京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

「人」と「すみか」と

2008年08月16日 | 日々の暮らしの中で
見事な月明かりを感じ、窓をあけた。高く昇った月に心奪われ拝んだのは、午前0時半過ぎごろのこと。気持のよい、ヒヤッとした空気を感じる夜でした。

今朝からは少し雲行きが怪しく、午後、雨のぱらつきもありましたから、送り火のことが気にかかります。
家の前でおがらや藁を焚いて、祖霊が迷うことなくあの世へたどり着くように道を照らしてやるのだという「送り火」。
この大がかりなものが「五山の送り火」ということになるわけです。
私の家では、送り火も、もちろんお盆初日に迎え火を焚くこともありませんので、家々のそうした慣習を実際目にしたことなく過ごしています。

小学生だった夏休み、まだ周囲に家は少なかったようで、「妙」の送り火を伯母の家の玄関先から見ていた記憶があります。
長じては、高野方面へ出かけ東山の如意ヶ岳の「大」、そして「妙」・「法」と 伯父・伯母の3人で眺めもした。
軍隊時代に身に付いたのか否か、闊歩する伯父ともよく下鴨神社へ散歩したものです。

いろいろな思い出を抱え込んでくれていた家の“跡地”には、短い草が生え出していました。
まあなんと気ぜわしく事が運ばれてしまっていたことでしょう。
悲しいものです、実際何の跡形もなくなっている現状は。
池のはたには松、こけが。釣り好きのおじが集めた石。四季を楽しんだ木々……。
あの辺りにはもうすぐ斑入りのススキが…。
呆然とした思いで立っていました。まさに「夢の跡」。

いま、『方丈記』を思い出しています。あの冒頭の名文。

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたる例なし。世中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし。
  (中略)
その、主と栖と、無常を争うさま、いはゞあさがほの露に異ならず。或は露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。或は花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕を待つ事なし。

「無常」とは闘うものではなく“受け入れる”ものだという。

時間通りに点火。
船にちゃんと乗れましたか?西方浄土まで、迷うことなく帰り着きましたか?

また来年ですね、懐かしい人たち......。

実際は残暑厳しいものの、そうした中でも秋の気配を感じ取り、深まりゆく季節を体感していくことになる。

コメント (2)
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