京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

雨中の送り火

2016年08月16日 | 日々の暮らしの中で

どうしたわけか、体がだるくて日中何度もごろんと横になることが多い日だった。今夏、初めて昼寝をした。
今日も夕立がありそうな気配を感じていたが、午後遅くになって、やはり降った。でも、降ったのを知らずに小一時間ほど眠ってしまったようだ。

谷川俊太郎さんに「昼寝」と題した短いエッセイがある。
「優雅で品のいい言葉で」「それにふさわしいしつらえが必要」、「二十歳そこそこの青二才に許すわけにはいかない」とする「午睡」とは使い分けているのだが、「昼寝とはまたなんと快いことばだろう」とその文章は始まる。
【昼食後、眠気という現実に打ち負かされ、気持ちはベッド、あるいはふとんの方に向いているのだが、その気持ちの底には一抹の後ろめたさもひそんでいて、それが昼寝に欠くことのできない隠し味だ】というようなことを言われていたのは心に残っている一節ではあった。のだったが…、朝から体のだるさを持て余しごろんごろん。その先は、だれに遠慮がいるものかと…。ひと眠り後もポツポツと雨は残っていた。

だらしのない?私の昼寝話はともかく、今夜8時から点火されて始まる「五山の送り火」が気になった。
夜に入って雨はいっそう激しさを増していた。テレビ中継を見ていた。
ビニールシートに守られた火床。親火に点火され炎が立ち上がる。直前まで覆われた各火床のビニールシートが外され、松明に火がともされる。
「。。。準備はいいかー?」大声で確認し合う声。松明がかかげられ、各火床は一斉に点火! そして一斉に般若心経が唱えられる。

          

火床はここが最多で108つ。鳥居の脚の部分は45度以上の傾斜面に火床が設けられていて、松明を持った若者が点火のために走るのだそうだ。その様子が映像からうかがえた。

この火が消える頃、ふもとの寺では題目踊りや六歳念仏が演じられ、地域のお盆の伝統行事は継承されていくことを解説者が伝えていた。
何やら急に静かな宵になったと感じるのは気のせい?? 感性の問題だろう。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする