初凪やものゝこほらぬ国に住み 鈴木眞砂女
千葉県鴨川に育った眞砂女。
冬も物が凍らない温暖な安房の国への讃歌だと評される句がある。
そんな房総半島の海が見える街を舞台に13篇が紡がれた乙川優優三郎作品『トワイライト・シャッフル』が買い置いてあったので読むことにした。
思うようにならない人生、〈それでも人には一瞬の輝きが訪れる〉。好き度の差はあったが、文章と共に味わう。
私を作った書物として、乙川優三郎氏が様々な年代で出会った4冊について語る記事を読んだことがあった(本よみうり堂)。
20代の頃に出会ったのが山本周五郎の作品で、「そこから人間を学んだ」と言われている。
『赤ひげ診療譚』が一冊挙げられていた。映画にもなって知られているが、原作を読んでいなかった。
小石川養生所の医師、通称・赤髭と、患者たちを巡る人間模様を、見習い医師として働く登の視点から描いている。
〈様々な出来事の根っこには、貧しさがある。貧苦のどん底とはこういうことだと教えてくれる。市井の 汚穢(おわい) まで描ききり、それでいて美を忘れない。長屋暮らしの人々の、善と悪を併せ持った人間を描きながら、その筆は彼らを突き放さない〉
暮れに借りてきた図書館本、松下竜一の『かもめ来るころ』。
『豆腐屋の四季』を読んでいたが、その後の人生をほとんど知らなかった。
唐突に豆腐屋を廃業し、ペン1本の作家生活に転身を宣言。
転身を迫った衝撃は、石牟礼道子の『苦海浄土 - わが水俣病』を読んだことで、自分があまりに他人の苦しみに無関心であったこと、ただ自分の家庭を守り、はらからのことを思うだけで精いっぱいだったことを思い知ったからだと書いている。
『追われゆく坑夫たち』の上野英信との交流も読める。
読者との交流話、まだ幼い我が子のと会話、思い出、抗議活動の様子、自らしたためた議決文…。
「松下竜一を目の前にすると、まるで壊れてしまいそうなほどひ弱で、とても竜どころか、むしろタツノオトシゴという感じです」と上野英信が話す。
か細く、体重42キロは、機動隊員に腕をとられ引きずりおろされる時など腕は折れそうに痛かった。痛いと低く声を漏らすと彼らは力を弱めてくれた、と。
周防灘総合開発計画という途方もない巨大開発計画は自然破壊計画であった。自らが旗を振り、反対運動の先頭に立つ。良い幻想で計画に期待する人が圧倒的だったので、たちまち自分は憎まれ者になってしまった。
「あなたは道を誤ってしまった。もういちどあの優しかった(『豆腐屋の四季』の)世界にもどりなさい」
それに対して「私は少しも誤ってはいませんよ。…その優しさの延長に私はいるつもりです」
反対運動に髪振り乱したお母さんたち。反対運動せずに家庭を守ったお母さんたち。
優しさの世界を守ろうとするとき、戦うことこそ優しさであることが現実にはあるのだと言っている。5年後10年後、子供にとって孫にとってという視点で見ると…。
居心地のいい小さな世界から抜け出た勇気に感じることは大きかった。
家に居たことで、小刻みであっても本を開く時間に恵まれた年末年始でした。
自ら満ち足りているという心境は最大の富だという。おかげさまで財産がふえました。