大学入学共通テストを迎え、また高校受験を控えて中・高生は欠席となるので本堂脇の玄関座敷に場所を移し、いつも通りに寺子屋エッセイサロンは開かれた。お隣さんがすぐ近くという近距離で、何かいつもより真剣な?深い合評会になり得た気がする。
今朝新聞に掲載された問題に目を通してみたが、問題文を読むにも根気が要る。解答してみようという気にもならない。それでもいくつか解いてみた。
努力を重ねてきたことを心の軸にして、がんばったことだろう。
入試に通ろうと落ちようが(大学進学に限らずだが)、与えられた環境をどう生かすかは、数学者・森毅さんの言葉を借りるなら「すべては本人のカイショの問題」ということになる。
一生懸命に〈ゆとり〉をもって、と森さん、何かに書かれていた。
西鶴の盲目の娘の視点から描く西鶴一代記。
「大阪では、氏素性も手蔓もない者が知恵と胆力だけでのしていける時代が始まっていた。道頓堀に芝居小屋が立ち並び、新町に廓ができた。分限者となった町人は暇に飽かせて俳諧に近づいた」
西鶴は早くから貞門派に学び、西山宗因に入門して談林俳諧の世界に身を置き、やがて浮世草子作家として名を成していく。
9つで母を亡くした娘おあいが生きるこの世の〈音と匂いと手触り〉の優れた描写。心の動きに、おあいならではの感覚が丁寧に紡ぎ出され、西鶴の人間像に迫る。
出版文化の隆盛に乗っかって制作は相次ぎ、版元との駆け引きも面白いし、同時代を生きた芭蕉、近松門左衛門、歌舞伎役者も絡んでいる。
嫁ぐことなく、おあいは25歳になった。
胃の腑がひどく疼く。「やせてきたなあ」と娘を気遣う父。
「おおきに。さようなら。」最後はこう言ったのかな、言えたのかな…。
「巧みな嘘の中にこそ、真実があるのや」
読み応えある作品でした。