今年1月4日には、地元紙に掲載された黒瀬珂瀾氏のエッセイをしみじみと読んだ。短歌が添えられている。氏は富山市の浄土真宗本願寺派願念寺のご住職であり歌人でいらっしゃる。
こう始まっている。
「元日は5時前には起き出して、本堂にストーブを入れ、6時に梵鐘を鳴らす。6回強く打ち、1回軽く打つ。法要が始まることを村中に知らせる集会鐘(しゅうえしょう)という作法だ。
雪化粧の夜の隅々までゴォーンという太い鐘の音が伝わってゆく。その振動で鐘楼や本堂の屋根に積もった雪が滑り落ちる。もう何年も変わらぬ、北陸富山の小さな寺の最初の景だ。」
「初日出はまだ。完全な夜の底で力いっぱい撞木の綱を引き鐘を打つ。その瞬間、大鐘の声が静寂の奥まで染み渡り、去年の続きだった闇が一気に今年の時間となる。
今年と言う空間は単に時報が午前0時を打った瞬間に始まるのではない。何か大切な区切りが一つ告げられる瞬間に始まる。個人的には大みそかの除夜の鐘よりも元朝早く誰もいない境内でひとり突く鐘の方が心に残る。……」と。
梵鐘の声にふるへて去年の雪いまし今年の雪と変はりぬ 黒瀬珂瀾
鐘の響きの振動で雪が滑り落ちるのか、と驚き、
去年から今年への瞬間の捉えようの鋭い感覚は深く心に感じ、しみじみと拝読したものだった。
余人が味わい得ない瞬間。
とは言え、人それぞれ置かれた環境でそうした瞬間を見いだしている方もおいでだろう。
「何年も何十年も村に年の改まりを告げてきた鐘の声。」
除夜の鐘がつき終わるのは午前零時を回っている。「今年」の境は越えて新たな一年が始まっているという思いだけはあっても感慨などはないまま、明日の朝が早いからと、湯呑み茶碗をはじめとした洗い物もそこそこにして横になる。
翌朝いつもよりは少し早く、真っ暗な、身がちぢみあがる冷気に包まれた本堂に明かりをつけ、年の初めのお仏飯を供えながらただ手を合わす。それは日々の繰り返しだけれど、まぎれもない新年最初のお仏飯。そんなとき、私は気持ち新たにしているのかもしれない。
毎年大門の下には甘酒や日本酒の燗をした薬缶を乗せたストーブを置いて、暖をとりながら除夜の鐘を撞きに来られた方々と談笑する。中にはお酒もまわって気よくお帰りに。笑い納めでもあり、これはこれで良し。
「よいお年を」と言葉を交わし、大門を閉める。
今年もまもなく・・・というところ。
にぎやかに、静かに、いかようにも過ごされて、どうぞ皆様良いお年をお迎えください。
こう始まっている。
「元日は5時前には起き出して、本堂にストーブを入れ、6時に梵鐘を鳴らす。6回強く打ち、1回軽く打つ。法要が始まることを村中に知らせる集会鐘(しゅうえしょう)という作法だ。
雪化粧の夜の隅々までゴォーンという太い鐘の音が伝わってゆく。その振動で鐘楼や本堂の屋根に積もった雪が滑り落ちる。もう何年も変わらぬ、北陸富山の小さな寺の最初の景だ。」
「初日出はまだ。完全な夜の底で力いっぱい撞木の綱を引き鐘を打つ。その瞬間、大鐘の声が静寂の奥まで染み渡り、去年の続きだった闇が一気に今年の時間となる。
今年と言う空間は単に時報が午前0時を打った瞬間に始まるのではない。何か大切な区切りが一つ告げられる瞬間に始まる。個人的には大みそかの除夜の鐘よりも元朝早く誰もいない境内でひとり突く鐘の方が心に残る。……」と。
梵鐘の声にふるへて去年の雪いまし今年の雪と変はりぬ 黒瀬珂瀾
鐘の響きの振動で雪が滑り落ちるのか、と驚き、
去年から今年への瞬間の捉えようの鋭い感覚は深く心に感じ、しみじみと拝読したものだった。
余人が味わい得ない瞬間。
とは言え、人それぞれ置かれた環境でそうした瞬間を見いだしている方もおいでだろう。
「何年も何十年も村に年の改まりを告げてきた鐘の声。」
除夜の鐘がつき終わるのは午前零時を回っている。「今年」の境は越えて新たな一年が始まっているという思いだけはあっても感慨などはないまま、明日の朝が早いからと、湯呑み茶碗をはじめとした洗い物もそこそこにして横になる。
翌朝いつもよりは少し早く、真っ暗な、身がちぢみあがる冷気に包まれた本堂に明かりをつけ、年の初めのお仏飯を供えながらただ手を合わす。それは日々の繰り返しだけれど、まぎれもない新年最初のお仏飯。そんなとき、私は気持ち新たにしているのかもしれない。
毎年大門の下には甘酒や日本酒の燗をした薬缶を乗せたストーブを置いて、暖をとりながら除夜の鐘を撞きに来られた方々と談笑する。中にはお酒もまわって気よくお帰りに。笑い納めでもあり、これはこれで良し。
「よいお年を」と言葉を交わし、大門を閉める。
今年もまもなく・・・というところ。
にぎやかに、静かに、いかようにも過ごされて、どうぞ皆様良いお年をお迎えください。
上は高校生で下は年少組、二家族4人の孫で新年は賑やか、いささかくたびれ気味です。
ブログ休止からそろそろ3年、投稿の「仕方」も忘れそうです。
私とは「雲泥」、「Kei様の世界」。楽しませていただきます。
今年もよろしくお願いいたします。
あたたかな火に集まり、言葉を交わし
新年を迎えられる
そんな空気が伝わってきました。
今年もよろしくお願いします。
ブログ休止から3年…、にも関わりませず
ずっとお訪ねいただいておりますこと感謝申し上げます。
どんな生き方も、そう楽ではありませんね。
自らが、一生懸命生きたと思えたら〇だとか…。
にぎやかな新年をお迎えになられて何よりです。
どうぞ今年もよろしくお願いいたします。
よい一年の幕開けをお過ごしになられたことでしょう。
これからの一日一日が大事ですね。つくづくそう思わされます。
なぜか火のお当番さんがちゃんとおられましてね、
火の番をしながら雑談の輪の中心ともなって(笑)
みなさん楽しんでお帰りになります。
一年の締めですからお任せです。
大門を閉めて…、が「今年」の終りかもしれないなあとふと思いました。
どうぞ今年もよろしくお願いいたします。
お忙しい年末であられたことでしょう。
私は何十年もの忙しさから解放されつつあり「家族」という小さな単位を味わえるようになっております。
ですが努力は裏切らないのですね~なんて想いながら今年も働きます。
お身体冷やさずお過ごしくださいね。
一面雪景色の当地です。