京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

みたらい渓谷ハイキング

2016年11月16日 | こんなところ訪ねて
朝からの好天気に恵まれた先週末の12日(土)、奈良県吉野の山奥にある天川村みたらい渓谷のハイキングを楽しんできた。
こうしたツアーに参加するのは2013年7月以来で、しかも今回は、孫娘Jessieと連れだっての一日だった。


天川川合バス停付近で下車。実はここから3.2キロの位置に天河大辨財天社はあるらしい。だが、渓谷ハイキングが目的の今日は、村内唯一だという信号を渡って、車道を南下するコースでスタートとなる。ようやく訪れた天川村行きの機会、行ってみたい思いが強かっただけにここまで来て、と残念。

この社、2011年9月の紀伊半島を襲った豪雨によって周辺が土石流に埋まるという甚大な被害を受けていた。(当時は、熊野古道を歩くツアーに参加していたときで、9月の回は中止となり、また、孫のTyler誕生の年でもあって、記憶は様々に重なってくる)
この災害の直後、 - 【天河大辨財天社の宝物館で600年間、再び甦る日を待ちながら眠り続けた能面の「阿古父尉」に復活の機会が訪れた。2年後の2013年に創立30周年を迎える東京の国立能楽堂が、その記念行事として梅原猛氏に新作能の捜索を依頼し、梅原氏はその主題として世阿弥と元雅の悲話を選んだ。その際、舞台で「阿古父尉」を使いたいと天河神社の宮司に申し入れた】、と。
そして、当代随一の能面打見市泰男によって面の復活が始まる。モノを作るのではない。神事とともにその過程が記録された映画、「地球交響曲 第八番」を見たのが昨年の事だった。



戦後間もない頃、白洲正子さんは古い能面を探してあてどもなくこの付近をうろついていた。近くの天川村役場も訪れていて、古びた弁天様の社で、ミカン箱様のものに押し込められていた能面や装束の中から「尉」を発見したときは「涙もこぼれんばかりに感動した」、と書いている。(『夕顔』収)



Jessieの後方を歩きながら、「石ころの上に乗ると危ないからね」「落ち葉の上は滑るから気を付けてよ!」「ちょっと休もう」などとたえず声をかけ、7.4キロの行程を完歩。ゴールは洞川温泉。


大人と同じペースで歩きとおした11歳。水分補給も上手にしていたし、初めてのトレッキングシューズの感覚も良かったようで、「また行きたい」の言葉が聞けた。楽しんでくれたんだ。誘ってみてよかった。私自身もこの子を誘うことで3年ぶりに新たな一歩を踏み出した。

コメント (8)
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