京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

角隠し

2025年01月30日 | 日々の暮らしの中で
真宗門徒の女性がお寺参りのときに用いたかぶりものが、「婚礼のときに花嫁がかぶる頭飾り」に変化していったという「角隠し」。あえて角を隠すことで、「私にも怒ると角を向け、人を傷つけることがある」ということを告白しているのです。


【「念仏には無義をもって義とす」(歎異抄)
親鸞聖人は「義」を「はからい」と訓読しています。「はからい」とは、自分の勝手な解釈で思い計ることです。義に正しさをもってくると「正義」になります。相手の人生を外から観察し分析してもわかるものではありません。
他人が食べている食事を覗いて「そんなもの食べて美味しいか?」と言っているみたいなものです。
個人の心の状態は自分の思い計らいでは理解できないのです。…… ……

親鸞聖人の教えを受けた蓮如上人は「独覚心」の怖さを悲しみました。自分が過去の経験から覚ることができたことを、相手に押し付けることはできない。時には「正しさ」を伝えることも大事でしょう。しかし、正しさは必ずしも人間を活かすとは言えないのです。

親鸞聖人は「正しさを伝える前にお念仏申しましょう」とお教えくださいました。合掌することで心が柔軟になり、相手の心に寄り添うことしかできないのです。…… 】



真宗大谷派僧侶・川村妙慶さんが地元紙に寄せられたコラムの中の一編。繰り返し読み返していた。人に角を向けてはいけない。いけない!
『人生の収穫』といっても小さな幸を拾い集めてきたほどの微々たるものだが、曽野さんの言葉を心に宿せていたようだ。
ー 自分の内心がどのようであっても、平静と礼儀を失わないように取り繕え! 心からでなくても、理性だけでもいいから愛を実行せよ…。

ものの考え方が大きく違っているとしても、ちゃんと自分の世界を持っている人がいる。わからなくても、表層の下に隠されたものにひそかに耳を澄ませてみるのもよいのではないか。
大切なものは目に見えないんだよ。


私にも角があります。


今日は午後1時の約束をした来客を待って、待って待って待って。
これだってかなりの説経ものだけど…。

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2 コメント

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妙齢な角隠しは (ふかかいさん)
2025-01-30 22:40:21
角隠し。見事な解説を頂きました。
見事な解説に見合う素敵な写真はいったいどなたのかしら?なんてお訊ねするのは○○の骨頂とでもいうのでしょうね。
季節の冷たい風が喉を刺す。どなたにも角はあるのですよね。参考にしましょう。
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こんばんは^^ (Rancho)
2025-01-30 22:56:03
 角隠しとはよく言ったものです。

 角隠しとはニュアンスが多少ずれますが、
 京都のご挨拶は、見事ですね!
 不仲であっても、顔を合わせれば、こちらが挨拶をすれば、相手さまも会釈や挨拶を返される方が多いように思います。
(私が例外にあってないだけかな?)

 他府県では、そうはいきません。(爆笑)
 挨拶の社会の京都から考えて、おどろくばかりな方が多いです。

>ものの考え方が大きく違っているとしても、ちゃんと自分の世界を持っている人がいる。わからなくても、表層の下に隠されたものにひそかに耳を澄ませてみるのもよいのではないか。
 まさにおっしゃる通りです。
 そしてそこへも到達できない方の、なんと多きことよ、、、
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