Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

2つのアフガニスタン展 in 上野

2016-06-03 18:13:46 | 機内食・映画・美術展
久しぶりに平日の昼間に美術展に行ってきた。

目的は上野の東京国立博物館、表慶館で開催中の「黄金のアフガニスタン展」
  
 入口には大勢の人だかりがしてなにやらカメラも回っている。
どうやら入場者が10万人を超えたとかで、10万人目のお客さんに記念品が渡されている模様。

その様子を横目に見ながら会場に入ると、中は予想以上の混雑。
平均年齢60代半ばと思しき観客で、相変わらず女性たちが元気だ。

今回の展覧会は元々アフガニスタンのカーブル国立博物館に所蔵されていた黄金製品を中心としたコレクション。
1989年、ソ連侵攻とそれに続く内戦の激化で博物館が危機にさらされた時、当時の政府の指示でごく少数の博物館員が小さくてもっとも貴重なものだけをこっそりと中央銀行の地下金庫に避難させたのだそう。
その秘密が無事に守られ、2003年にようやく金庫の扉が開けられたが、その時には金庫の鍵を持っていた人も亡くなっていて金庫を破壊しなければならなかった、とは先日NHKで放送された番組で知った。
心ある人々が命がけで守った、その意味でも貴重なコレクションなのだ。

展示の中心はタイトルにもある通り黄金製品で
 始めに登場するこの黄金の杯はなんと紀元前2000年のもの。
写真は博物館のHPから

次のアイ・ハヌム遺跡はアレキサンダー大王の遠征により作られたギリシャ植民都市なのでギリシャ風の物が多いのだが
 この円盤のレリーフにはギリシャの神様とアナトリアの神様、それにアジア風の神官が同居しているのだそうだ。

圧巻はティリヤ・テペという紀元1世紀ごろの遊牧民の王族の墓からの出土品で
  
いかにも中央アジアらしい羊や、女性の首を飾っていたネックレスなど、デザインも技術も現代の物と比べてまったく遜色がない。
 この黄金の冠も同じ墓の女性がかぶっていたもので、会場では日本の藤の木古墳出土の冠との共通性が挙げられていたが、ソウルの国立博物館でも似たような冠があったな、と思い出す。

おばさんたちがへばりついてなかなか前に進まない黄金製品の展示の後にはべグラム出土のローマガラスやインドの象牙細工の展示もすばらしくて、アフガニスタンがまさに東西文化の十字路として繁栄していたことがありありとわかる。
苦難の歴史もそのためであったかもしれないが、この貴重な宝物をよく残してくれたと思う。

国立博物館の展示を堪能した後はその足ですぐ近くの東京芸術大学へ。

  こちらの渋い陳列館で開催されているのは「SOS in Afghanistan」という特別展。

入場無料の会場に入ると、1階に展示されているのは元芸大学長の平山郁夫さんが提唱して集められたアフガニスタンからの流失文化財の数々。
  
  
バーミヤンやフォラディの石窟から剥がされてしまった壁画や 
   
ハッダなどから持ち出された仏様。頭だけ海外に行ってしまって、体の方はどうなったことか。

そして2階へ上がって
 この小さな入口をくぐると
  
破壊されて永遠に失われてしまったバーミヤン大仏の頭上にあった壁画の立体レプリカ。
正面のスクリーンには大仏の目から見たバーミヤンの景色が映し出されている。

このレプリカの制作過程もNHKの番組で紹介していたが、1970年代に京都大学の調査団が撮っていたポジフィルムをつなぎ合わせ、和紙に印刷して実物と同じ顔料で補正し、正確な3Dの構造体に張り付けて元の質感まで再現したと言う大力作。

一部すでに剥落していた部分も想定復元しているそうで
  
中央に巨大な太陽神、その両側に有翼の女神が馬車に乗っている図は仏教ではなくイランのミスラ信仰の影響とか。
大仏の頭上の壁画からも文化が交錯していることがわかって、この復元プロジェクトはすごい。

この天井の下にも流失文化財が展示されていて
  
  
この会場だけで87点、先の東京国立博物館にも15点あって、そのすべて102点がこの展覧会終了後にはアフガニスタンに返還されることになっているとか。
アフガニスタンのものはアフガニスタンに返すべきではあるものの、果たしてこのタイミングで時期尚早ではないのか、といささか心配にもなるが。

 出口で1000円の寄付をするとこのとても立派な報告書がもらえる。
センターには1973年のバーミヤンの風景写真があって

たとえ大仏がいなくなってもアフガニスタンに行きたいなあ。


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コメント (2)
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