京の辻から   - 心ころころ好日

名残りを惜しみ、余韻をとどめつつ…

「泣きながら歩いているうちに…」と

2017年12月23日 | こんな本も読んでみた
         

昨夜は、『洟をたらした神』について友人たちと語った後だったせいか力が入り過ぎた?感想でブログにアップしてしまったかと気恥ずかしいことです。それでも私と同じようにまだの方には、この機会にいかが?とお薦めしたい。そんな一冊ではあります。

夫の混沌が特高に連れていかれ、ふいにぽっかり穴が空いた家。母親を一本の柱にして、それとなく子供たちは力を出し合って支え守ろうとしている。【その強さを、がっちり受けとめねばならない勇気を、私は自分の胸から手足から探さねばならなかった。でもふつふつと心の中で、私はここでというひらめきを感じた。自分たちの生きる場所はここより外にない。世界中の空間にここより外にない決して間違いない道だ。それははがねをきたえるように強く熱い思いだけれど、気がつけばその上を、どこからくるか知れないが、ほてりをさます爽やかな風にも似たものが吹いて流れていた。】(「赭い畑」 昭和10年秋のこと)ここには、混沌の「人間ちゃ泣きながら歩いているうちに、ほんとうの自分をみつけてくるもんだよ」と言う言葉も。


夫・混沌の詩の一つを、全身蒼白の思いで読んだ、と思いを記している。
【なまなましいくり言は、唇を縫いつけて恥一ぱいでかき消そう。静かであることを願うのは、細胞の遅鈍さとはいえない老年の心の一つの成長といえはしないか。折角ゆらめき出した心の中の小さい灯だけは消さないように、これからもゆっくりと注意しながら、歩きつづけた昨日までの道を別に前方なんぞ気にせずに、おかしな姿でもいい。よろけた足どりでもかまわない。まるで自由な野分の風のように、胸だけは悠々としておびえずに歩けるところまで歩いてゆきたい。】(「老いて」 昭和48年秋のこと)

       
【私の目がひどくかすんで見えないように、今は往古も遠い彼方に消えかけている。何だかあてもなく寂しいけれど、でも人間の生きる自然路を迷わずにためらわず歩きつづけられたというこの生涯を誇りもしないが哀れとも思わない。】【この空の下で、この雲の変化する風景の中で、朽ちてはてる今日まで私はあまり迷いもなかった。それは、さんらんたる王者の椅子の豪華さにほこり高くもたれるよりも、地辺でなし終えたやすらぎだけを、畑に、雲に、風に、すり切れた野良着の袖口から突き出たかたい皺だらけの自分の黒い手に、衒いなくしかと感じているからかもしれない。】(「私は百姓女」 昭和49年春のこと)
1899年(明治32年)に生まれ1977年(昭和52年)に亡くなるまで、一代を生き抜いた人間の発する言葉の力が眩しいほどです。でも強く心に触れてくるのでした。
コメント (4)
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