暑さ負けしないかと少しの不安もあったが、なぜかとても行ってみたく思った高雄山神護寺。
気分もしゃっきりするのではないか。気持ちを引き締めたい。そんな思いがどこかにあるのか。昼を済ませて車で向かった。5月に明恵上人ゆかりの栂尾山高山寺を参拝した折に利用した市営駐車場は紅葉のシーズンを外せば無料だと茶店の女性から聞いていたので、今回もそこに車を止めることにした。来た道を少し戻ると清滝川沿いに出る道があって、西明寺、神護寺へと続くハイキングコースになっている。川遊びに興じる人たちの姿を見ながら気持ちのよい道を歩いた。


清滝川にかかる丹塗りの高雄橋を渡って、参道入口からはなかなか上りごたえのある石段道が続いた。息が切れるし汗は流れるしで一休みしては、息を整える。まだかいなと思って見上げた先にようやく楼門が目に入った。前を歩く人がいる。
楼門をくぐると境内は一気に視界が広がった。書院の庭に咲く百日紅の花が塀越しに眺められた。




空海自ら「納涼房」と名付け、ここで住まいされていたと伝わる大師堂。そして、これまたみごとな石段を上がったところに建つ金堂のご本尊は大日如来ではなく薬師如来立像で、和気清麻呂が建立した神願寺の本尊が受け継がれているためだそうだ。内陣への立ち入りが許されていたので間近で拝観した。和気一族に招かれ、最澄も空海も入山していたという。空海は東寺の前にここで14年を過ごしたとか。寺伝によれば平安時代以来何度もの災害や兵火でほとんどの堂宇を焼失しているとある。


たくさんの人が清滝川で遊んでいたが、山内ですれ違った人は10人にも満たない。そして僧侶も金堂の内部に若い方が二人きり。なんて人が少ないのだろう。聞こえるのは蝉しぐれのみ。楼門をくぐり境内に足を踏み入れたとたん、世相から解き放たれたような空間にほっとする思いがわいた。今は整えられた美観に、戦争とは無縁のような別天地。流れる風も別世界。木陰になった石段に腰を下ろし、忘我のようなひと時を過ごした。これを求めていたのかもしれない、と得心。

気分もしゃっきりするのではないか。気持ちを引き締めたい。そんな思いがどこかにあるのか。昼を済ませて車で向かった。5月に明恵上人ゆかりの栂尾山高山寺を参拝した折に利用した市営駐車場は紅葉のシーズンを外せば無料だと茶店の女性から聞いていたので、今回もそこに車を止めることにした。来た道を少し戻ると清滝川沿いに出る道があって、西明寺、神護寺へと続くハイキングコースになっている。川遊びに興じる人たちの姿を見ながら気持ちのよい道を歩いた。


清滝川にかかる丹塗りの高雄橋を渡って、参道入口からはなかなか上りごたえのある石段道が続いた。息が切れるし汗は流れるしで一休みしては、息を整える。まだかいなと思って見上げた先にようやく楼門が目に入った。前を歩く人がいる。
楼門をくぐると境内は一気に視界が広がった。書院の庭に咲く百日紅の花が塀越しに眺められた。




空海自ら「納涼房」と名付け、ここで住まいされていたと伝わる大師堂。そして、これまたみごとな石段を上がったところに建つ金堂のご本尊は大日如来ではなく薬師如来立像で、和気清麻呂が建立した神願寺の本尊が受け継がれているためだそうだ。内陣への立ち入りが許されていたので間近で拝観した。和気一族に招かれ、最澄も空海も入山していたという。空海は東寺の前にここで14年を過ごしたとか。寺伝によれば平安時代以来何度もの災害や兵火でほとんどの堂宇を焼失しているとある。


たくさんの人が清滝川で遊んでいたが、山内ですれ違った人は10人にも満たない。そして僧侶も金堂の内部に若い方が二人きり。なんて人が少ないのだろう。聞こえるのは蝉しぐれのみ。楼門をくぐり境内に足を踏み入れたとたん、世相から解き放たれたような空間にほっとする思いがわいた。今は整えられた美観に、戦争とは無縁のような別天地。流れる風も別世界。木陰になった石段に腰を下ろし、忘我のようなひと時を過ごした。これを求めていたのかもしれない、と得心。
