11月29日
11時になり、湯田温泉のバス停から観光周遊バス「おいでませ山口号」に乗車。
大型バスに本日のお客さんは10人でゆったり。
実は昨晩湯田温泉に泊まったのはこのバスに乗るため。
始発は山口宇部空港なのだが飛行機との連絡がよくなく、通常の路線バスを使おうとすると時間のロスが多すぎる。
運行が土日祝日だけなので平日に来ることもできなかったが、4月から9月なら毎日運行するようだ。
ベテランのバスガイドさんに案内されて、まず停まったのは湯田温泉から10分の瑠璃光寺。
現在の本堂は江戸時代のものだが、ここはもともと室町時代に大内氏が建立したお寺。
境内には大内義弘の菩提を弔うために弟が建てた五重塔があって、これが国宝になっている。
日本三名塔の一つだそうだが、檜皮葺の屋根が美しい。
次にバスが停まったのはまた10分ほどで到着する常栄寺。
お寺は毛利元就が建立したもので現在の建物は最近のものだが、ここが有名なのは門前にもいる雪舟さんのため。
寺の北側にある庭が大内政弘が雪舟に造らせたものとされているのだ。
縁側から見ると手前は石が並ぶ枯山水で、その向こうに池がある。
庭に出てこの池の周りをぐるっと一周すると
次々と景色が変わってとてもいい。
日本庭園は正直言ってまったくわからないのだが、ここは古い時代のもので作りすぎていない感じがいいのだろうか。
ただし雪舟作とはあくまで伝説で、それを裏付ける資料は全くないらしい。
ここからは1時間ほどのドライブで本日のハイライト、秋吉台へ。
まずは展望台からカルスト台地を一望。
草原に石灰岩がぽこぽこ頭をだし、その間を遊歩道が伸びていて、のんびり散歩したら楽しそう。
ただし今は冬枯れ、ようやく日が差してきたものの、風が吹いて寒い。
とか言いながら、ここの名物と称する夏ミカンソフト。
ただし夏ミカンの味はあまりしなかった。
ここからバスで移動して、秋芳洞へはエレベーター口から入る。
洞内は写真では明るく見えるが、実際には足元がやっと見えるほど暗い。
てきぱきとしたガイドさんに先導されて、まずは有名な黄金柱へ。
ここには写真屋さんがいてグループで記念写真。いまだにこういう商売が続いているとは、これも天然記念物じゃなかろうか。
洞窟は奥にも続いているが、ツアーはここで引き返して反対方向へ。
見どころには傘づくしとかすぼ柿とか名前がついて
パムッカレのミニチュアのようだが百枚皿は特に見事。
想像以上に広い洞内には水が流れていて、場所によってきれいなエメラルド色だったり、壁や天井が見事に写ったりする。
700mを40分ほどで歩いて出口が見えた。
洞窟内から流れ出てくる水が真っ青できれい。
実はこちらが正面入り口なのだが、エレベーターの方から歩いた方が暗い下り道を気を付けて歩くのでゆっくり見られていいのだ、とガイドさん。
ところでこの土地の名前は「秋吉台」なのに洞窟の名前は「秋芳洞」と字が違う。
なぜかと聞いたら元々この辺りは「秋吉村」だったが、昭和天皇がこの洞窟を訪れた際に「秋芳洞」と違う字で命名されたのだそうだ。
その後このあたりの村が合併して「秋芳町」となったが、こちらの読みは「しゅうほうちょう」、でも洞窟の読みはあくまで「あきよしどう」と言うからややこしい。自分はずっと「しゅうほうどう」だと思っていた。
洞窟を出てちょっと日本離れした景色のカルストロードをドライブ。
2月にはこの草に火をつけて野焼きをするそうだ。
日もだいぶ落ちてきて、焦るガイドさんに連れられ次は30分ほどで仙崎。
元々鯨漁やかまぼこで有名な小さな港町だが、2011年の震災の際、いやというほど見せられた公共広告のおかげで「こだまでしょうか」という詩が有名になり、この町出身の作者、金子みすゞがいまやここの看板になっている。
町のあちらこちら、民家の玄関や郵便局にもみすゞの詩が掲げられ
いくつかある大きなモザイク画も金子みすゞ。
このモザイクはかまぼこ板で作られていて、毎年1つづつ増えているのだそうだ。
これらを見ながらやってきたのは金子みすゞ記念館。
生家であった書店を復元したもので、展示はみすゞの生涯を説明したパネルが主だが、才能ある童謡詩人がろくでもない結婚相手のために詩作を禁じられ、26歳の若さで亡くなったのが痛ましい。
この記念館の展示では死因をぼかしているが、バスの中のガイドさんの説明によると夫に淋病を移され、あげくに子供まで取り上げられそうになって自殺したのだそうだ。
これにて「おいでませ山口号」の観光は終了。
夕暮れの仙崎港に別れを告げて、他のお客さんたちはみなさん萩に宿泊のようだったが、自分は一足先に長門湯本温泉で下車。
ガイドさん付きで効率よく回れるこの観光バスは利用価値大だった。
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11時になり、湯田温泉のバス停から観光周遊バス「おいでませ山口号」に乗車。
大型バスに本日のお客さんは10人でゆったり。
実は昨晩湯田温泉に泊まったのはこのバスに乗るため。
始発は山口宇部空港なのだが飛行機との連絡がよくなく、通常の路線バスを使おうとすると時間のロスが多すぎる。
運行が土日祝日だけなので平日に来ることもできなかったが、4月から9月なら毎日運行するようだ。
ベテランのバスガイドさんに案内されて、まず停まったのは湯田温泉から10分の瑠璃光寺。
現在の本堂は江戸時代のものだが、ここはもともと室町時代に大内氏が建立したお寺。
境内には大内義弘の菩提を弔うために弟が建てた五重塔があって、これが国宝になっている。
日本三名塔の一つだそうだが、檜皮葺の屋根が美しい。
次にバスが停まったのはまた10分ほどで到着する常栄寺。
お寺は毛利元就が建立したもので現在の建物は最近のものだが、ここが有名なのは門前にもいる雪舟さんのため。
寺の北側にある庭が大内政弘が雪舟に造らせたものとされているのだ。
縁側から見ると手前は石が並ぶ枯山水で、その向こうに池がある。
庭に出てこの池の周りをぐるっと一周すると
次々と景色が変わってとてもいい。
日本庭園は正直言ってまったくわからないのだが、ここは古い時代のもので作りすぎていない感じがいいのだろうか。
ただし雪舟作とはあくまで伝説で、それを裏付ける資料は全くないらしい。
ここからは1時間ほどのドライブで本日のハイライト、秋吉台へ。
まずは展望台からカルスト台地を一望。
草原に石灰岩がぽこぽこ頭をだし、その間を遊歩道が伸びていて、のんびり散歩したら楽しそう。
ただし今は冬枯れ、ようやく日が差してきたものの、風が吹いて寒い。
とか言いながら、ここの名物と称する夏ミカンソフト。
ただし夏ミカンの味はあまりしなかった。
ここからバスで移動して、秋芳洞へはエレベーター口から入る。
洞内は写真では明るく見えるが、実際には足元がやっと見えるほど暗い。
てきぱきとしたガイドさんに先導されて、まずは有名な黄金柱へ。
ここには写真屋さんがいてグループで記念写真。いまだにこういう商売が続いているとは、これも天然記念物じゃなかろうか。
洞窟は奥にも続いているが、ツアーはここで引き返して反対方向へ。
見どころには傘づくしとかすぼ柿とか名前がついて
パムッカレのミニチュアのようだが百枚皿は特に見事。
想像以上に広い洞内には水が流れていて、場所によってきれいなエメラルド色だったり、壁や天井が見事に写ったりする。
700mを40分ほどで歩いて出口が見えた。
洞窟内から流れ出てくる水が真っ青できれい。
実はこちらが正面入り口なのだが、エレベーターの方から歩いた方が暗い下り道を気を付けて歩くのでゆっくり見られていいのだ、とガイドさん。
ところでこの土地の名前は「秋吉台」なのに洞窟の名前は「秋芳洞」と字が違う。
なぜかと聞いたら元々この辺りは「秋吉村」だったが、昭和天皇がこの洞窟を訪れた際に「秋芳洞」と違う字で命名されたのだそうだ。
その後このあたりの村が合併して「秋芳町」となったが、こちらの読みは「しゅうほうちょう」、でも洞窟の読みはあくまで「あきよしどう」と言うからややこしい。自分はずっと「しゅうほうどう」だと思っていた。
洞窟を出てちょっと日本離れした景色のカルストロードをドライブ。
2月にはこの草に火をつけて野焼きをするそうだ。
日もだいぶ落ちてきて、焦るガイドさんに連れられ次は30分ほどで仙崎。
元々鯨漁やかまぼこで有名な小さな港町だが、2011年の震災の際、いやというほど見せられた公共広告のおかげで「こだまでしょうか」という詩が有名になり、この町出身の作者、金子みすゞがいまやここの看板になっている。
町のあちらこちら、民家の玄関や郵便局にもみすゞの詩が掲げられ
いくつかある大きなモザイク画も金子みすゞ。
このモザイクはかまぼこ板で作られていて、毎年1つづつ増えているのだそうだ。
これらを見ながらやってきたのは金子みすゞ記念館。
生家であった書店を復元したもので、展示はみすゞの生涯を説明したパネルが主だが、才能ある童謡詩人がろくでもない結婚相手のために詩作を禁じられ、26歳の若さで亡くなったのが痛ましい。
この記念館の展示では死因をぼかしているが、バスの中のガイドさんの説明によると夫に淋病を移され、あげくに子供まで取り上げられそうになって自殺したのだそうだ。
これにて「おいでませ山口号」の観光は終了。
夕暮れの仙崎港に別れを告げて、他のお客さんたちはみなさん萩に宿泊のようだったが、自分は一足先に長門湯本温泉で下車。
ガイドさん付きで効率よく回れるこの観光バスは利用価値大だった。
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