
「卯月ばかりのわかかへで、すべて萬(よろづ)の花・紅葉にもまさりてめでたきものなり。」(189段)
こう兼好法師は『徒然草』に記している。旧暦の卯月は現在の暦では今のこの時季で、「この頃の若葉の楓は、すべての花や紅葉にもましていいものである」、と。
鷺ノ森神社の明るい静寂さが満ちた参道。今、この楓の若葉が美しく、仰ぎ見ながら歩く葉は陽を透かして映える。水平に伸びた細い枝が、ゆうらゆうら。紅葉の名所は若楓の名所でもある。緑が目に沁み、やさしい気持ちにさせてくれるお気に入りの場所だが、今日は少しばかり身を取り巻く空気が熱い。暑かった。
『徒然草』ではまた、「世のあはれも、人の恋しさもまされ」と、ある人の言葉に共鳴の思いを述べてもいる。孫のTylerが歌う歌詞が耳に焼き付いていて、〈♪おかあさん おかあさん、おかあさんてば おかあさん…〉と知らず口ずさんでしまっているのだが、私も「おかあさん」と呼びたくなってくる。日に日に青葉の茂りを濃くしていく英気が、母への懐かしさを覚えさせるのかしら。「お母さん」、今一度呼んでみたい。
私は、今はなく、思い出の中に
あります。小学生頃からずっと通り抜けた
小径です。やはり、葉と葉が重なり織りなす
模様に光がこぼれてました。
ずっと上を見上げながら「きれい、きれい」と
歌いながら遊びから帰るときは、確かいつも
1人でしたが、ちっとも恐さもなく、あの頃は良かった〜。
俳句を詠もうとすると、すぐに母のことを詠みたく
なります。
もうすぐ「母の日」です。
万葉集でも防人たちが母を恋ふる歌をたくさん読んでいます。
私にはおかあさんと呼ぶ人はもういませんが・・・・
この参道の先に神社本殿が、そこから曼殊院、詩仙堂へと辿ります。
とりわけ好きなお寺で、その周辺をよく歩きます。
「きれい きれい」、ほんと幸せな気分になれますね。
おかあさんが待つ家にまっしぐら、でした。
よい句が詠めるといいですね。
これほど美しい季節に、もう少しさわやかな風が欲しいですね。
玄関を入れば、「おかあさんは?」でした。
私も、母の年齢を超えました。亡くなって27年にもなります。
眼も心の中も洗われるような若緑。
お写真を拝見しながら思わず深呼吸しました。
実相院の、「床(ゆか)みどり」を想います。
私もランドセルをカタカタ言わせてまっしぐらに家に帰ったものです。「お母さん!」
真っ白な割烹着姿の母が迎えに出てくれた日々。
いくつになっても「おかあさん」を恋ふる私です。
実相院をご存じなのですね~。
今日は京都御苑の中を横断して歩きましたが、目にするのはみどり緑ばかりです。
見逃しましたが、昨日は葵祭だったと思いながら歩きました。
お話上手で、芯の通ったお母様のようにいつも想像しております。
「苺」の文字も、今では、ろこさんのお母様の言葉につながります。
子供の「ただいま~」に続く言葉は「お母さんは?」でした。