京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

ひとりのつぶやき

2025年03月09日 | 日々の暮らしの中で
なんとはなしに周囲を明るく染める気配だったのが、色味を濃くしてきたのを見知れるようになってきた、よそさんの梅。
どんな具合だろうと、この時期は何度か足を向けている。




7日投稿文の最後の一文を削除した。
タイトルにしようとしていた言葉だったから、「置き土産ですね」などと書いて、満タンに満たさなくてもよかったのに念を押してしまった。 
生前河野裕子さんが指摘されていた、短歌の「結句病」が思い出されたことがある。
ただまあ私は、「読んだらわかるでしょ」とばかりに投げ出していて言葉が足りないことを、かつてずいぶん指摘されてきた。べつに強迫観念があったわけではないが、無駄なおしゃべりをしたようだ。

竹中郁さんの『こどもの言いぶん』の前書きにある一節だと、ブログを通じて教えていただいたことがあった。

「書くという作業は、他人に伝えるのが半分以上の目的ではある。
しかし、子供の場合は必ずしも、そうとばかりは限らない。
ひとりのつぶやきのようなものを書くことが、刺激になって、心が応じて成長するのだ。
身体は食べることで成長する。食べて身体を動かすことで成長する。
精神の方は感じて考えて、しかもその上書いて、成長する」

大人の寺子屋エッセーサロンとは別に、小中生対象の作文教室のような場があってもいいなあ…という思いが頭の中をすり抜けた昨日。
人にはものに感じる心がある。その心を、互いの言葉で知り合う。
書くことで自分の内面に向き合うおしゃべりをしてみようではないの。賛同してくれる子たちはいるものかしら。

もやっとした朧な思い…、大きく膨らまないかな???


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4 コメント

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小学生も忙しい  Reiさん (kei)
2025-03-10 16:31:11
英語の教室へは親も子も気持が向くようですね。
読んで、書くことで考えは深まるのだと言いますね。
新聞に投稿したり企画に応募する小中学生はいます。
これは個人の関心事で、気持ちがそこにないと「塾」のような形態ではできませんよね。
お寺に気軽に足を運んで、日記なり生活記録、読書感想文、なんなりと
書いたものを読みあって、ちょっとした時間を過ごすのはいかがなものでしょうね。
そんな時間の余裕なんかないと言わないで(笑)

読書がお好きだとはいいですね。
電車の中で本を読みだす小学生がいますが、いいなあと思ってみています。
返信する
小中生対象の作文教室 (Rei)
2025-03-10 14:56:11
ひ孫5人のうち二人が小学生ですが
作文は見たことありません。
今の子供は習い事がたくさんあって時間的余裕がないのかもしれません。
救いは本が好きなこと、なので図書券を折に触れ
プレゼントしています。
中日新聞ですが、投書欄にヤングからと題して時々
子供(小中学生)の投書が載ることがあり、
関心持ってみています。
昔(私の小学校のころ?)作文の授業がありました。
今はどうなのでしょう?
返信する
書いたり読んだり、楽しみたいです 香里太郎    (kei)
2025-03-10 10:03:16
こんにちは。
相手によく伝えようと思えば、自分の考えを整理し構成も整え…、とはじめの一歩で試行錯誤しますよね。
それでいて独りよがりの文章を書いてしまって、
盛り過ぎ、喋り過ぎ、思っていた方向と違うほうへ向かうことも、
あらまあ!いろいろですねえ。
先ずは書き出してみる、そうすれば筆は進むと聞いたものです。

子供さんの詩のようなつぶやきから何かもう一つ引き出してあげられないかと、
はたで見ていて思うのです。文章の巧拙ではなく。
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Unknown (香里太郎)
2025-03-09 22:58:12
こんばんは。興味を持ったので、書いてみました。
私のブログもひとりごとと言いながら、人に聞いてほしいことを書いています。なかなか複雑ですね。
書くことは、相手に伝えることもありますが、自分の考えを整理したり、より深い内容にまとめ上げたり、いろんな意味があるように思います。
私の場合は記憶力の低下を防ぐための備忘録でもあります。そんなことを考えてみました。
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