7月8日
今朝もたっぷりの朝食をいただいて
宿の人懐っこい犬たちにバイバイ。
軍用道路を南に戻るが
途中にはミニミニパムッカレのような石灰棚があったり
緑の中にテント村があったりする。
ムツヘタの手前からは山岳地帯を出て高速道路に入り、進路は西へ。
平坦な高速道路はよく整備されていて快適。
右手には麦畑の向こうに低い丘陵が続くが、その向こうが問題の南オセチア。
スターリンの出身地として有名なゴリも通るが、2008年の南オセチア紛争ではこの町もロシア軍に爆撃されて大きな被害が出たとは、不勉強にして知らなかった。
南オセチアとアブハジアの分離はウクライナのクリミア半島の問題とよく似ている。ロシアがジョージアにちょっかいを出した時にちゃんと止めていれば、現在のウクライナの惨状は回避できたのだろうか。
さらに行くと2㎞の長さのリコティ・トンネルを通るが、ジョージアではこの東はアジア、西はヨーロッパと認識しているとか。
トンネルを出た所でお昼ご飯。
またドイツ風のビアホールだけれど
豆入りのロビアニもその豆を煮たものもおいしく、ケバブ巻きは大きいのが一人一本。
フルーツがモリモリに出て歓声が上がる。
この時期、特にサクランボがおいしいのだ。
朝9時にカズベギを出て、320㎞走ったクタイシの街には16時に到着。
そのまま山の中腹にあるゲラティ修道院へ。
門を入ると教会が3つと神学校の建物があるが
まずはこの修道院の創設者、12世紀のダヴィド4世の人に踏まれるべく置かれたお墓を見て
がらんとした神学校の内部も見学。ここは中世ジョージアの科学と教育の中心だったのだそうだ。
1階が吹き抜けになった教会は入ることができなかったが
一番大きな聖マリア教会は圧巻。
何しろこの教会は入り口からフレスコ画がいっぱいで
壁画フェチとしては興奮してしまう。
が、残念なことに内陣は盛大にやぐらを組んで大修復中。
なので鉄骨の隙間から壁画を眺めるしかないが
壁面を埋め尽くすビザンチン様式の壁画は素晴らしく、この修道院が世界遺産に登録されているのも当然。
外陣にはダヴィド4世と共にジョージアの黄金期を治めたというタマラ女王の壁画もあった。
最後は聖マリア教会の後ろにある少し小さな聖ゲオルギ教会。
こちらの内部もフレスコ画で覆われて見事なのだが、ちょうど子供の洗礼式の最中で写真を撮ることはできず。
しかし赤ちゃんのお父さんがあまりにも嬉しそうなので、こちらまでほっこりしてしまった。
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