・F・不二雄

宇宙人から、鼻のスイッチを押すと、押した人の魂が移って、動いたりしゃべったりできるたくさんの人形を託されたカワル少年。
人形ごとに話し方や能力まで変わるのを見て、カワルが宇宙人に問う。
幼年誌で連載されたSFギャグだが、バーチャル空間において複数のアバターを持つことが普通になった現代、示唆に富む言葉だ。

これは「漫画のフキダシ」(伊藤遊)という地元紙での連載コラムからで、6/6付にあった。


私たちが生きる社会は、一つではない。ある意味さまざまな貌をもって、見過ぎ世過ぎして生きている。どれが嘘でどれがホントということではない。
養老猛司氏がなにかで書いておられた。
「今の自分とは違った自分に変わることで、一つきりの人生を何回も生きられる。人生は、自分を変えることができればできるほど豊かになる」


あまり小難しく考えない。忍者好きの(と勝手に思っているだけかもしれないが)娘の夫の誕生日に向けてカードを選んでみた。
封を開けたとき喜びを分かち合えるように、読んで、見て楽しくなるようにと思った心遣いを少しでも察してもらえたら、遠く離れていてもお互いの気持ちも近づいて人生ハッピーに生きられる…のじゃない?
メッセージも書き終えて、裏には笑いがふきだすか、悲鳴が先か、とっておきの一枚も貼り付けておいた。

彼の5日後は娘の誕生日。一日二日ずらして送ろうと思っている。8.9.10.11月と毎月誰かの誕生日が続く。やれやれ、楽しいことだわ。
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クニオ・バンプルーセン

2024年07月26日 | こんな本も読んでみた
クニオは父のジョン・バンㇷ゚ルーセンと母の真知子と3人で、横田基地の家族住宅で暮らしていた。日本で生まれたが学校も基地内だったから外の世界を知らない。
クニオが小学生のときベトナム戦争は終結した。

父は、ニッケルと呼ばれた複座式戦闘機のパイロットだった。その任務は、アメリカ軍の攻撃を自在にするために北側の地対空ミサイルの囮(おとり)になることで、一つ間違えば撃墜される運命にあった。だからジョンの生還は奇跡に等しいものだった。
ニッケルは5セント硬貨のことで、安い命を意味した。
(初めて知ることだった)


日本文学の繊細さに目覚めたクニオ。日本の大学への編入学を希望し、将来の夢を語るなど家族団欒を過ごした夜遅く、父のジョンは拳銃で自殺した。

「生きるか死ぬかの最中には生きようとした男が、命を賭ける必要もないときにあっさり死を選んでしまった。愛妻がそばにいたというのに人はわからない」


クニオは母と二人で日本へ帰って、学んだ。父の死をめぐっては小説にして考えたいと思ったが、執筆の夢はいったん置いて出版社に仕事を得た。
文学から文学へ、本から本へ、編集者として生きた歳月に、予期せぬ病魔が襲う。
病を得た晩年、小説の冒頭の一行を「なけなしの命の滴り」で生んで、ようやく文章が流れ始めるのだった。

〈書き出しの苦悩は、一編の主題を見いだすための苦心でもある。書き出しの文章に苦心するのと、作品の主題をつかむ難しさは同じであり…、どう出発するかという作者の態度に関している〉
佐伯一麦氏が書かれていたことばが重なる(『月を見あげて』)。

あとの推敲、手直し、書き継ぎ、すべてを任せられる人がいた。彼女には「アニー・バンㇷ゚ルーセン」と名乗ってほしいと望んだ。
最期を迎える静かな描写が胸に沁み、深い余韻の中に引き留められる。何度も読み返していた。


作者の文章論、文学論、作家論が随所に読めるのはいつものことで好みではあるのだけれど、
なぜかな、今回ちょっと鼻についた。
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遊び心も七変化

2024年07月24日 | こんなところ訪ねて

ただ一心にうたがいなく、弥陀をたのむ心の一念で名号をとなえることを、
ただ阿弥陀さまにおまかせして「南無阿弥陀仏」と唱えることを、
浄土真宗中興の祖・蓮如上人は言われた。

阿弥陀仏を帰依された親鸞聖人の教えを信じ、おまかせし念仏するのみ。形にとらわれず、〈教え〉こそが尊い…。
名号をとなえることを第一に、仏像など〈形〉にこだわらないとなるとバリエーションは豊富になる。

新聞紙上でも紹介されたが、このあたりをしっかり拝見してみようと西本願寺の向かいにある龍谷ミュージアムに行ってみることにした。
「衣装に!?」      名号の中に、地獄や極楽が描き込まれた「六字名号曼荼羅」
  

大工道具や仏具・楽器を組み合わせて描いた「番匠器名号」「仏具楽器名号」名号もあった。
「番匠器名号」は四天王寺の番匠堂に立つ幟に見られるという。

誰が考え付いたのか、遊び心ともいえるユニークさ。各人の好みによる自由な信仰の姿をうかがわせてもらった。

向かいの西本願寺にお参りして帰ろうと寄ったまではよかったが、何が炸裂したのかというほどの雷鳴とともにすさまじい勢いで雨が降り出した。


西本願寺は埋め木だらけということを思い出し、
  



ハートに魚が泳ぎ、ひょうたん? 堂内のケヤキの柱に、縁側の床に、富士山、軍配、扇など
縁起物が多くあるという。

接着剤を使わないでいて緩むことがない工夫がなされる。― 表側の面より少し広くした奥側をたたいて縮ませてからはめ込むと、元の形に膨らんで抜けなくなるという。修復に、木の性質を熟知した大工さんの遊び心と腕の見せ所、だそうな。

雨も上がって帰りを急いだ。もうあと5分もあれば家というところで折りたたみの雨傘を
取り出したが、再びの雷雨に襲われどぼどぼに。
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音して開く蓮の花

2024年07月22日 | 日々の暮らしの中で
   朝露に
   音して開く白蓮は
   み仏の声
   御陀の声

ずうっと昔、昔に、寺の掲示板で見かけた。


寂聴さんは21歳のとき、夫の赴任地の北京で新婚生活を送っていた。宿舎に近い什刹海(シージャハイ)の湖畔に、夫と赤ん坊と三人で蓮の花をよく眺めに行ったという。
「蓮は開くとき、ポンと音を出しているんだよ」
「なにも聞こえない…」
「だろう? …でもこの辺りの老人たちは…」
「聞こえた! ほら、…ため息みたいな声」
「そんなはずないよ、蓮に声なんかないよ」

今卒寿になって、と寂聴さんの話は続く。
浄土の蓮の花は車輪のように大きく白や赤、青、黄と華やかで、それぞれの色の光を放っているとお経ではいう。
〈もしかしたら、その花の開くとき、それぞれの霊妙な音を発するのではないでしょうか〉(『花のいのち』「蓮の声」)。


冷泉貴美子さんもやっぱり〈花は夏の朝早く、ポンと開き夜閉じます〉と、連載コラム『四季の言の葉』で書かれていた。

誰しも一度聴いてみたいと思うのではないだろうか。
なかなか聞くことができなくて何度も足を運んでいるうちに、死のうと思い詰めた人間の心に生きる力が灯った。花が開くときにポンと妙音をたてるというのは「美しい噓」だった、と澤田ふじ子さんは短編を紡いだ(『花暦』収 「蓮見舟」)。


荷風は枯れて破れた葉が広がる風景が好きだったようだ。
ひからびた茎の上に破れた蓮の葉がゆらゆらと動く。葉の重さに堪えず、長い茎の真中から折れてしまったりもする。
〈揺れては融合ふ破蓮(やれはす)の間からは、殆んど聞き取れぬ程低く弱い、燃し云はれぬ情趣を含んだ響きが伝へられる〉(『曇天』)

枯蓮の風景を思い描くとき、なんやら少し、一瞬なりと体温が下がった気がした。
涼し気に、涼しく過ごすには、なんなりと工夫しなくちゃ。

蓮を見たり思ったりしているとき、仏教圏の国に育ったわたしたちが生死について何も考えていないということはない。これにはうなづけるけれど、蓮見の舟に乗り合わせて極楽浄土へとばかりでも、涼しさを通り越してしまいそう…。

盆月も近い。
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寄り合うことを楽しむ

2024年07月19日 | 日々の暮らしの中で
明日は尼講さんが寄り合って、住職の読経とお話のあと、一緒に昼のお膳を囲んでひとときを過ごします。
基本的に月に一度。ただ8月の盆月はお休みとしているので、予定通りお汁を炊くことになりました。

お花も立て替えたし、先ほど本堂に座卓のテーブルを4つ、阿弥陀さまに向かって正面に2つ、両サイドに一つずつ、コの字の形で並べてきた。
外へ出てみると、左下が幾分欠けてはいるが大きなお月さんが上がっていた。


当番の組が大勢で寄るよりも、高齢者メンバーの中でも“若め”代表の選ばれし2人と私を含めた3人で、なんとか手際よく進めてしまおうと決めたのは、とにかく暑いからです。

「仏さんに」と持ち寄ってくださった野菜もそろい、明日は生き仏の口に入ります。
お汁の具を切りさえすれば、おくどさんに火を入れて炊くだけ。
それぞれに味自慢のお漬け物を小鉢に盛り分けるくらいのことは、きっとどなたかがしてくれるので、おまかせです。
いつものように、お汁と漬け物と、…?で。白米は持参です。が、万が一のために我が家で炊いておきます。

こうしたお膳を囲むにも、当番さんの働きはもちろんのこと、野菜を提供くださる方々の日ごろの丹精などがあってのことを思います。

私の父も祖母に連れられてお講さんでお汁をよばれたことがあった、と何度か聞かされていたことがふと思い出されました。
この本堂のどこかに、子供だった父が座っていたのです。

何十年と、100年のようにもなるのか、代々のご門徒の女人たちによって営まれてきたお講さん。さほど濃い宗教色はなく、〈寄り合うことを楽しむ〉といった色合いが強い。
人と人がつながる、関わり合える場になればよいと私は思っています。


とは言っても、ともに大きな船に乗り合わせたもの同士…の信仰の原点はひそんでいるのでしょう。
互いに生かし生かされて…。
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12の人生

2024年07月17日 | こんな本も読んでみた
芥川の作品集や『掌の小説』(川端康成)の中から時おりランダムに読み返すことはあるけれど、どちらかと言えば好まないということもあって、進んで短編小説を読むことは本当にまれだと思っている。
そんな中で、ずいぶんかかったけれど澤田ふじ子さんの『花暦 - 花にかかわる十二の短編』を大満足の中で読み終えた。


一編ごとに、ヒロインの日々の営みの中で花が深い関わりを持ち、運命さえも変えていく展開を見せる。

限られた紙面(原稿用紙13枚だとか)の中で、歴史や風土、文化、人情にも触れた12の人生を見せられながら、澤田ふじ子が描く世界のつながりの色濃さが、読後の満足感となったようだ。
もちろん構成の巧みさも大きい。
ひとつ読み終えるたびに、(おぉー!)(いい!)(巧いなー!!)と唸った。
久々に短編の妙味を味わった気がしている。

無駄を省いた端正な文章。語り過ぎない中で、繊細な思いが込められている。
とりわけ結末部分については、語られない行間に感動が生まれる。

〈いいたいことすべて書く必要はありません。
 短い文章で書き尽くせば(言い尽くせば)よいのです〉
乙川勇三郎氏の作品にあった一節だが、改めて心に刻みなおしたい。


空が暗くなって一雨あったりしたが、そろそろ梅雨明けになるのだろうか。
花茎を伸ばしハゼランの花が咲きだして、葉陰にはこんな茶っぽい小さな蛙が2匹姿を見せるようになった。

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「またね」と

2024年07月15日 | 日々の暮らしの中で
今夜21時45分の便で日本を離れ、ブリスベン空港へと直行です。
今年に入って直行便が再開されました。

昨日、名古屋のお身内のところで過ごしていたK*Rさんと合流。今日は大阪に住む親友2人が関空まで見送りに来てくれているとのこと。

 

帰りを待つ弟たちや両親へのお土産を用意して、スーツケースも手荷物もパンパン! 
無事に少しでも早く親元へと思うとき、直行便があることは本当にありがたい。

姿が無くなり家の中にぽっかりとした空間が生まれ、寂しさを感じている。
別れたあと、もう一度も二度も名残を惜しむのだろう。

どんな話をしたんだったっけ?
なにに笑い転げたのだったかな?
どういうことを喜んでいたんだったか…。
そういえば、大学の来期の選択科目を登録していた。
難しそうだね…、でも面白そうだと(よくわからないままに)応援。
そうやって一歩一歩、自身の人生の方向づけをしていくんだよね、と話したっけ。

こうしてJessieとの思い出を心に深くとどめつつ、一区切りつけよう。
日々担う自分の務めを果たし、できるだけいそいそと、まめやかに生きていくとしよう。

   一日をゆっくり見つめ
   ゆっくり書いて
   ゆっくり生きて                高木護



「またね」と送信した。
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モンキーパーク 檻の中には

2024年07月11日 | こんなところ訪ねて
「嵐山のところにあるモンキーパーク、知ってる?」
昨年11月末にやって来た時からこう口にしていた孫娘でした。
あのときは「この寒いのに」とかわしたものの今回まで「この暑いのに」とばかり言ってもおられず、昨日彼女の希望をかなえようと嵐山モンキーパークに行ってみたのです。



渡月橋、さらに小橋を南に渡って右折、この道歩くの初めてです。


階段を上って入園料を払い、ミストで涼んでから、ぐるぐる回りこむように続くかなりの急坂を登って登って、途中「まだぁ!?」と幾度も思いながらマイペースを心がけて登り切りました。
(この程度ならまだ十分自分にも歩けるわ)なんて、根拠があるのかないのか自信も取り戻しましたがね。




標高160mとありました、いわたやま。
下りてくるのは外国のひとばっかり。登りで前後するのも、下り道で上がって来る人たちも、外国人ばかりです。小学生ぐらいの子供たちもいます。
入り口近くで浴衣姿の女性二人とすれ違いましたが、あんな格好ではさぞや大汗かいて厳しい山登りになったことだろうと思うのです。
登っては下りる、この循環が絶えることなく続くいわた山。
嵐山駅周辺の混雑はこの日も相当なものでしたが、モンキーパークがこんなに人気の観光地だとは初めて知ることになりました。
帰りの嵐電も、乗っている日本人は私一人かと思うほど。

園内、それほどお猿さんの姿を見かけませんでしたが、餌をやるのは休憩所の中からだけでという指定です。


人間が囲い・檻に入って外のお猿さんにエサやりする。おかしな構図だね、と写真を添付してLINEで娘家族と笑うのでした。


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竹生島 “マダムアイランド”と言って

2024年07月06日 | こんなところ訪ねて
冬休み中の孫娘はこの1日に京都へとやってきました。同行の友人は名古屋のお身内のところへ。一緒に帰国する二人は、その前日14日に大阪で合流です。


梅雨の晴れ間となった3日。前夜から予定して竹生島へと向かった。
かつて、竹生島には弁財天が祀られていることを話したことがあって(’17.1)、そのとき彼女は竹生島を“マダムアイランド”などと名付けたりしていた。ところが今ではそんなことこれっぽっちも記憶にもないのだそうな。



わずか35分ほどの乗船だが、島へと向かう前方、もやった周囲の山並みの上空に渡岸寺の、赤後寺の観音さまの姿が現れたら!?…などと想像しながら風景を眺めていた。
どうしたって、あの満月の夜のシーンが思い浮かぶのだった。

一番水深が深いとされる竹生島付近でのボート転覆事故で、娘を喪った父親(架山)と、息子を喪った父親(大三浦)が湖岸の十一面観音を巡礼することで、その悲しみを昇華させていく話が井上靖の『星と祭り』で描かれている。
子供たちが眠っている場所に二人が貸しボートを出したのは、事件から8年を経た満月の夜。

【 湖北の中でも、一番北の善龍寺の十一面観音さまが、その左手に海津の宗正寺の観音さま、
右手には医王寺の観音さま。
そして鶏足寺の観音さま、渡岸寺の観音さま、充満寺の観音さま、赤後寺の観音さま、知善寺の観音さまが、さらに長命寺、福林寺、蓮長寺、円満寺、盛安寺、園城寺、衆生来迎寺と、
寺々の十一面観音像が次々に姿を現し、すくっと立ち並ぶ 】

「もがり」の本質を見たようでもあり、物語のこのラストは印象深く忘れられない。今では実際に拝観した観音像も多くあって、二人連れながら一人物思いに馳せる、そんな時間も生まれた。

現実はー。


行基による開創で、弁財天が祀られる宝厳寺本堂 

Jessieはしきりにスマホのカメラを向け、時には父親に中継。
「ダディは絶対あの階段上れへんと思う」と言っている。

宝厳寺渡廊

秀吉の御座船の部材で建てられたという伝承があって、〈舟廊下〉と呼ばれている

急斜面に舞台づくりで建つ



湖北路をめぐるウォーキングツアーに参加して、葛籠尾崎の山中から眼下に望んだ竹生島(2013.7.16)


車窓から湖東平野の緑の青田に目を奪われ、安土風土記の丘、彦根城など遠望し、居眠りする間もなく二人旅を楽しんだ良い一日でした。
今日は大阪に住まいしていたときの親友と過ごすために泊りがけで出かけていきました。



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蛸に八手

2024年06月29日 | こんなところ訪ねて
新京極の通りに面して蛸薬師(浄瑠璃山永福寺)があります。


何度かは線香のくすぶりの向こうでお参りしたことがありましたが、注意深くあたりをキョロキョロ…。と、本堂はこの奥、といった張り紙に気づき、初めて脇から奥まで進んでみました。

「蛸薬師」の名の由来は、
「親孝行な僧善光が病気の母の願いに応え、戒律に背き蛸を買って帰るとき、人に見とがめられ進退に窮した。薬師如来に念ずると蛸が経巻に変わり、母の病気も全治した霊験から」で、
坂井輝久氏は、ここに「京童」の駄洒落のような句〈たむけなば八手(やつで)の花や蛸薬師〉を添えている(「京近江 名所句巡り」)。


京都で出版された仮名草子で、最初の名所記となったのが中川喜雲の「京童(きょうわらべ)」。
随所に古歌が引用され、喜雲自身も歌や俳句を読んだそうだ。
蛸と八手。…そうか、駄洒落か、と読んでいたので、覗いてみようという気になった。
果たして果たして、奥へ進む途中に鉢植えの小さなヤツデが植わっていた。

本格的な観光旅行が始まった江戸時代には、「名所」-などころ・歌枕名所ーから次第に歌枕に関係のない旧跡や霊地まで、さまざまに和歌や俳句を拝借し、漢詩や挿絵にと名所を楽しむ工夫が凝らされたという。
蛸に八手、より印象深く風趣も増す?


澤田ふじ子さんの『闇の絵巻』がとてもよかったので、もう一冊と思い『花暦 花にかかわる十二の短編』を手に入れてきた。
八手の花は載っていないけれど。
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絵に魂を込めるなら

2024年06月26日 | こんな本も読んでみた

浅井長政の家臣・海北善右衛門綱親の3男として1533年、近江国坂田郡に生まれた友松。
家督を継いだ長兄は、友松13歳のときに東福寺に入れた。

中国の毛利氏の外交僧として活躍する安国寺恵瓊、生涯の友となる明智光秀重臣の斎藤内蔵助利三との出会い。
光秀、信長。永徳。

「武士は美しくなければならない」- 生き方がいかにすぐれているか。
「美しいだけの絵が何になろう。絵はおのれの魂を磨くために描くものではないのか」
群雄割拠する時代。いつか還俗して武士として生きたい。そう思いながらできぬまま「人がこの世に生を享けるのは何ごとかをなすため」、自分のすることは何だろうと問い続け生きてきた。

法華宗を〈安土宗論〉で裏切った信長。「法華の蜘蛛の巣に捕らわれることになりましょう」
歴史の展開を知っているだけに、信長の正室・帰蝶が言い放った言葉は私に先を読みせかした。
〈本能寺の変〉の後、友松は建仁寺の下間三の間に、八面の襖の中に対峙する阿吽二形の双龍を描いて、この世を救った正義の武人、明智光秀と斎藤内蔵助の魂を留め置いた。

墨一色で描きながらも華やかな色彩を感じさせる(如兼五彩- 墨は五彩を兼ねる)〈松に孔雀図〉など、すさまじいまでの気迫が込められた画風の世界を繰り広げていった。

「絵とはひとの魂をこめるものでもあると思い至りました。この世は力のあるものが勝ちますが、たとえどれほどの力があろうとも、ひとの魂を変えることはできません。絵に魂を込めるなら、力あるものが滅びた後も魂は生き続けます。たとえ、どのような大きな力でも変えることができなかった魂を、後の世のひとは見ることになりましょう」

「人としてのよき香を残す」。恵瓊は言い残して去った。
「ひとはなさねばならぬ生き甲斐を持っておれば、齢のことなど忘れてよいのではありますまいか」
60を過ぎて20代の清月と出会い、子をなした友松。これは清月の言葉。
晩年は風雅の交わりを好むようになったそうで、悠々自適の暮らしの中で絵を描き続けたという。

巻末の澤田瞳子さんによる解説で、この作品が上梓されて10カ月後に葉室氏は急逝されたことを知る。読了したばかりで、まだ様々な言葉が自分の内に収まっていないのだが、葉室さんは、小説の中で生き方の模索を主人公たちに託して描いてみせてくれた。

龍の絵を観て心安らぐような私ではないが、いつだったか海北友松の展覧会をやり過ごしたのを残念に思い出しながら、それもしかたないこと、何ごとも個々に合った時期があるのだと思う。
                             ※  /27 少し加筆しました
      
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ホールドオーバーズ

2024年06月24日 | 映画・観劇

「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ」を観てきた。

1970-71年にかけて、ニューイングランドにある全寮制のバートン校を舞台に、家族とともに迎えるはずの休暇(クリスマス、新年)を、それぞれの事情で居残ることになった3人が心を通わせていく。

生徒から嫌われている古代史の教師ポール。
トラブルメーカーのアンガス。
息子をベトナム戦争で亡くした学校の料理長メアリー。


言ってはいけない、思いやりを欠く指摘を面と向かって言い合う。
なんで。知りたいのはそれが何に起因しているのかということだった。
それぞれに心の奥底に沈黙したままの言葉を持つ。事に触発されては殻が破られ、少しずつこころの内があきらかになってくる。

3人の年齢がいくつであろうと関係なく、他者の心を汲んで、思いを深めていく。
これからの三様の人生に、わずかな希望を感じさせられ、ポール先生ではないが私もアンガスに“You can do it.”と言葉をかけたくなった。

人と人が心でつながる。これって人間が克ち得た知恵だろうか。
〈人の心はつかめないが、心を汲むことはできる〉って、どなたかの言葉だったか。あたたかいものに満たされた。
もう一度観てもいい。Jessieといけたらいいけどなあ…。



いまだ音沙汰なしの孫娘。彼女不在の残留組〈The Holdovers〉は今日、
家族4人“小さな遊園地”で遊んできたという。

 
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韓国3日目の夜

2024年06月22日 | 日々の暮らしの中で

梅雨入りのなか、咲き始めた色の鮮やかさは気持ちを晴らすような活力にあふれる。


オーストラリアで暮らす孫たち、男組二人は今日から2週間の冬休みに入ったという。
長女のJessieはすでに休暇中で、お隣の韓国で3日目の夜を迎えている。
友人と二人で20日の朝発って、夜には無事韓国入りした。

2007年。この年は最初の新居を建築中で、そのため3月30日から3カ月半ほど日本に滞在した。彼女には2度目の日本だが、1歳8か月になっていた6月に一緒に韓国に行ったのだった。覚えてはいない、ってのも仕方ないか。
雨のソウルだった。


「どうしてる?」「お天気はどう?雨?」
 ひと言ことばを聞きたいけれど、楽しんでいるところにお邪魔するのは控えた。

たとえわずかな日数であれ、どのような目的での旅行であっても、初めて親元を離れた異国での体験は、一粒の宝物となっていくことだろう。
25日には東京に入るので、早く、早く(日本へ)と待ちわびる思い、無きにしも非ず。
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