11月30日
長門湯本駅からは7分で長門市、ここからは乗ってきた美祢線の列車がそのまま山陰本線の東萩行きになる。
海を眺めながら乗ること30分、終点一つ手前の萩駅で下車。
レトロな駅舎がかわいい萩駅だが、町の中心は東萩の方に移ってしまっているので無人の乗車口は片隅にあるだけ。
駅舎の大部分は「萩市自然と歴史の展示館」になってしまっている。
駅舎の隣には「NHK大河ドラマ決定」の看板が大きく掲げられた観光協会。
ここで地図などをもらい、大きな荷物も預かってもらって町歩きに出発。
萩駅前には店もなく、人通りもなくて寂しいが、しばらく行くと橋本川に突き当たるので川沿いを歩く。
やがて到着するのは藍場川。川と言っても用水路で、この水路沿いには藩政時代の下級武士が住んでいた。
その一軒が公開されている旧湯川家屋敷。
入ってすぐの台所には用水路へ降りる階段がついていて、庭から流れてきた水をここで洗い物に使って用水路に流すようになっている。これをハトバというのだそう。
明治の初めに改築されたと言うこの屋敷の主は23石取りということで座敷は質素だが、つい10数年前までは子孫のおばあちゃんが住んでいた、とここに座っていたボランティアのおばさまが教えてくれた。
静かな住宅の並ぶ道を戻って町の中心に向かううちに天気が崩れて雨が降ってきてしまった。
途中で傘を買い、やってきたのは旧萩藩校明倫館。
堂々たる木造校舎が4棟も並ぶのは旧明倫小学校。さすがにもう使われていないが、こんなに立派な校舎は見たことがない。
その脇にあるのが有備館という藩政時代の剣術と槍術の道場。
ここにもボランティアのおばさまがいらっしゃって、来場者がなく退屈していたのだろう、大河ドラマの撮影がここで行われたことなど、いろいろ話してくださる。
「山口は宣伝が下手だから」とおっしゃっていたが、その分NHKへの期待が大きいらしい。
「ドラマ、見てくださいね」と言われちゃったのでちゃんと見てますよ、まだ2回だけだけど。
水練池の向こうに建っているのは素敵な現在の明倫小学校。
藩主がくぐったという門の向こうの体育館は今年の初めから大河ドラマ館になっているらしい。
さらに雨の中を歩いて城下町のあたりまで来るとやっと観光客の姿が見えた。
観光バスだと松下村塾とこの辺りにしか来ないのだろうか。
木戸孝允=桂小五郎の生家があるが、藩医の家は小さくて質素だ。
ちょうどお昼になったので築200年の家を改装したカフェで一休み。
素敵な女性たちの営むお店、野菜がいっぱい乗ったカレーがおいしかった。
食後はすぐ隣にある豪商・菊屋家住宅へ。
藩の御用商人の屋敷だが藩の御用屋敷として使われることが多かったそうで、そのため座敷も庭も立派。
トイレまで畳敷きなのだからたいしたものだ。
菊屋家の先にあるのは高杉晋作の生家。
こちらは200石の上士なので門構えも立派。
この他にも萩市は山縣有朋だの、久坂玄瑞だの、幕末志士の誕生地だらけだ。
ここからさらに萩城の方角に進むと、伝統的建造物群保存地区に指定された住宅地になる。
古い塀に囲まれた立派な家が多く
明治の初め、困窮した士族を救済するために配布されたと言う夏ミカンが今もあちこちにたくさん生っている。
敵の侵入に備えて道を鍵の手に曲げた「鍵曲」を行くと
その先にあるのは口羽家住宅という1018石取りの大身のお屋敷。さすがに表門が立派だが
主屋の内部は思いのほか質素。付属の建物がたくさんあったのだろうか。
他にここまで来る観光客はあまりいないらしく、担当のボランティアのおばさまは説明する意欲満々で迎えてくださったが、残念ながらここでタイムアップ。駅に向かわないと列車に乗り遅れてしまう、と早々に辞去したら随分がっかりさせてしまったようだ。
ここまでたくさん歩いてきたので、帰りは指月公園の前から循環バスで萩駅まで。
あいにくの天気の中での散策になってしまったが、萩はボランティアのおばさまの言う通り、商売っ気がなくて地味で、それがとてもいい感じだった。
今年は萩市民の皆様の期待通りに観光客が増えるだろうか。
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長門湯本駅からは7分で長門市、ここからは乗ってきた美祢線の列車がそのまま山陰本線の東萩行きになる。
海を眺めながら乗ること30分、終点一つ手前の萩駅で下車。
レトロな駅舎がかわいい萩駅だが、町の中心は東萩の方に移ってしまっているので無人の乗車口は片隅にあるだけ。
駅舎の大部分は「萩市自然と歴史の展示館」になってしまっている。
駅舎の隣には「NHK大河ドラマ決定」の看板が大きく掲げられた観光協会。
ここで地図などをもらい、大きな荷物も預かってもらって町歩きに出発。
萩駅前には店もなく、人通りもなくて寂しいが、しばらく行くと橋本川に突き当たるので川沿いを歩く。
やがて到着するのは藍場川。川と言っても用水路で、この水路沿いには藩政時代の下級武士が住んでいた。
その一軒が公開されている旧湯川家屋敷。
入ってすぐの台所には用水路へ降りる階段がついていて、庭から流れてきた水をここで洗い物に使って用水路に流すようになっている。これをハトバというのだそう。
明治の初めに改築されたと言うこの屋敷の主は23石取りということで座敷は質素だが、つい10数年前までは子孫のおばあちゃんが住んでいた、とここに座っていたボランティアのおばさまが教えてくれた。
静かな住宅の並ぶ道を戻って町の中心に向かううちに天気が崩れて雨が降ってきてしまった。
途中で傘を買い、やってきたのは旧萩藩校明倫館。
堂々たる木造校舎が4棟も並ぶのは旧明倫小学校。さすがにもう使われていないが、こんなに立派な校舎は見たことがない。
その脇にあるのが有備館という藩政時代の剣術と槍術の道場。
ここにもボランティアのおばさまがいらっしゃって、来場者がなく退屈していたのだろう、大河ドラマの撮影がここで行われたことなど、いろいろ話してくださる。
「山口は宣伝が下手だから」とおっしゃっていたが、その分NHKへの期待が大きいらしい。
「ドラマ、見てくださいね」と言われちゃったのでちゃんと見てますよ、まだ2回だけだけど。
水練池の向こうに建っているのは素敵な現在の明倫小学校。
藩主がくぐったという門の向こうの体育館は今年の初めから大河ドラマ館になっているらしい。
さらに雨の中を歩いて城下町のあたりまで来るとやっと観光客の姿が見えた。
観光バスだと松下村塾とこの辺りにしか来ないのだろうか。
木戸孝允=桂小五郎の生家があるが、藩医の家は小さくて質素だ。
ちょうどお昼になったので築200年の家を改装したカフェで一休み。
素敵な女性たちの営むお店、野菜がいっぱい乗ったカレーがおいしかった。
食後はすぐ隣にある豪商・菊屋家住宅へ。
藩の御用商人の屋敷だが藩の御用屋敷として使われることが多かったそうで、そのため座敷も庭も立派。
トイレまで畳敷きなのだからたいしたものだ。
菊屋家の先にあるのは高杉晋作の生家。
こちらは200石の上士なので門構えも立派。
この他にも萩市は山縣有朋だの、久坂玄瑞だの、幕末志士の誕生地だらけだ。
ここからさらに萩城の方角に進むと、伝統的建造物群保存地区に指定された住宅地になる。
古い塀に囲まれた立派な家が多く
明治の初め、困窮した士族を救済するために配布されたと言う夏ミカンが今もあちこちにたくさん生っている。
敵の侵入に備えて道を鍵の手に曲げた「鍵曲」を行くと
その先にあるのは口羽家住宅という1018石取りの大身のお屋敷。さすがに表門が立派だが
主屋の内部は思いのほか質素。付属の建物がたくさんあったのだろうか。
他にここまで来る観光客はあまりいないらしく、担当のボランティアのおばさまは説明する意欲満々で迎えてくださったが、残念ながらここでタイムアップ。駅に向かわないと列車に乗り遅れてしまう、と早々に辞去したら随分がっかりさせてしまったようだ。
ここまでたくさん歩いてきたので、帰りは指月公園の前から循環バスで萩駅まで。
あいにくの天気の中での散策になってしまったが、萩はボランティアのおばさまの言う通り、商売っ気がなくて地味で、それがとてもいい感じだった。
今年は萩市民の皆様の期待通りに観光客が増えるだろうか。
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