インドビザを無事に受け取った帰り道、せっかく芝に来たので増上寺に寄ってみた。
背後に東京タワーのそびえる有名なお寺だけれど、境内に入るのは初めて。
本堂もさすが広くて美々しい。
ちょうど時分どきなので、境内の茶店でお昼をいただくことにする。
木陰にひっそりとある小さな店をおばさんが一人で切り盛りしているが
ここのおばんざい定食、小魚の甘露煮にポテトサラダ、卵焼きにおひたしなど、地味~においしい。手前味噌だと張り紙のあったお味噌汁もさすがにおいしくて、なにげにこだわりの店っぽいところがいい。
さて、増上寺は浄土宗の大本山の一つだけれど、徳川家康の帰依以来、徳川将軍家の菩提寺として栄えたお寺。
家康はもちろん日光東照宮に葬られているが、ここには二代秀忠、六代家宣、七代家継、九代家重、十二代家慶、十四代家茂の6人の墓所がある。
元々はそれぞれに立派な霊廟があり、今はプリンスホテルが立っている場所に立ち並んでいたそうだが、すべて第二次大戦の空襲で焼失してしまったとのこと。
中でも立派だったのは二代秀忠の霊廟だったのだが、その精巧な模型が1910年、ロンドンで開催された日英博覧会のために作られ、英国王室のコレクションの中に埋もれていたものが増上寺に長期貸与(実質返還)されたので、そのために宝物展示室が作られ、この4月から公開されている。
場所は本堂の地下。外から下に降りる階段を下りて行くとまるで劇場のような広々としたロビーがあってその先に展示室がある。
展示室内は撮影禁止なのでこれはHPからお借りしたが、実物の10分の1というこの模型が立派なこと。
大きさもさることながら細かい細工も見事で、さすが東京美術学校が威信をかけて作っただけある。
実物の霊廟は焼失前は国宝だったそうだが、どれだけ豪華だったことか。
この模型の展示された部屋一つだけの宝物館を出てさらに境内の奥へ行くと、霊廟が焼失してしまったので各将軍の宝塔を1ヶ所に集めた徳川将軍家墓所への入り口がある。
ここも以前は通常非公開だったものが、この4月から毎日公開されるようになったもの。
紫のちょっと安っぽい門をくぐるとその先にはずらりとお地蔵様と風車が並んでいてびっくり。
昭和50年から置かれているものらしいが、毛糸の帽子に苔むしているものまである。
この先に両脇に龍が彫られた葵の御紋の門があって、その脇の小さな入口から中に入ると6代の将軍とその正室の宝塔が並んでいる。
これは二代秀忠とお江の方。
十四代家茂と正室の和宮は別々の宝塔が建てられているが、和宮の方がちょっと大きい。やはり見学に来ていたどこかのおじさんの解説によると「和宮は皇室の人間で将軍家より上だから大きく作ったんだ」って本当かね。
中央にある掲示板によると水色の部分が現在の増上寺の敷地、ピンクの部分が現プリンスホテルだそうで、霊廟群がいかに大きかったかがよくわかる。
焼失前の写真を見てもまるで御殿のようで
宝物館、墓所あわせて1000円の入館料にはこの写真の絵葉書も付いてくる。
インドビザのおかげでも面白いものが見られた。
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背後に東京タワーのそびえる有名なお寺だけれど、境内に入るのは初めて。
本堂もさすが広くて美々しい。
ちょうど時分どきなので、境内の茶店でお昼をいただくことにする。
木陰にひっそりとある小さな店をおばさんが一人で切り盛りしているが
ここのおばんざい定食、小魚の甘露煮にポテトサラダ、卵焼きにおひたしなど、地味~においしい。手前味噌だと張り紙のあったお味噌汁もさすがにおいしくて、なにげにこだわりの店っぽいところがいい。
さて、増上寺は浄土宗の大本山の一つだけれど、徳川家康の帰依以来、徳川将軍家の菩提寺として栄えたお寺。
家康はもちろん日光東照宮に葬られているが、ここには二代秀忠、六代家宣、七代家継、九代家重、十二代家慶、十四代家茂の6人の墓所がある。
元々はそれぞれに立派な霊廟があり、今はプリンスホテルが立っている場所に立ち並んでいたそうだが、すべて第二次大戦の空襲で焼失してしまったとのこと。
中でも立派だったのは二代秀忠の霊廟だったのだが、その精巧な模型が1910年、ロンドンで開催された日英博覧会のために作られ、英国王室のコレクションの中に埋もれていたものが増上寺に長期貸与(実質返還)されたので、そのために宝物展示室が作られ、この4月から公開されている。
場所は本堂の地下。外から下に降りる階段を下りて行くとまるで劇場のような広々としたロビーがあってその先に展示室がある。
展示室内は撮影禁止なのでこれはHPからお借りしたが、実物の10分の1というこの模型が立派なこと。
大きさもさることながら細かい細工も見事で、さすが東京美術学校が威信をかけて作っただけある。
実物の霊廟は焼失前は国宝だったそうだが、どれだけ豪華だったことか。
この模型の展示された部屋一つだけの宝物館を出てさらに境内の奥へ行くと、霊廟が焼失してしまったので各将軍の宝塔を1ヶ所に集めた徳川将軍家墓所への入り口がある。
ここも以前は通常非公開だったものが、この4月から毎日公開されるようになったもの。
紫のちょっと安っぽい門をくぐるとその先にはずらりとお地蔵様と風車が並んでいてびっくり。
昭和50年から置かれているものらしいが、毛糸の帽子に苔むしているものまである。
この先に両脇に龍が彫られた葵の御紋の門があって、その脇の小さな入口から中に入ると6代の将軍とその正室の宝塔が並んでいる。
これは二代秀忠とお江の方。
十四代家茂と正室の和宮は別々の宝塔が建てられているが、和宮の方がちょっと大きい。やはり見学に来ていたどこかのおじさんの解説によると「和宮は皇室の人間で将軍家より上だから大きく作ったんだ」って本当かね。
中央にある掲示板によると水色の部分が現在の増上寺の敷地、ピンクの部分が現プリンスホテルだそうで、霊廟群がいかに大きかったかがよくわかる。
焼失前の写真を見てもまるで御殿のようで
宝物館、墓所あわせて1000円の入館料にはこの写真の絵葉書も付いてくる。
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JAFに免許の翻訳に行き、2回目は友人夫妻の東京タワー見物ついでに立ち寄ったのですが、茶店の存在に気が付かなかったのはどうしてだろうか?
第二次世界大戦の空爆がなければ、東京はどんな姿だったのだろう?と良く考えます。
この立派な霊廟が焼失してしまったのは本当に勿体ない。
茶店は脇の奥まったところにあるので、そこを目当てに探さないとまず気が付かないと思います。隣ではお坊さんがソフトクリームなめてたりして面白かった。
徳川の霊廟はほんとにすごかったみたいですね。その跡地にホテルを建てるなんて、その経緯も興味深いものがあります。