夜中に目が覚め、眠れずにいるとどうしてもあれこれの考えごとが始まる。それなら本の続きを読んでいた方がずいがまし。その間は余計なことを考えずに済むからだが、睡眠時間が削られる。これが良くないことはわかっている。
ではどうする? と思いつつやっぱり本を開く。
先日建仁寺に行った帰り、京阪三条駅ビルにあるブックオフに立ち寄ったところ、『あん』(ドリアン助川)が書架に並んでいた。
かつてブログ「十六夜の我楽多人生雑録」を通じて、いざよいさんとの話題で教えられた作品だった。2023年のこと。読まずにいて、今頃になって縁がまわってきた。
きっぱりとされつつ余情あるブログで好きだったのに、ある日を境に閉じられた。お元気にされてるだろうか。
昨年末にはハンセン病を患った塔和子さんの歌や詩に触れる機会を得たので、登場人物の吉井徳江と重ね合わせてしまいがちな部分もあった。
塀の中で数年を過ごしたあと、どら焼き店々長として休みなく働く千太郎。求人広告を見て、手の不自由な70代半ばの女性が応じてくる。彼女もまた隔離された生活を余儀なくされてきた人だった。
徳江が作る絶品のあん。「お互いがお互いを想いあい慈しみあう」交流が深く心に染みた。
ハンセン病の療養所「天生園に遊びに来る鳥たち、虫、木々。草や花。風、雨、光。お月様。すべてに言葉があると私は信じています。それを聞いているだけで、一日はもう目一杯です」と徳江さん。
「聞きなさい」「耳を澄ませなさい」「想像してごらん」はトクちゃんの口癖だったと園での親友が言った。
それは、現実だけ見ていると死にたくなる。囲いを越えるためには囲いを越えた心で生きていくしかない - 生きるすべだった。徳江さんの言葉の裏に潜む思いを千太郎も私も知る。
今年もオニグルミの冬芽を見に出た。徳江さんを思いだし、背筋が伸びるようだった。
歩けば汗ばむほどのお散歩日和に。
ではどうする? と思いつつやっぱり本を開く。
先日建仁寺に行った帰り、京阪三条駅ビルにあるブックオフに立ち寄ったところ、『あん』(ドリアン助川)が書架に並んでいた。
かつてブログ「十六夜の我楽多人生雑録」を通じて、いざよいさんとの話題で教えられた作品だった。2023年のこと。読まずにいて、今頃になって縁がまわってきた。
きっぱりとされつつ余情あるブログで好きだったのに、ある日を境に閉じられた。お元気にされてるだろうか。
昨年末にはハンセン病を患った塔和子さんの歌や詩に触れる機会を得たので、登場人物の吉井徳江と重ね合わせてしまいがちな部分もあった。
塀の中で数年を過ごしたあと、どら焼き店々長として休みなく働く千太郎。求人広告を見て、手の不自由な70代半ばの女性が応じてくる。彼女もまた隔離された生活を余儀なくされてきた人だった。
徳江が作る絶品のあん。「お互いがお互いを想いあい慈しみあう」交流が深く心に染みた。
ハンセン病の療養所「天生園に遊びに来る鳥たち、虫、木々。草や花。風、雨、光。お月様。すべてに言葉があると私は信じています。それを聞いているだけで、一日はもう目一杯です」と徳江さん。
「聞きなさい」「耳を澄ませなさい」「想像してごらん」はトクちゃんの口癖だったと園での親友が言った。
それは、現実だけ見ていると死にたくなる。囲いを越えるためには囲いを越えた心で生きていくしかない - 生きるすべだった。徳江さんの言葉の裏に潜む思いを千太郎も私も知る。
今年もオニグルミの冬芽を見に出た。徳江さんを思いだし、背筋が伸びるようだった。
〈真直ぐに行けと冬芽の挙(こぞ)りけり〉 金箱戈止夫
歩けば汗ばむほどのお散歩日和に。
作中の人物の動きに、暗闇にいるからこそ、明るい陽射しが眩しく写り、心が軽く晴れやかにもなれると。
ハンセン病・ライ病は、移る病気との誤解から、家を追い出され、各地を彷徨う巡礼でした。
砂の器・松本清張。
徳子さんが、小豆を選り、洗い、笊に上げ、鍋に容れて煮詰めていく行程。
其処から、芽を出し、育って実となる情景が、何とも胸を打ちました。
わたくしも、枇杷葉に声かけるのは、心から接してでないと、旨さも授けてくれはしないと気づいて。
木村秋則さんの無農薬林檎も、感謝の気持ちが無くては、樹には生らなかったでしょう。
我が家の枇杷葉にも、その成果が現れます。
お茶作りも、伐らせてね・ありがとう・頂戴ねと声をかけます。
飲んで下さる方が、心を鎮められ、癒されて、病を治せるなら、何よりうれしいことはありません。
森羅万象・宇宙と繋がり、白龍が守ってを疑わぬ想いです。
有難うございます。
暗闇に居ればこそ…覚えています。読後間なしですしね(笑)
言葉がある、耳を傾ける、その声を聞く。
心から耳を澄ますことの大切さ。
「あん」からも教えられることいっぱいでした。そしてとても心に染む世界でした。
「奇跡のリンゴ」ですね。
ずいぶん前になりますが、息子が正月に置いて帰ったのを読みましたよ。
いずれも根底では一つになってアナザンさんの枇杷葉にかける思いに通じていくようです。
また自然相手の恵みをいただくことへの思い入れなども、拝読しながら深いものを感じております。
ありがとうございます。