報恩講を勤めさせていただいております。
私自身が身をおく現実の中で、長い年月にわたって常に内心に持ち上がってくる迷い、疑問、矛盾。払いのけてしまいたいとあがいてみても(あがいてきたわけですが)、自己のそうした内心と向き合うことなくして道は開かれない。
好きなこと、興味ある事、楽なことだけに心を向けて紛らわせ、これこそ天職だとばかりに虚しさを他の道で埋め合わせもし…、しかし、そんなことをしていても決して解決などされはしないのでした。
【よく「ありのままの自分を受け入れる」などと言うが、ずいぶん甘っちょろい。本当に自分を肯定するのはかなり困難であり、稀有なことである。「どこにも逃げ道はない」と自分の人生を本気で引き受けねば成り立たないのだ。そして、何度でも同じ人生を引き受ける覚悟を持ったとき、「この一瞬をよりよく生きるしかない」という扉が開くのである。】と、釈撤宗氏の言葉に打たれた日。
お参りに寄り合う方々と一緒に聞法の二日間。
真砂なす数なき星の其の中に吾に向かひて光る星あり 正岡子規
好きな一首を身が引き締まる思いで味わいます。
(ひっそりと地味な枇杷の花が咲いていました)
孫の子守で娘宅にやってきております。なかなか大変です。
こだわらないようにしようと思いながら、気付けば「私は、私は」とムクムク、…です。
困ったものですね、難しい。
それでも、自分の色で輝いて生きていきたいですよね。
何度も更新しています。
コメントありがとうございます。
学期末で孫たちの行事ごとが続き、母親に代わって末の子の子守をしに娘宅に来ております。
コメント嬉しく拝見しました。ありがとうございます。
嬉しいお言葉を戴いて、それをそっくりRiraさんにもお返ししたい思いです。
良いご縁にめぐり合えましたことを心から喜んでおります。
直ぐに我が出てきます
keiさんからお言葉をいただきました。
あまた輝く星の光がやっと私に と静かにかみしめ喜びました。
苦しみ痛みを感じてこそ、人の気持ちが おわかりになるのでしょう。
自然体な柔らかなお言葉は、そこから湧いてるのだなと感じました。
ありがとうございます。。
お言葉ありがとうございます。
「それらも皆含めて、つまりそのような自分をも丸ごと自己受容するのです」
はい。
ところが、現実から逃げているという意識がずっと伴いましたから、悩みあがいていましたね…。
これでいいわけがないと思ううえに、信心って?とか、 坊守の勤めへの不安だったり、
そもそも「家」に入ったものの、すぐに外へ出たくて(仕事につきたくて)ウズウズする日々になりました。
「自分を受容出来ない人」だったわけです。
そうした自分を見つめながら、どうしたものかと考え工夫し、…今があるのですが、
この態度が、これまた自分を受容できてはいないということになるのでしょうか、ね。
あまりこだわらずに、気持ちを整え直しては小さな灯りを灯す、といった具合でおります。
改めて、お言葉に感謝申し上げます。ありがとうございます。
報恩講、お勤めになられた由、お疲れさまでしたね。
真宗王国と言われる、こちら越前各地でも概ね終盤のようです。先日、勉強会の世話人さんに、お会いしましたら、「ほんこさん終わってやれやれです。」なんて仰っていました。
「ほんこさん」(「お取りこし」とも呼んでいますが)、子どもの頃から聞き馴染んだ言葉ゆえに、懐かしく温かな響きが感じられます。
>よく「ありのままの自分を受け入れる」などと言うが、ずいぶん甘っちょろい。本当に自分を肯定するのはかなり困難であり、稀有なことである。
少し意味が解りかねるのですが(読解力不足ですね)、私たちカウンセリングの世界では、まず「自己受容」からスタートします。自分を受容出来ない人が、他者を受容できないからです。(この辺りは長くなりますので、また別の機会に)
>好きなこと、興味ある事、楽なことだけに心を向けて紛らわせ、これこそ天職だとばかりに虚しさを他の道で埋め合わせもし…、
それらも皆含めて、つまりそのような自分をも丸ごと自己受容するのです。(ゴメンナサイ。これも長くなりそうなので)
そこからのスタートなんですねぇ。
ある坊守さん(仏婦のお集まりに時々お呼び頂いています)も同様なお悩みがありました。相談活動もなさっておられるので、カウンセリングの素養もおありです。
ある日、しみじみと「センセにお会いしていると、よく解った気持ちになるのですが、じきにまた心配になって・・・」なんて。
宗門の方故かも知れませぬね。釈迦に説法になってしまいました。どうぞ、どうぞご寛容にお願い申し上げます。
末筆になりましたが、拙ブログへお越し下さり、温かなメッセージを頂戴致しまして、心より感謝申しております。どうも有難うございます。
向寒の砌、どうぞご自愛専一にと念じております。大変失礼致しました。門前の小僧・yo-サンでした。
お返事遅くなりすみません。
「自分の人生を本気で受け入れる」覚悟をし、扉の前に立てるまでの道のりが長かったです。
逃げ道を用意して、外で仕事を持っていた期間が長くありました。
楽しくやりがいのある十年余でしたが、内心では葛藤が。
まあ、そんな期間があればこそで自分を見つめる一助になっているのでしょうね。
気分新たにしました。、それでもまた心の塵は積もりそうです。
仏に仕える身でありながら兼好法師が「徒然なるままに」とは!?
することがなく退屈だとはいかなることでしょう~。
なんてことを思い出しました(笑)
良いお話をありがとうございます。
なにか磨かれるための毎日のような気がします。
今を一瞬を生きる!にかぎるのでしょうか
今を感謝して今できる行動をする…
…向いて光る☆…に感じたこと記そうと思ったのですが
照れくさいから次の機会に デスね(*^^*)
琵琶の花が咲いてるのですね、裏山に登ってみます。