2月3日 続き
ニズワの見学を終え、車は町を出て西へ向かう。
しばらく行くと広大な土地が長い塀に囲まれている所があり、運転手が「王様の住まいだ」と教えてくれる。
なんでも国中にいくつかこのような住まいがあるそうだが、長い塀の向こうの建物はまったく見えず、少なくとも外から見る限りは贅沢そうな暮らしぶりには見えない。
そのまたちょっと先の路傍にラクダを発見。
と、この辺りまではまだわずかに緑が見えたのだが
進むにつれて平らな周辺の景色は砂色一色になって行く。
しかもこの日はどんよりとした曇天の上に風が強くて、道路上を砂が吹き流されて行く。
わずかにある防砂林も何の役にも立たない。
これから向かうのはルブ・アル・ハーリー砂漠。
英語では Empty Quarter (空白の一角)と訳されるこの砂漠はオマーン、UAE、サウジ、イエメンの4カ国にまたがり、長さは1000キロ、幅500キロでアラビア半島の3分の1を占めると言う広大さ。
完全な砂砂漠としては世界最大だそうで、ラクダなども住めないほど過酷な環境だと言う。
そんなところなので、これまで行ったリビアやアルジェリアのように道もない砂の中を行くものと思っていたが、幹線道路を外れても簡易舗装道路が続く。
そのわけはやがて道路脇に見えてくるものでわかる。
延々と続く石油や天然ガスのためのパイプライン。
ずいぶん華奢なパイプで無防備なようにも見えるが、ところどころに工場も見えて、工場労働者のための集落もある。
そんな集落の一つでランチ・ストップ。
コンテナ村の前に小さなモスクがあるが、ちょうど金曜日のお昼ということで、我々が着いたと同時にモスクから出てきた人たちが唯一のレストランにぞろぞろと入ってしまった。
そこで我々のお昼はここからテイクアウト。
練り物のようなお肉とオムレツのハンバーガー。外は強風なので車の中でいただいたが、食べるものがもらえるだけありがたい。
それにしてもレストランに出入りする労働者はほとんどインドやパキスタンからと思しき人々。
こんなところでの生活はさぞ過酷だろうと思うが、どれだけの稼ぎになるやら。
周りの景色はいよいよ荒涼としてきて
やがて車は簡易舗装の道からもはずれた。
するとそれまでまっ平らだった砂地に突然と言った感じで砂山が現れ出した。
そんな中、停まった所には小さな水たまり。
これが太古の海水が湧き出ているものだそうで、確かに舐めると塩辛いし、まわりには塩の結晶が見える。
この周りもいつもは真っ白なのだが、今日は砂が吹き付けるので茶色い景色になっちゃったらしい。
ここからさらに進んで、前方に高い砂山が見えた所が今夜の宿泊地となった。
しかしここからが大変。
寝るためには自分たちのテントを張らなければならないのだが、すごい強風なので布があおられて思うようにならない。最近のテントはとてもよく出来ているので本来は簡単なのだが、ドライバーたちにも手伝ってもらってなんとか暗くなる前に設置。
周りにはもちろん誰もいない。
我々のテントが出来上がると、ドライバーたちはさらに食堂用大型テントを張り、中で夕食の準備を始めた。
普通こういったテント泊の場合、ドライバーやガイドの他にキッチン・スタッフが付いてくるのだが、今回はガイドもコックもなし、すべて4人のドライバーが用意する。
そんなわけで事前の案内で「とても簡単な食事になります」と言われていたので、缶詰を開けるぐらいかと思っていたのだが
見ているとちゃんと肉や野菜を切り、本格的に煮込んでいる。おかげで結構時間がかかり、すっかりお腹が空いたが
出来上がった野菜のトマト煮込みも羊のシチューもおいしくて、しっかりおかわりさせていただいた。
食後は星も見えない夜なのですぐに寝袋に入って寝てしまったが、夜中過ぎまでテントの周りを風が吹きまくっていた。
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ニズワの見学を終え、車は町を出て西へ向かう。
しばらく行くと広大な土地が長い塀に囲まれている所があり、運転手が「王様の住まいだ」と教えてくれる。
なんでも国中にいくつかこのような住まいがあるそうだが、長い塀の向こうの建物はまったく見えず、少なくとも外から見る限りは贅沢そうな暮らしぶりには見えない。
そのまたちょっと先の路傍にラクダを発見。
と、この辺りまではまだわずかに緑が見えたのだが
進むにつれて平らな周辺の景色は砂色一色になって行く。
しかもこの日はどんよりとした曇天の上に風が強くて、道路上を砂が吹き流されて行く。
わずかにある防砂林も何の役にも立たない。
これから向かうのはルブ・アル・ハーリー砂漠。
英語では Empty Quarter (空白の一角)と訳されるこの砂漠はオマーン、UAE、サウジ、イエメンの4カ国にまたがり、長さは1000キロ、幅500キロでアラビア半島の3分の1を占めると言う広大さ。
完全な砂砂漠としては世界最大だそうで、ラクダなども住めないほど過酷な環境だと言う。
そんなところなので、これまで行ったリビアやアルジェリアのように道もない砂の中を行くものと思っていたが、幹線道路を外れても簡易舗装道路が続く。
そのわけはやがて道路脇に見えてくるものでわかる。
延々と続く石油や天然ガスのためのパイプライン。
ずいぶん華奢なパイプで無防備なようにも見えるが、ところどころに工場も見えて、工場労働者のための集落もある。
そんな集落の一つでランチ・ストップ。
コンテナ村の前に小さなモスクがあるが、ちょうど金曜日のお昼ということで、我々が着いたと同時にモスクから出てきた人たちが唯一のレストランにぞろぞろと入ってしまった。
そこで我々のお昼はここからテイクアウト。
練り物のようなお肉とオムレツのハンバーガー。外は強風なので車の中でいただいたが、食べるものがもらえるだけありがたい。
それにしてもレストランに出入りする労働者はほとんどインドやパキスタンからと思しき人々。
こんなところでの生活はさぞ過酷だろうと思うが、どれだけの稼ぎになるやら。
周りの景色はいよいよ荒涼としてきて
やがて車は簡易舗装の道からもはずれた。
するとそれまでまっ平らだった砂地に突然と言った感じで砂山が現れ出した。
そんな中、停まった所には小さな水たまり。
これが太古の海水が湧き出ているものだそうで、確かに舐めると塩辛いし、まわりには塩の結晶が見える。
この周りもいつもは真っ白なのだが、今日は砂が吹き付けるので茶色い景色になっちゃったらしい。
ここからさらに進んで、前方に高い砂山が見えた所が今夜の宿泊地となった。
しかしここからが大変。
寝るためには自分たちのテントを張らなければならないのだが、すごい強風なので布があおられて思うようにならない。最近のテントはとてもよく出来ているので本来は簡単なのだが、ドライバーたちにも手伝ってもらってなんとか暗くなる前に設置。
周りにはもちろん誰もいない。
我々のテントが出来上がると、ドライバーたちはさらに食堂用大型テントを張り、中で夕食の準備を始めた。
普通こういったテント泊の場合、ドライバーやガイドの他にキッチン・スタッフが付いてくるのだが、今回はガイドもコックもなし、すべて4人のドライバーが用意する。
そんなわけで事前の案内で「とても簡単な食事になります」と言われていたので、缶詰を開けるぐらいかと思っていたのだが
見ているとちゃんと肉や野菜を切り、本格的に煮込んでいる。おかげで結構時間がかかり、すっかりお腹が空いたが
出来上がった野菜のトマト煮込みも羊のシチューもおいしくて、しっかりおかわりさせていただいた。
食後は星も見えない夜なのですぐに寝袋に入って寝てしまったが、夜中過ぎまでテントの周りを風が吹きまくっていた。
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