Luntaの小さい旅、大きい旅

ちょっとそこからヒマラヤの奥地まで

春のオランダ 17 デン・ボス散策

2016-06-07 18:48:29 | ヨーロッパ
4月1日

B&B 180 Gradenの朝。

冷蔵庫の中には食材がたくさん用意されているが、その上さらに
 こんなトレイがやってきた。
キッチンにはネスプレッソの機械があり、電動オレンジ絞り器なんてものも初めて使った。

たっぷりの朝ご飯で満腹になったところで行動開始。

  
運河沿いにものすごくとんがった家など見ながら歩いて行くと、対岸の西教会の下にすごい行列ができている。
 この列が入って行く先は「アンネの家」。
行列は大きな教会をぐるっと回って反対側にまで伸びているのには恐れ入った。

そんな大行列を横目に、我々はトラムに乗って中央駅へ。
  
中央のホールに入るとピアノが置いてあって、これは誰でも弾いていいらしいが、腕に自信がなければここでは弾けまい。

 ホームに上がって、乗り込んだのはマーストリヒト行きの列車。
今日はオランダ訪問の3つ目の目玉、「ボッシュ展」を見るために画家の生まれ故郷に行くのだ。

平らな田園風景の中を走ること1時間で目的地、スヘルトーヘンボス、通称デン・ボスに到着。
 
漠然と田舎の村を想像していたのだが、到着前には工場なども見え、駅も立派でちょっとびっくり。
 駅前の広い通りをしばらく行くと黄金のドラゴンがいたが、これが町のシンボルらしい。

予想外に大きな町を歩くこと10分ほどで橋があり、運河を渡る。旧市街はこの運河に三方を囲まれた形になっているようだが
  
 岸辺に早速ボッシュ(ボスの方が正しいのか)のレプリカ発見。
今年この町はヒエロニムス・ボッシュ没後500年ということで町を挙げてイベントを開催しており、町中のあちらこちらに画家にちなんだモニュメントを設置してウォーキング・ルートにしているのだ。

さて、ボッシュ展のチケットはオンラインで予約してあり、入場時間の指定がある。
それまでまだしばらく時間があるので、町を少し歩いてみることにする。

そこで情報収集しようとまずは町の観光案内所へ。
 この建物自体がオランダでも現存する最古の家かもしれない13世紀のものだそうで
  
  
中に入れば様々なボッシュ・グッズがお出迎え。

しかしまだここで買い物をするわけにはいかない、と地図だけもらって外に出れば
 眼の前の広場が市場になっている。
 
もうすっかりおなじみの八百屋や魚屋、花屋にまじってきのこ専門店なんてものもあって、やっぱり市場は楽しい。

  
その少し先にそびえる高い塔は聖ヤン大聖堂。1370年から1529年にかけて建てられたと言うゴシック様式の聖堂はすごく立派で、この町が中世にいかに繁栄していたかの象徴。だからボッシュのような画家に活躍の場があったのか、と納得がいく。

ここはカソリックなので内部の装飾も他のプロテスタントの教会に比べて華やか。
  
  
古いステンドグラスと並んで最近の物と思われるものもある。
 ところでこの教会内の柱には聖人やら坊さんやら無数の彫像があるのだが、ガイドブックによると一体、最近作られたとても面白い天使像があると言う。
そこで目を皿のようにして見て回るがどうもそれらしきものがない。と、そこで思いついて外に出てみると
 
案の定、双眼鏡で屋根を見上げているおじさんがいる。その視線の先、装飾だらけの屋根の上には 
 ズボンをはき、携帯でお話し中の天使(笑)。

聖堂のこちら側には足場が組まれ、よく見ると屋根の上に上がっている観光客がいる。そこで我々も上がれるかと思ったら、この屋根の上の彫像を見るには事前にツアーを予約しなければならなかったらしい。
これも500年祭の特別イベントとのことで、ここまではリサーチが行き届かず無念。

この後はボッシュ全作品のレプリカを集めたと言うボッシュ・アート・センターに行こうかと思ったが、予想外に遠くて時間がかかりそうだし、これから本物を見るのだからと断念。

平日にもかかわらず多くの人でにぎわうショッピング・ストリートを歩き
  
  
もう一つボッシュのモニュメントを見つけたところで、さあ、メインイベントに向かおう。


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泉岳寺で富山の魚@「紋屋」

2016-06-06 19:16:25 | 食べ歩き
久しぶりで会うマダムなお友達、和食がご所望ということで選んでみたのは泉岳寺のお店。

  
名前の通り、お寺の門をくぐって左手にひっそりと入口のある「泉岳寺門前 紋屋」

こちらのお店は富山の食材を使っていると言うことで、予約不要の会席御膳をお願いすると
 一の膳はお造りにクレソンとあさりのおひたし、かぼちゃのすり流し。
お造りは醤油の効いた海苔で食べるようになっているのが珍しくて面白い。
 二の膳はウニ真薯に焼きナス。
 三の膳の鯛の幽庵焼きがさすがのおいしさで、天ぷらのニギスもキスより上品な味。
特筆すべきはご飯のおいしさで、聞けば富山のお米をお釜で炊いているとのこと。男前の板さんがナッツ入りのフキ味噌を持って来てくださって、これでなおさらご飯が進む。
 デザートはなんとゴボウのアイス。ゴボウの香り高くて、デザートというよりはお料理みたい。
グラスに入っているのはこれもサービスされた自家製ジンジャーエール。飲みやすくて、うま~い。

こちらはお寺の法事などに使われることが多いのだろうが、静かでとても上品な空間。
お料理の量がいささか上品すぎて期待したほど富山のお魚三昧ではなかったのはもっとお高いコースをお願いすべきだったか。

食後はせっかくなので泉岳寺にお参り。
自分はもうずいぶん前に一度来たことがあるはずだけれど、連れは東京生まれ東京育ちながら今回はじめてお参りすると言う。
近くに住んでいるとわざわざは来ないものだ。

泉岳寺は徳川家康が創建し、三代家光が高輪に移した曹洞宗のお寺。
  
本堂は東京のこととて第二次大戦で焼失して戦後に建てられたものだそうだが
 山門は天保時代のものが残ったそうでその前に斜めにそびえる松が立派。

そして泉岳寺と言えばあまりにも有名な赤穂浪士のお墓。
 アプローチがやけに立派になったような気がするが
  
そこに並んでいるのは切腹した浅野内匠頭の血がかかったと伝えられている梅と石だったり、吉良上野介の首を洗ったとされる井戸だったり。

そしてずらりと並ぶ47の墓石。
 
それぞれに享年が彫られているが、大石主税くんはまだ16だったんだ。
 そのパパ、大石内蔵助は45歳。なんだか中間(でもないけど)管理職の悲哀を感じてしまう。社長がプッツンで、部下にワーワー責められたらつらいだろうな。

境内には外国人が何人も来ていたけれど、ロンプラ辺りにはどんな風に解説されているのだろうか。
機会があったらチェックしてみよう。


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「ハリマ・ケバブ・ビリヤニ」&「東京豆花工房」

2016-06-04 14:08:58 | 食べ歩き
アフガニスタン美術を堪能したあとはお腹も南アジアを求める。

そこで上野駅の反対側、浅草通りにあるこちらのお店へ。
 「ハリマ・ケバブ・ビリヤニ」

奥へ細長い店のテーブルに座り、メニューを眺めてみると「パヤ」とか「二ハリ」とか他のインド料理屋では見たことのないメニューがいっぱい。
肉はハラルで羊のメニューが多いところから見ると明らかにムスリム系、インドというよりパキスタンで、これはアフガニスタンの後にピッタリ。

珍しい料理にもおおいに心惹かれたが、説明を読むとかなり辛そうなので、ここはやはり店名にあるビリヤニで行こうとラム・ビリヤニを注文。スキンヘッドの男前に「辛いの大丈夫?」と聞かれたので「一番辛くないの」と頼んだが、にやりとされた・・・。

待つほどもなく、すぐに出されたのはサラダとラッサム。
 ラッサムは酸味ばっちり、こがした唐辛子やパクチーの香りが本格的で、辛さもちょうどよくおいしい。

と、これを食べ終わる前に主役のビリヤニが登場。
 細長~いお米が白、黄色、オレンジのまだらに染められ、スパイスの香り高く、これぞ本格派。
喜んで一口、二口、カルダモンなど複雑な香りでおいしい。そしてお米の山の中には骨付きのラム肉がたくさんひそんでいて、これがまた柔らかくて全く臭みなく、やっぱりハラルのラムはうまい!

しかししばらくするとご飯の辛さが重なってきて、ライタをかけ、サラダで口を冷やしながら食べてもつらくなってくる。無理をして食べると胃に来そうなので、あとはお肉だけ掘り出して食べると肉が甘く感じる

そんな具合にビリヤニと格闘していると「サービスです」とレンズ豆のカレーと揚げたてのパパドがやってきた。
 サービスにしては十分な量だが、この豆カレーがまた複雑なスパイスの香りに生姜も効き、こちらは辛すぎることもなくてとてもおいしくいただける。

結局ビリヤニのご飯は申し訳ないことにほとんど残してしまい、「ビリヤニの辛さはこれが普通よ」とウェイター氏に言われてしまったが、この店のスパイス使いはすばらしい。次は「辛くない」カレーでぜひリベンジしたいもの。

と上野を出て、次は秋葉原で下車。
万世橋を渡って探し当てたのはつい数日前にテレビで見たこちらのお店。
 「東京豆花工房」

奥さんが台湾人と言う男性が一人で店を切り盛りしていたが、メニューは豆花のみという潔さ。
小さな店内のイートインスペースではこれまた男性が二人、豆花を食べていたが、当然まだ満腹なのでテイクアウトを所望。
トッピングありは全部乗せも同料金ということなのでお願いすると
 
白玉、タピオカ、白きくらげ、ハトムギ、小豆、緑豆、ピーナッツと台湾らしさ100%の組み合わせ。
帰宅してからいただいてみると黒糖シロップの甘さもほどよく、豆花も豆の味がよく立って台湾でたべるそのまま。

アジア満喫の一日となった。


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2つのアフガニスタン展 in 上野

2016-06-03 18:13:46 | 機内食・映画・美術展
久しぶりに平日の昼間に美術展に行ってきた。

目的は上野の東京国立博物館、表慶館で開催中の「黄金のアフガニスタン展」
  
 入口には大勢の人だかりがしてなにやらカメラも回っている。
どうやら入場者が10万人を超えたとかで、10万人目のお客さんに記念品が渡されている模様。

その様子を横目に見ながら会場に入ると、中は予想以上の混雑。
平均年齢60代半ばと思しき観客で、相変わらず女性たちが元気だ。

今回の展覧会は元々アフガニスタンのカーブル国立博物館に所蔵されていた黄金製品を中心としたコレクション。
1989年、ソ連侵攻とそれに続く内戦の激化で博物館が危機にさらされた時、当時の政府の指示でごく少数の博物館員が小さくてもっとも貴重なものだけをこっそりと中央銀行の地下金庫に避難させたのだそう。
その秘密が無事に守られ、2003年にようやく金庫の扉が開けられたが、その時には金庫の鍵を持っていた人も亡くなっていて金庫を破壊しなければならなかった、とは先日NHKで放送された番組で知った。
心ある人々が命がけで守った、その意味でも貴重なコレクションなのだ。

展示の中心はタイトルにもある通り黄金製品で
 始めに登場するこの黄金の杯はなんと紀元前2000年のもの。
写真は博物館のHPから

次のアイ・ハヌム遺跡はアレキサンダー大王の遠征により作られたギリシャ植民都市なのでギリシャ風の物が多いのだが
 この円盤のレリーフにはギリシャの神様とアナトリアの神様、それにアジア風の神官が同居しているのだそうだ。

圧巻はティリヤ・テペという紀元1世紀ごろの遊牧民の王族の墓からの出土品で
  
いかにも中央アジアらしい羊や、女性の首を飾っていたネックレスなど、デザインも技術も現代の物と比べてまったく遜色がない。
 この黄金の冠も同じ墓の女性がかぶっていたもので、会場では日本の藤の木古墳出土の冠との共通性が挙げられていたが、ソウルの国立博物館でも似たような冠があったな、と思い出す。

おばさんたちがへばりついてなかなか前に進まない黄金製品の展示の後にはべグラム出土のローマガラスやインドの象牙細工の展示もすばらしくて、アフガニスタンがまさに東西文化の十字路として繁栄していたことがありありとわかる。
苦難の歴史もそのためであったかもしれないが、この貴重な宝物をよく残してくれたと思う。

国立博物館の展示を堪能した後はその足ですぐ近くの東京芸術大学へ。

  こちらの渋い陳列館で開催されているのは「SOS in Afghanistan」という特別展。

入場無料の会場に入ると、1階に展示されているのは元芸大学長の平山郁夫さんが提唱して集められたアフガニスタンからの流失文化財の数々。
  
  
バーミヤンやフォラディの石窟から剥がされてしまった壁画や 
   
ハッダなどから持ち出された仏様。頭だけ海外に行ってしまって、体の方はどうなったことか。

そして2階へ上がって
 この小さな入口をくぐると
  
破壊されて永遠に失われてしまったバーミヤン大仏の頭上にあった壁画の立体レプリカ。
正面のスクリーンには大仏の目から見たバーミヤンの景色が映し出されている。

このレプリカの制作過程もNHKの番組で紹介していたが、1970年代に京都大学の調査団が撮っていたポジフィルムをつなぎ合わせ、和紙に印刷して実物と同じ顔料で補正し、正確な3Dの構造体に張り付けて元の質感まで再現したと言う大力作。

一部すでに剥落していた部分も想定復元しているそうで
  
中央に巨大な太陽神、その両側に有翼の女神が馬車に乗っている図は仏教ではなくイランのミスラ信仰の影響とか。
大仏の頭上の壁画からも文化が交錯していることがわかって、この復元プロジェクトはすごい。

この天井の下にも流失文化財が展示されていて
  
  
この会場だけで87点、先の東京国立博物館にも15点あって、そのすべて102点がこの展覧会終了後にはアフガニスタンに返還されることになっているとか。
アフガニスタンのものはアフガニスタンに返すべきではあるものの、果たしてこのタイミングで時期尚早ではないのか、といささか心配にもなるが。

 出口で1000円の寄付をするとこのとても立派な報告書がもらえる。
センターには1973年のバーミヤンの風景写真があって

たとえ大仏がいなくなってもアフガニスタンに行きたいなあ。


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