コーヒーの鬼がゆく - 吉祥寺「もか」遺聞 (中公文庫) | |
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中央公論新社 |
かって吉祥寺に、、コーヒーの鬼と呼ばれた男がいた。「もか」店主、標交紀だ。彼は最初からコーヒーに入れ込んでいたわけではない。店も、もともとは、軽食も出す喫茶店として始めたという。しかし、出されていたコーヒーは、それは酷いものだったらしい。
負けん気の強い標は、全国の有名コーヒー店巡りを始めた。転機が訪れたのは、大阪で、標が師と仰ぐようになる襟立博保と出会ったことによる。標は、そこで焙煎の重要性を知り、寝る間も惜しんで焙煎の研究に没頭するようになった。自家焙煎したコーヒーを営業用に出してもいいと思うまでにはなんと5年の歳月が必要だったというから、その拘りが尋常ではないことがわかる。
お茶の世界だと、葉を選んでしまえば、味の決め手となるのは、入れ方くらいしかない。しかし、コーヒーの場合は、焙煎という工程があり、ここに、自家焙煎コーヒー店主たちの拘りが生じるのである。鬱陶しいくらいのこだわりを持った奇人変人が多いのも、コーヒー業界の特徴のようで、例えば、炒り具合、熱源などに、コーヒー店主たちの個性が反映されるのである。自家焙煎の世界は、なかなか奥が深い。
しかし、標が鬼と呼ばれるまでコーヒーに打ち込めることができたのは、夫人の和子さんの存在が大きい。なにしろ、旅行といっても、夜行で、全国のコーヒー店回りをするような強行軍だ。40ヶ国以上行った海外旅行も、すべてコーヒーがらみ。和子さんはそんな標を、付き添い支えただけでなく、厳しい標に指導される弟子たちにとっての駆け込み寺でもあった。彼女の舌や胃は、コーヒーの味の実験台となって、しょっちゅう荒れていたようである。
標は、平成19年に、67歳で亡くなった。本書は、そんな標の「コーヒー馬鹿一代」ぶりを描いた鎮魂歌である。普段は、安いコーヒーしか飲んでないが、一度、機会があれば、本書に出てくるような名店を訪ねてみたいと思う。その時、出されたコーヒーをどう感じるかで、違いがわかる男かどうか判定できるとしたら、ちょっと恐い気もするが。
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※本記事は、「本の宇宙」と同時掲載です。