
周山街道を車で、栂尾山高山寺(とがのおざん こうさんじ)を訪れました。



紀州有田郡で生まれた明恵上人は34歳のとき後鳥羽院から栂尾の地を賜り、60歳でこの地で入滅。学問所として賜った建物が石水院で、8畳2間の院内では岩上の松に座る明恵上人像、身近に置いて大切にしたという木彫りの狗児、母と慕い、その前で自ら右耳を切ったと言われる仏眼仏母像、鳥獣人物戯画…等々多くの文化財を(レプリカで)拝見。御廟から金堂へとあがっていく石組みもお見事です。



大空も見えず若葉の奥深し 北 枝

苔むした石段に木漏れ日がさす。木々の若葉が目に鮮やか。何よりの御馳走を心ゆくまで味わってあとにしました。何度でも歩いてみたい、あまり手入れが行き届いていない「あるがまま」の世界文化遺産登録の古寺です。