Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

水飲み場からシリアの現状を憂う

2012-08-22 17:18:30 | 雑談
水飲み場と言えばダマスカスの旧市街を思い出す。

モロッコほど華やかではなかったけれど、やはり街のあちらこちらに水飲み場があって、現地の人が外国人である我々にも「飲んでいきなさい」と親切にコップを差し出してくれた。

3年前の春に訪れた時にはあんなに平和だった国が去年の春からきなくさくなって、最近の連日のニュースには涙が出そうになる。

あの美しい町に住む、あの優しい人々は無事なのか、と知り合った人、すれ違った人の顔が目に浮かぶ。
寡黙だけれど最高に気の利くドライバー氏、通りがかりの外国人を家に上げてコーヒーまでふるまってくれたきれいなお母さん、アレッポ城にいたおしゃまな女の子たち、日本を絶賛してくれたテレビレポーター氏・・・。

もちろんシリアは問題のない国ではなかった。
慎重なドライバー氏はたとえ車の中でも決してアサド大統領について意見を言おうとはしなかった。
なにしろ秘密警察が目を光らせる国、この外国人がスパイではないという保証がどこにある。

だから「アラブの春」の影響でこの国でも改革を求める機運が高まったのはほとんど必然。エジプトがひっくり返ったところできっとシリアでも何かあるだろうと思っていた。

しかしほかの国に比べてなぜシリアばかりがこんなにひどい状態になってしまったのか。
国連の調停も監視団もまったくの無力、大国の思惑で骨抜きにされ、さらに対立する双方にどんどん武器が供給されるので戦闘は激化するばかり。
この上アメリカ軍まで介入してきそうで、そうなればイラクやアフガニスタンのようになってしまう。

日本では亡くなった女性ジャーナリストが大きく取り上げられて、おかげでシリアに改めて目がいっているようだが、当然危険も覚悟して乗り込んだであろうジャーナリストに比べて本当に悲惨なのは普段の生活の場が戦場になってしまった一般市民。

さらに日本では報道されないが、ドバイでBBCを見ているとシリア国内からキリスト教徒が次々に逃げ出しているという。
シリアにはシリア正教、アルメニア教会、ギリシャ正教、カトリックなどなど、さまざまな宗派がイスラム教徒と共存しているのだが、国内の混乱の中でキリスト教徒への弾圧がひどくなっているというのだ。
その上シーア派とスンニ派の間にも確執があり、現政権が崩壊すればこちらもばらばらになるだろう。

あの親切な人々が互いに憎みあい、殺しあっていることこそ悲劇。
そしてそれはどんな国のどんな人たちにも、いつでも起こりうるということが恐ろしい。

とにかく一刻も早く戦闘がやむよう、祈ることしかできない。


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コメント (4)
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