2月1日 続き
昼食を摂ったのはアル・ハムラの新市街だが、次は旧市街へ向かう。
緑のヤシ畑の向こうに見える茶色い家並みが旧市街。
この町は1950年代の反乱の際、国王を支援する英国軍によって破壊されたのだとか。
そんな一角に入ると周りの家々は閑散として確かにあまり人が住んでいないようだが、建物は結構残っている。
土壁に小さな窓が並ぶさまはイエメンに似ている、と思ったらこのあたりの住民は昔イエメンから移住してきたのだそうで、だから昼食のレストランもイエメン料理だったわけ。
入って行ったのはこの中の一軒、「ベイト・アス・サファー」という民俗資料館。
階段を上った2階が居住空間で、本来はガイドがこの家の説明をするはずだが先客がいて忙しい。
そこでまずは雰囲気のいい客間でオマニ・コーヒーとデーツをいただく。
ヒョッコリ顔を出したおじいちゃんも味がある。
ガイドがまだ空かないので、次は勝手に台所へ。
階段を降りた土間にはむしろが敷かれ、女性が二人待ち構えている。
ここで見せてくれるのは最近日本でも有名になったモリンガ・オイルの作り方。
まずはモリンガの種を炒って外皮を剥き、中の種を石ですりつぶしてこれをぎゅうぎゅう押す。するとオイルが抽出されると言うわけでなかなかの重労働。一本いくらだったか、グループのおばさんが一人、在庫をすべてお買い上げになった。
もう一人のおばさんは生地をぺたぺたと鉄板に押し付けて薄焼きパンを作ったり、組紐を作ったりと愛想がいいが、腕に巻いてくれる組紐は「1リヤル」。オマーン・リヤルは約300円なので、気を付けないととても高い。
そうこうしているうちに時間がなくなり、結局ガイドの話は10分も聞かずに退散。
こうした家に家族2、30人も暮らしていたこと、今でもオマーンは大家族で住むのが一般的であることだけはわかった。
次に向かったのはアル・ハムラの上に見えていたミスファット・アル・アブリーンという村。
山の中腹、標高約1000メートルにある。
近づくと道路沿いに新しい家は建っているものの、古くからある村の中心部へは車は入れないということで、一泊分の荷物を持って徒歩で今夜の宿へ向かう。
10分もかからない、と言う話だったのだが
岩のゴロゴロする斜面をヤシ畑の向こうに見える家々に向かってひたすら下り。
途中からはファラージと呼ばれる灌漑システムの水路のへりを歩いて20分強。やっと宿の看板が見えて
Misfah Old House に到着。名前通り、伝統的な村の家がホテルになっている。
ここに到着したのが17時。
本来はこの昔ながらの村を2~3時間歩くはずだったのだが、民俗資料館で時間を喰ってしまったのでもう日暮れが近い。
と言うことで荷物だけ置いてすぐに出発。
ファラージをたどって岩場まで。この奥に水源の泉があって、各畑への水の供給は村人によって厳格に管理されているのだそうだ。
村の周りには岩壁がそそりたち、畑にはバナナやパパイヤの木も見えるがほとんどはデーツ。
宿の近くに戻ると紐一本でヤシの木に登る様子を見せてくれたが、見ると別の人が面白いものを持っている。
1メートルもある大きな莢のようなもので、中にびっしり見えるのがヤシの花だとか。初めて見たが、この花一つ一つが実になるとしたら、そりゃいっぱいできるはずだ。
その後ようやく宿の部屋に入って一息。
建物は2つに分かれ、各フロア3部屋ごとにお湯の出るバスルーム付き。
部屋にはエアコンも完備、お布団もタオルもきれいで、ロビーにはWiFiも飛んでいる。
夕食は階段を上がった屋上で。
やさしい味付けのグリルチキンや野菜の煮物。デザートにはこの村で採れたデーツ、これがおいしい。
村の夜は静かで良く眠れた。
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昼食を摂ったのはアル・ハムラの新市街だが、次は旧市街へ向かう。
緑のヤシ畑の向こうに見える茶色い家並みが旧市街。
この町は1950年代の反乱の際、国王を支援する英国軍によって破壊されたのだとか。
そんな一角に入ると周りの家々は閑散として確かにあまり人が住んでいないようだが、建物は結構残っている。
土壁に小さな窓が並ぶさまはイエメンに似ている、と思ったらこのあたりの住民は昔イエメンから移住してきたのだそうで、だから昼食のレストランもイエメン料理だったわけ。
入って行ったのはこの中の一軒、「ベイト・アス・サファー」という民俗資料館。
階段を上った2階が居住空間で、本来はガイドがこの家の説明をするはずだが先客がいて忙しい。
そこでまずは雰囲気のいい客間でオマニ・コーヒーとデーツをいただく。
ヒョッコリ顔を出したおじいちゃんも味がある。
ガイドがまだ空かないので、次は勝手に台所へ。
階段を降りた土間にはむしろが敷かれ、女性が二人待ち構えている。
ここで見せてくれるのは最近日本でも有名になったモリンガ・オイルの作り方。
まずはモリンガの種を炒って外皮を剥き、中の種を石ですりつぶしてこれをぎゅうぎゅう押す。するとオイルが抽出されると言うわけでなかなかの重労働。一本いくらだったか、グループのおばさんが一人、在庫をすべてお買い上げになった。
もう一人のおばさんは生地をぺたぺたと鉄板に押し付けて薄焼きパンを作ったり、組紐を作ったりと愛想がいいが、腕に巻いてくれる組紐は「1リヤル」。オマーン・リヤルは約300円なので、気を付けないととても高い。
そうこうしているうちに時間がなくなり、結局ガイドの話は10分も聞かずに退散。
こうした家に家族2、30人も暮らしていたこと、今でもオマーンは大家族で住むのが一般的であることだけはわかった。
次に向かったのはアル・ハムラの上に見えていたミスファット・アル・アブリーンという村。
山の中腹、標高約1000メートルにある。
近づくと道路沿いに新しい家は建っているものの、古くからある村の中心部へは車は入れないということで、一泊分の荷物を持って徒歩で今夜の宿へ向かう。
10分もかからない、と言う話だったのだが
岩のゴロゴロする斜面をヤシ畑の向こうに見える家々に向かってひたすら下り。
途中からはファラージと呼ばれる灌漑システムの水路のへりを歩いて20分強。やっと宿の看板が見えて
Misfah Old House に到着。名前通り、伝統的な村の家がホテルになっている。
ここに到着したのが17時。
本来はこの昔ながらの村を2~3時間歩くはずだったのだが、民俗資料館で時間を喰ってしまったのでもう日暮れが近い。
と言うことで荷物だけ置いてすぐに出発。
ファラージをたどって岩場まで。この奥に水源の泉があって、各畑への水の供給は村人によって厳格に管理されているのだそうだ。
村の周りには岩壁がそそりたち、畑にはバナナやパパイヤの木も見えるがほとんどはデーツ。
宿の近くに戻ると紐一本でヤシの木に登る様子を見せてくれたが、見ると別の人が面白いものを持っている。
1メートルもある大きな莢のようなもので、中にびっしり見えるのがヤシの花だとか。初めて見たが、この花一つ一つが実になるとしたら、そりゃいっぱいできるはずだ。
その後ようやく宿の部屋に入って一息。
建物は2つに分かれ、各フロア3部屋ごとにお湯の出るバスルーム付き。
部屋にはエアコンも完備、お布団もタオルもきれいで、ロビーにはWiFiも飛んでいる。
夕食は階段を上がった屋上で。
やさしい味付けのグリルチキンや野菜の煮物。デザートにはこの村で採れたデーツ、これがおいしい。
村の夜は静かで良く眠れた。
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