今朝なんのひょうしにだったか「2月5日」という日付けを目にして、今日が西村賢太さんの祥月命日であったことに気づきました。
氏の芥川受賞作品『苦役列車』を読んだとき、その内容はともかく「この文体好きだ」と感じた思いは、後に読んだ『誰もいない文学館』でも同じように感じたものです。
肉声を聞いてこなかった私は、時折「人生に、文学を」のなかで語る氏の言葉に耳を傾けることがあり、こちらのNHK ETV特集「魂を継ぐもの〜破滅の無頼派・西村賢太〜」」からも、氏の心象に想像を巡らせていたのです。
決して熱心なファンではないし、読んだ作品は2作のみ。それでも何か引かれてきた。どうしてこう引かれるのか。稀有な方だ。
ことばの使い方、作家としての姿勢、文学観、他人との関わり方…、にこだわりの強さを感じ、ときにはその言葉の激しさ、汚さには偏見さえ感じたが、同時に同じ思いをそこに見いだす自分がいたりもする。
1月上旬に三条駅ビル内のブックオフで目にして即買いした『雨滴は続く』。
2016年から「文學界」に連載してきたものが、連載最終回の執筆途中に著者が急逝、未完の遺作となった。2022年2月5日、54歳で亡くなり、3回忌を前に早くも文庫化されている。
【2004年の暮れ、北町貫多は同人雑誌「煉炭」に発表した小説が〈同人雑誌優秀作〉に選出され、純文学雑誌「文豪界」に転載された。これは誰からも
認められることがなかった37年の貫多の人生において、味わったことのない昂揚だった。
次いで、購談社の編集者から30枚の小説を依頼される。貫多にとって純文学雑誌に小説を発表することは、29歳のときから私淑してきた不遇の私小説作家・藤澤清造の“歿後弟子”たる資格を得るために必要なことであった。
しかし、年が明けても小説に手を付ける気にはなれなかった。貫多に沸き起こった、恋人を得たいとの欲求が、それどころではない気持ちにさせるのだ。
1月29日、恒例の「清造忌」を挙行すべく能登を訪れた貫多は、取材に来た若い新聞記者・葛山久子の、余りにも好みの容姿に一目ぼれをしてしまう。・・・】
小説は、貫多の作品が芥川賞候補になるところで終わっている(らしい)。
巻末にヒロイン葛山久子さんによる特別原稿が収められている。
葛山さんが書かれていた。
「・・・取材のお礼として、後日いただいたお手紙が、あまりにも繊細で、きれいな文体だったため、『この文章にもっと触れたい』と思い、お返事を書きました。それから細々と続けた文通は、もう17年になります」
「自分に自信のないところ、それを必死に隠そうとしているところ、口下手なところ、排他的なくせに寂しがり屋なところは、私ととても良く似ているような気がします。出会うべくして出会ったような気もします」
投げ出そうかという気持ちも半分生じかけていたが、読み切ろうと改めて思った。
容易なことではありませんよね。
探し探してお墓を見つけ出されたとか。
考えようによっては幸せだったかも?
私から見ればハチャメチャ人生にに思えます。
私にはない没入できるものがおありで羨ましいとも
思えます。
藤沢清造の「根津権現裏」との出会いが間違いなく自分の人生を変え、私小説を書くことに向かったようです。
社会の底辺で何一つ満たされるものもない惨めな男の物語が、自分の最強の援軍となったと。
お墓も七尾で、清造さんの横で眠っておられるようですよ。
「雨滴・・」の表紙はお墓でした。
私も去年初めて西村賢太さんを知り
(何かきっかけがあったのですが、よく覚えていなく)
「二度はゆけぬ町の地図」
「苦役列車」
この2冊を読みました。
ほんとうに赤裸々に自分の心を表現されていました。
私の周辺では読んでいる人がいなくて、話題を共有できないで来ました。
「赤裸々に…」、最初はそれにちょっとうんざり。
小汚さを覚えて、嫌悪感を抱いたことも覚えています。
『文豪ばかりが作家じゃないと、いつか教えてくれた人たち』があるようです。
こんなふうに生きた人がいたことが、何か忘れ難い存在になっています。
「2月5日」と「西村賢太」とが結びついたきっかけがあったのですが、
それが何だったのか思い出せないのです。その日の朝なのに(笑)
メモ書きを見て、どこから引っ張り出したものなのかが思い出せなかったり、
あるあるなのです、このごろやけに。
だから偉そうなことは言えませんが、西村賢太はフォークナーから大分刺激を受けたらしいですね。
フォークナーは好きで(というか、南部ゴシックが)時々読んでいます。
私は無頼派というと、坂口安吾と色川武大を思い出します。
西村賢太の人生も波瀾万丈でしたね。
フォークナーの影響をご指摘いただけるとは、思ってもいない? 知らずにいたことでした。
ありがとうございます。
藤沢清造、葛西善三、田中英光に北条民雄に…、西村さんが愛した作家の作品が収められたものを
書店で見かけましたが、高くて手が出ませんでした。
私はこうした方々ばかりに関心が向いていました。
インタビューや対談では(例えば詩とか)一切興味もないと口にすることが多いけれど、
その場の雰囲気で適当に述べていること。自身の筆によるもの以外の場で、
いちいち馬鹿正直に本音はもらさない。
などと書くようなお方。よく知りもしない方ではありますが、なんかちょっと引かれるのです(笑)
コメントありがとうございます。