Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

契丹展@東京藝術大学美術館

2012-08-25 20:53:58 | 機内食・映画・美術展
しばらく前にテレビの「世界ふしぎ発見」で紹介されていた「契丹展」、旅行好きのお姉さまと会うことになったので誘って行ってみた。



場所は上野の東京藝術大学美術館。根津の駅から歩いたが、真昼間だったので暑いこと。
この前ここに来たのはもう何年も前の「アフガニスタン展」の時だったが、その時も真夏、誘った友人には暑いのに歩くのは嫌だと拒否された。
この美術館、どこの駅からでも徒歩10分以上かかるのだ。

でもおかげで館内はちょうどいい人の入り。
それほど大きな美術館ではないし、ゆっくり見ることができてとてもよかった。

さて契丹とは4世紀から14世紀、満州から中央アジアにかけて存在したモンゴル系の遊牧民。
英語のキャセイやロシア語のキタイなど中国を指す言葉はこの契丹に由来するが、もちろん彼らは漢族ではない。
その最盛期が10世紀に耶律阿保機が建国した「遼」で、200年続いたこの王朝の出土品が現在の内モンゴルの博物館から来ている。

北方の遊牧民というとテントに住んで馬で駆け回る野蛮人というイメージがあるが、これはもちろん文明人は自分たちだけ、という漢民族の中華思想のせい。
もちろん漢民族の文化はアジアでは突出していて、その影響を受けなかった国は日本も含めてほとんどないと思うが、今回の「遼」の文物を見るとけなげなほどに中国文化を踏襲していて、少なくとも王族や高級官僚などは華やかな道具に囲まれて優雅な生活をしていたようだ。

   
この王族女性の棺も唐の様式だそうだが、これを始め、化粧品入れからなにから龍や鳳凰だらけ。

 かんざしまで鳳凰だが、なかなか見事な細工。

もちろん中央の職人の技に比べれば洗練度でかなわないのだろうが、えてしてやりすぎというほど濃密になってしまう中国本土の工芸品よりどこかあっけらかんと明るい契丹の工芸品には魅力がある。

なかでも素晴らしいのはこちらの陶磁器。
 馬上で使う皮袋を模した焼き物は遊牧民ならでは。
このふっくらとした造形や白黒2色並んだところは現代的で、思わずほしいとつぶやいてしまう。

もともとは自然崇拝だった契丹も遼を起こしてからは仏教を奉じたそうで内モンゴルには仏塔が残っているらしい。
 この菩薩の頭部もそうした仏塔にあった塑像だが、顔立ちにアフガニスタンあたりのガンダーラの影響が見えるよう。

他にもイスラムガラスなど、中央アジアやさらにその西方との交易の影響も見えるのがまた魅力的。
なにしろ遼の最盛期には北京から、西はカザフスタンあたりまで領有していたというのだからその文化が広々としているのも当然かもしれない。

展示の最後には内モンゴルにある博物館の紹介があったが、博物館の充実に力を入れている現在の中国、博物館好きとしてはどこもおもしろそうで思わず行きたくなってしまう。

名前だけしか知らなかった「契丹」を紹介するこの企画、予想以上に楽しめて、暑い中を歩いていく価値は十分にあった。


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コメント
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