文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
90以上の資格試験に合格。
執筆依頼、献本等歓迎。

書評:ニッポンの経済学部

2015-01-18 12:08:35 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
ニッポンの経済学部 - 「名物教授」と「サラリーマン予備軍」の実力 (中公新書ラクレ)
クリエーター情報なし
中央公論新社


 我が国の経済学部の状況に、研究、教育の両面から切りこんだ、「ニッポンの経済学部 - 「名物教授」と「サラリーマン予備軍」の実力 」(橘木俊詔:中公新書ラクレ)。著者の橘木氏は、小樽商科大から大阪大学の大学院に進み、ジョンズ・ホプキンス大学でPh.Dを取得後、京都大学教授、同志社大学教授を歴任し、現在は京都大学名誉教授、京都女子大学客員教授だということである。

 本書によれば、日本の大学の経済学部は、「もっとも勉強しない学部」と言われているようだ。著者は、その理由として、経済学部の授業は、大教室での一斉講義が殆どだということをあげている。たしかに、示されているデータを見る限り、学生数と教員数の比率は、文学部よりはかなり大きい。著者は、マンモス教育が可能なため、学生にとっては非効率な教育になっていることが、経済学部の学生が勉強しないことの原因の一つであるという。本当にそうだろうか。

 私は工学部の出身だが、そこでも、私らのころは、本書で著者が理想としているような対話型の授業なんて殆どなかった。工学部や文学部と違い、経済学部は、学部の中でバリエーションが少ない。例えば工学部の電気工学科と化学工学科、文学部の日本文学科と哲学科などを思い浮かべてみればれば良い。これらは、同じ学部ながら、殆ど別物の学問である。しかし、経済学部の場合は、それほどの差異はないのではないか。だから大量教育がやりやすいことは確かだ。しかし、教えられないと勉強しないというのは、大学生のあり方としてどうだろうか。最近は、こんな受動的な学生についての話を、経済学部に限らずよく聞く。良くも悪くも、日本が豊かになりすぎて、学生にハングリー精神がなくなっているということだろうか。

 ところで、意外だったのは、マル経なんて、ソ連の崩壊以来、すっかり滅んだと思っていたのだが。今でも、立命館や大阪市立大では勢いがあるという。その昔、「貧乏物語」の作者としても有名だった、マル経学者の京都大学教授・河上肇が、当局から目を付けられて辞任に追い込まれたことに端を発しているらしい。この関係で彼の弟子筋が、両大学に移ったために、今でもマル経が盛んだと言うのである。しかしそれも1928年(昭和3)の事件だというのだから、まるで博物館のように、大切に保存されていたということだろうか。

 著者は、近年のケインズの復権に併せて、「マルクス経済学もまた復活する可能性があると思われます」(p57)と述べている。確かに、昔は石を投げればマル経学者に当たるような時代もあった。しかしマルクス経済学は、ソ連という壮大な実験の結果、その負の面が露見してしまった。人々が歴史に学ぶ限り、そして、あの時代に懲りている限りは、二度と復権はあり得ないし、復権させてはいけないと思う。

 それにしても、本書に出てくる日本の経済学者には、知らない名前が多い。私が知っているのは、昨年亡くなられた宇沢弘文さんくらいだ。外国の経済学者には聞いたことがある名前が多いのに比べて少し寂しい気がする。この辺りにも、まだ日本人にノーベル経済学賞受賞者が出ない理由が透けて見えそうだ。著者は、ノーベル賞受賞者が出ない理由として、英語で論文を書くことの不利など5項目をあげているが、きっとそれだけではないだろう。戦後、マル経がはびこったために、日本の経済学者が世界的な業績を残せなかったということも一因だと思う。その一方で、近経の分野からは、宇沢さんのような世界的な学者が出ているのだから。

 また、本書にも触れられているが、多くの私学では、文系学部に分類されている経済学部の入試には数学が課せられない。これは、数学を課すと偏差値が低くなるうえに、受験生からも敬遠されるからだそうだ。しかし、現代の経済学は、数学を駆使するのである。ここに、日本人に、ノーベル賞受賞者がいないのは、数学が出来る人間が少ないからだというもう一つの理由が窺える。数学を使えばいいというものでもないが、世界で今何が研究の中心かが理解できないようでは、話にならない。いっそ、経済学部は、工学部にでも組み込んだらどうかと思ってしまう。

 上に、マル経のことをかなり辛辣に書いたが、同様に近経の市場原理主義も危険だということを指摘しておきたい。どちらにしても、一種のイデオロギーなのだ。特定のイデオロギーに縛られての発言には注意が必要である。確か、有名な女性経済学者のジョーン・ロビンソンが言ったことと思うが、「経済学を学ぶ目的は経済学者に騙されないようにするため」なのだ。これから経済学を学ぼうとする方には、ぜひ批判的な目から、各学説を学んでほしいものである。また、数学の得意な理系分野を学んだ方も、老後の趣味で経済学を勉強してみるのもかっこいいと思う。

☆☆☆

※本記事は、姉妹ブログと同時掲載です。
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顧客対応の最悪の見本? gooメールのリニューアル対応

2015-01-17 19:26:32 | オピニオン
 この間の記事で、「gooメールリニューアル」なるものの対応の悪さについて書いたが、案の定、「gooメールからのお知らせ」ブログには、ユーザからの抗議の声が集まっている。

 これに対して、gooメール側が回答が、なんとも呆れたもので、まずい顧客対応例として、MBAコースなどのケーススタディで取り上げても良いようなものである。

 ユーザーが苦情として述べているのは、

・旧メールから新メールへのデータ移行作業時に、エラーメッセージが出て移行できない。
・データー移行の手順が極めて分かりにくくネットに詳しくないユーザーにはできない。
・データ移行ができても、まったく分類ができていないのに、手作業で分類を行わないといけない。
・gooメール側で、自動的にデータ移行を行わず、金を払っているユーザーに行わせる。
・新旧メールの併用期間がなく、ユーザーはいきなり新メールを使わないといけない。
・新メールが使いにくい。

など色々あるわけだが、gooメール側から発表されたのは、このうちの最初のエラーメッセージに関する部分だけだ。これは、ユーザーからの要望を、故意に矮小化してお茶を濁しているだけだといえるだろう。前回の改悪の際にも相当の苦情が来ているのに、まったく学習能力がないのではないか。

 顧客からの苦情は、本来宝の山のはずである。これをないがしろにするような企業が、厳しいIT業界の荒波を、渡っていけるのだろうか。


○関連過去記事
迷惑なgooメールのリニューアル(続報)
迷惑なgooメールのリニューアル
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書評:窓際OL人事考課でガケっぷち

2015-01-16 23:00:00 | 書評:その他
窓際OL人事考課でガケっぷち (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社


 どくとるマンボウこと故北杜夫さんの娘さん、斎藤由香さんのエッセイ集、「窓際OL人事考課でガケっぷち」(新潮文庫)。内容は、彼女の会社生活に題材を取ったもので、週刊新潮に連載されていたものから抜粋して、加筆を行ったものだという。

 斎藤さんの愉快なOL生活が窺えて、とても面白いが、中でも、自身の人事考課に対する愚痴と、「キャバクラ課長」と名付けられた某課長とのメールのやり取りが秀逸である。

 斎藤さんは、毎年人事考課の季節が終わると、鬱状態になるという。何しろ、評価は散々、同僚や後輩は、どんどん部長や課長になっているというのに、自分だけは相変わらずヒラのまま。遂には、関係会社に飛ばされてしまう。まさに、会社員の悲哀といったところだが、コメントしようとすると、少し難しい。

 斎藤さんは、人事考課に関する部長との面談の中で、相当のダメ出しをくらう。曰く、「会社の求めているものと違う」。曰く「マネージャーには向かない」。これを、真面目にコメントしようとすると次のようになる。大体人事の基準なんてものは、かなりいいかげんで、恣意性が入りやすい。このステージの役割ならこうだからなんて書いてあっても、それはしょせん落すための口実であり、人によって適用される基準が違うのである。そもそも、人間には得意、不得意があるので、すべての基準を厳密に適用すれば、それに当てはまるような人間なんてどこにいるのか。結局は、不得意なところをうまくごまかし、得意なところで勝負する。これが会社生活の極意なのだ。斎藤さんの貢献した部分を見ずに、落すために必要な部分だけをあげつらうというのは、なんという狭了な会社だろう・・・と、普通ならこのように言いたいところである。

 しかし、コメントが難しいといったのは、本書を読んでいると、本人もこの境遇をを愚痴りながらも、エッセイのネタにしてかなり楽しんでいるような節も見られるというところだ。おまけに出版社も読者も、人事ネタを楽しみにしているようなのだから、会社としても、宣伝になるので、そのネタを提供しようといったところなのだろうか。普通の会社では、人事考課のことなど、とてもエッセイになんて書けはしないので、案外この推測もありかなとも思ってしまうのだ。

 ともあれ、齊藤さんが、スポニチの記者にマカの説明をしたところ、「愚息ムクムク!硬化バツグン!」と記事にしてもらえ、そのおかげで、売上前年比6000%になったという。それからは、すっかり、「マカの伝道師」となってしまったようで、今後も人事考課などにめげずに頑張ってほしいものだ。

 そして、フランスのボルドーに飛ばされた、「キャバクラ課長」との楽しいメールのやり取り。齊藤さんが、そのキャバクラ課長の送別会に潜入したところ、出席者が豪華なことに驚く。その時の出席者のスピーチで明らかになったのは、酔っ払って触わられたりする代りに、その人のエッセイのコピーを色々なところに配って、PRしてあげたりするような優しい人でもあるということ。「私も触られた」と会場は盛り上がったようだが、決して嫌がられてはいなかったようである。そこで思わず出た、斎藤さんの科白が、

「私は一度もお尻を触られたこともないし、コラムをコピーしてPRしてもらったこともないんですが!!」

 ん! お尻触って欲しかったのだろうか(笑)。でも、このキャバクラ課長、斎藤さんのメールに付き合って、ネタを提供してくれただけではなく、最後に「いやよ!いやいや!」と言いながら(いや、言ってないか(笑))、結局は実質的なあとがきまで書いてくれたのだから、本当に優しい人みたいだ。

 この他にも、楽しいコラムが満載で、つい噴き出しそうになるようなことばかり。とても面白い。

☆☆☆☆

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放送大学のH27年度1学期の科目案内が来た

2015-01-16 19:16:10 | 放送大学関係
 家に帰ると、放送大学から、H27年度1学期の科目案内が来ていた。この月末から、試験なのだが、寒いのと色々あわただしいので、モチベーションは極めて低めである。既に、ここも3回卒業しているので、4回目の卒業を焦ってはいないので、マイペースでのんびりといったところだ。

 今年度は、単位要件を満たそうと、あまり興味の無い科目を取って後悔している。来年度は、時間的な余裕もできそうなので、自分の興味あるものについて、面接授業を中心に申し込もうかと思っている。
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書評:旅者の歌 中途の王

2015-01-14 20:00:12 | 書評:小説(SF/ファンタジー)
旅者の歌 中途の王 (幻冬舎単行本)
クリエーター情報なし
幻冬舎


 東京バンドワゴンの作者が描くハイファンタジー、「旅者の歌 中途の王」(幻冬舎)。この物語の主人公ニィマール(リョシャ)は、シィフルの地で、「話者」を目指していた。「試の日」に、許嫁と兄、姉が人の心を残したまま、動物になってしまう。彼らを元の姿に戻すためには、誰も行ったことの無い<果ての地>へ行かなければならない。試練の旅に出た一行は、途中、人の心を宿した雌雄の獅子を仲間に加えた。ここまでが前巻の物語のようだ。

 この巻では、美少女戦士、〈タルホアルワン〉のカポックが加わり、向かうべき地も明らかになる。この旅の一行には、元きれいどころというのは多いのだが、今は残念ながら、みんな野獣の姿。作者は、やはり人間の姿をした美少女をパーティに加えたかったのだろうか(笑)。

 そして、〈白の森〉という不思議な場所で、ヒュルギアンズ国のドュランドセットルン王と出会い、「リョシャたちの目的地は、〈深淵の谷〉の向こうにある。〈深淵の谷〉を超えるためには、〈白の森〉を抜ける必要がある。そして、〈白の森〉を抜けるためには〈中途の王〉を倒さなくてはならない」ということが分かる。この〈中途の王〉というのが、この巻の中ボスかと思ってしまいそうだが、そう思っていると、かなり当てが外れるだろう。それにしても、この〈中途の王〉というのは、もうひとつ良く分からない存在だった。いったい彼は何者だったのか。

 残念ながら、この物語には、あまり深みというようなものが感じられない。あまりにもパーティの一行が仲良しで、裏切り、思惑、陰謀などもなく、意外な展開といったようなものもない。立ち寄った先もみな親切で、話がどうにも素直過ぎるのだ。文章も、せいぜい中学生くらいまで向けで、少年、少女が読むにはちょうど良いのかなと思うが、読書経験を積んだ大人には物足りなく思えるのではないだろうか。

 この物語を一言で表せば、旅の仲間を集め、立ち寄ったところで、情報を得て、装備を整え、多くのモンスターを倒して、中ボスやラスボスと対峙する。描かれるのは、友情、勇気、チームワーク。まるで少年ジャンプ的な性格の強いRPGの世界を、そのまま小説にしたような感じだ。ただ、この巻は、まだまだ物語の序盤のようで、謎も多く、それが今後どのように展開するのかは、まだ分からないのだが。

 また、2巻から読み始める読者のために、前巻のあらすじと、作品中で使用される言葉の説明くらいは欲しい。登場人物の紹介ページも前巻で登場する人物が中心で、この巻に出てくる人物では、ドュランドセットルンは描かれているのに、カポックは描かれていないというような偏りがある。2巻を読んで興味が湧き、1巻を読むという読者もいると思うので、その当たりの配慮を望みたいものだ。

☆☆

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書評;その女アレックス

2015-01-12 11:26:49 | 書評:小説(ミステリー・ホラー)
その女アレックス (文春文庫)
クリエーター情報なし
文藝春秋


 「このミス」で史上初の6冠を獲得したという話題作、「その女アレックス」(ピエール・ルメートル、橘明美訳:文春文庫)。読んでみると、なるほど、確かにそれだけの価値のある作品だと実感する。

 主人公のアレックスは、男に拉致され、身動きもできないような狭い檻に閉じ込められてしまう。裸で、ドッグフードと水しか与えられず、排泄物も垂れ流しのまま、次第に衰弱していくアレックス。彼女の死を待ち受けるかのように集まってくるネズミ。

 この事件を担当するのが、パリ警視庁のカミーユ・ヴェルーヴェン警部だ。彼の部下として共に捜査を行うのが、大金持のルイ・マリアーニと、どケチなアルマンという対照的な二人。共通なのは、二人とも警部を敬愛しているというところだけ。警部自身も、頭は切れるが、身長が145センチという、およそ警察官らしくない体格だ。こんな異色の警察官たちの活躍ぶりも、この作品の見どころの一つだろう。

 アレックスを監禁していた犯人は、警察に追い詰められて、監禁先を明かさないまま自殺してしまう。いったい彼女は、どこに監禁されているのか。事態は一刻も猶予を許さない。ところが、カミーユ警部たちが、アレックスが監禁されている場所を突きとめて、踏み込んでみると、既に彼女は自力で脱出した後だった。しかしその足取りは、ぷっつり途絶えてしまう。後に残るのは多くの謎。 

 ここから、ストーリーは、読者が想像もつかないような、驚くべき展開を見せていく。一見猟奇的に見えるこの誘拐事件は、単なる序章に過ぎず、遥かに大きな事件が姿を現してくるのだ。作品中に描かれる犯罪の直接の犯人については、読めばすぐに分かるようになっている。分からないのは、それらの犯罪の裏にあるものだ、いったい事件の全貌は、どういったものなのか。次々に現れてくるのは、驚愕の事実。真相に至る扉が空いたと思ったら、そこには、また次の部屋に続く扉があった。本当に悪い奴はだれだったのか。息をつく暇もないような展開の連続が読者を翻弄する。そして最後に明らかになるおぞましい真相。

 この作品の面白さは、サスペンス的な要素ばかりによるのではないだろう。例えば、アルマン刑事のどケチネタを適当に織り込んで、読者をクスリと笑わせてくれるのだ。しかし、最後にこのアルマンが、ただのどケチ男ではなかったという意外性を仕込んでいるのは、さすがにエスプリの国、フランスの作家というべきだろうか。

 また、カミーユ警部には、身重の妻・イレーヌを誘拐され惨殺されたという過去があり、今でもそれを引きずっている。誘拐事件は担当しないという彼を、捜査に引きずりだしたのは、カミーユ警部を立ち直らせたいという上司のル・グエン部長の配慮だった。事件の解決は、カミーユ警部ががイレーヌの死から立ち直ることでもあった。そういった副次的な設定も、ストーリーに厚みを加えている。

 そして、この作品は、通常のミステリーのように、名探偵が偉そうに真犯人を暴きだして一件落着するといったようなものではない。最後に描かれた結末は、「真実より正義」。こういったところもかなり異色だ。

 とにかく、読み始めると、意外性のてんこ盛り。ページを開いたら最後、息もつかせぬ展開に、読者は目を離せなくなるだろう。これほどのミステリーには、なかなかお目にかかれるものでない。読むのなら、最後まで読みとおせるような時間的余裕がある時をお勧めしたい。そうでないと、続きが気になってしかたがなくなるだろうから。

(独り言)
 このタイトル、船越英一郎さん主演のテレビドラマ「その男副所長」をもじっているような気がするのは私だけ? ちなみに原題は”ALEX”なんだが(笑)。

☆☆☆☆☆

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酒どころ西条のマンホールの蓋

2015-01-11 15:43:14 | 旅行:広島県



 日本には、灘、伏見と酒どころは色々あるが、東広島市の西条地区もそのうちの一つだ。写真は、西条駅の近くで撮影したマンホールの蓋。酒蔵通りというところにあったものだ。いかにもそれらしいデザインではないか。汚水の下水道用のマンホールだそうだ。




 そして、こちらが、雨水用下水のマンホールの蓋。描かれているのは、おそらく東広島市の市の花であるつつじと、市の木である松だ。カラーでないこともあり、汚水用ほどの装飾性はないが、東広島市らしいデザインである。




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迷惑なgooメールのリニューアル(続報)

2015-01-11 12:35:21 | オピニオン

 gooメールのリニューアルに伴って、やることを強要されたデータの移行作業ができないので、問い合わせをしていたところ、以下のような回答メールが来た。どうだろう、
このメールを読んで、「対応ありがとう」なんて言えるだろうか。

 このメールでは、「あんたの入力方法が悪いんじゃないか?」というようにほのめかしているのとしか思えないのは私だけだろうか。

 そもそも、有料なのにユーザーに複雑なデータ移行作業をさせると言うこと自体が、一般に理解を得られるようなことではないと思うのだが、それが分からないのだろうか。おまけに、移行手順と言うのが極めて分かりにくい。これを読んで、一般ユーザーにやれというのは、かなりの無理がある。私にしても、色々調べてなんとか移行自体はできたのだが、こんどは、せっかく下位ホルダーに分類していたものが、ぜんぶごっちゃになってきたので、移行しても、まったく役に立たない。

 問い合わせ内容にしても、「gooメールからのお知らせ」に付けられたコメントの数々を読めば、おおよそどんなことが起こっているのかは見当がつきそうなものだ。その程度の想像力もないのだろうか。また、「この度のリニューアルは、お客様にご満足いただくためのサービス向上を目的としたものとなります」とあるが、これだけ無駄な手間を取らせておいて、なにがサービス向上か。

 誠実な対応を望むと書いておいたのだが、返って来たメールは、定型で使っているとしか思えないようなものだ。「貴重なご意見として承り、今後のサービス改善の参考としてまいります。」なんて、木で鼻をくくったような文言は誰も望んではいない。伝えたのは、意見ではない。使えないという苦情だ。参考にするようなものではない。とにかく、仕様をただちに、元に戻して欲しい。

 

※※※ 以下受信メール ※※※

件名
---------------------------------------------------------------
gooメールデータの移行について


<お問合せの履歴>
---------------------------------------------------------------
■回答内容 メール経由(goo事務局) - 2015/01/10 11:30 PM
こちらはgoo事務局です。
日頃よりポータルサイトgooをご利用いただき、誠にありがとうございます。

この度は、お客様にはご不便をおかけし大変申し訳ございません。

この度は、gooメールのデータ移行に伴い
ご迷惑をおかけしており大変申し訳ございません。

また、ご連絡が遅くなりましたことをお詫び申し上げます。

お問い合わせのについてですが、
移行作業中にエラーメッセージは表示されておりますでしょうか。

ご申告の状況について、
詳細を確認させていただきたく存じますので、
恐れ入りますが、以下の情報をお知らせいただけますでしょうか。

-------------------------------
●表示されたエラーメッセージ全文:

●ご利用のgooメールアドレス:

●「外部アカウント設定」に入力いただいた設定内容
 ・メールアドレス:
 ・アカウント名:
 ・アカウントの種類:
 ・アカウントのユーザー名:
 ・詳細設定:
 ・ダウンロード後にサーバー上のメッセージを削除:

●エラーが発生した時刻:
-------------------------------

なお、この度のリニューアルは、お客様にご満足いただくための
サービス向上を目的としたものとなります。

今回お寄せいただいたご意見は、貴重なご意見として承り、
今後のサービス改善の参考としてまいります。

また何かお気づきの点がございましたら、お知らせいただけますと幸いです。
今後ともポータルサイトgooをご愛顧いただきますよう、よろしくお願いいたします。

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書評:ブルー・オーシャン戦略――競争のない世界を創造する

2015-01-10 14:45:14 | 書評:ビジネス
ブルー・オーシャン戦略――競争のない世界を創造する (Harvard business school press)
クリエーター情報なし
ダイヤモンド社


 以前事業戦略において、「ブルー・オーシャン」の言葉が流行った時期があった。その語源となったのが、この「ブルー・オーシャン戦略――競争のない世界を創造する」(W・チャン・キム/レネ・モボルニョ著、有賀裕子訳:ランダムハウス講談社)。本書が話題になっていたのは、ほんの少し前だと思っていたのだが、発行年をみたら2005年である。俗に10年を一昔というから、もう一昔前の本ということになるが、今読んでも古い感じはしない。(この間、なぜかこの本が、田舎のコンビニに並んでいるのを見た)

 タイトルの「ブルー・オーシャン」とは、競争のない事業分野の例えであり、血みどろの競争が行われている、「レッド・オーシャン」に対比されるものだ。本書は、「ブルー・オーシャン」を切り開いていくことがいかに大切であり、そのためにはどうしたら良いかを解説したものである。競争相手がいなければ、一人勝ちになるのは当然で、こんな美味しい話はないだろう。しかし、これまの戦略論では、もっぱら「レッド・オーシャン」での競争を対象にしていたという。

 本書では、ブルー・オーシャン戦略の6原則、分析のためのツール、フレームワークとしての「戦略キャンバス」、「アクション・マトリクス」といったものを紹介して、多くの企業についてのケース・スタディを行っている。さらに、「戦略の6原則」について、ひとつひとつ、丁寧に解説しており、どのような視点・心構えでブルー・オーシャン戦略を策定すれば良いかを教えてくれる。そこには、なかなか気がつきにくいが、言われてみればなるほどとおもえるようなヒントが、具体的な事例とともに数多く紹介されているので、現在の事業から一歩踏み出したいと考えている経営者にとっては、ヘタなコンサルタントを雇うよりは得られるものが多いだろう。さらには、ブルー・オーシャン戦略を実行する際のハードルの乗り越えかた、従業員を巻き込んで、戦略を実行していく上での、公正なプロセスということの重要性ということなども教えてくれる。

 大切なことは、本書の内容をヒントにして、自分の業界でのブルー・オーシャンはなにかを徹底的に考えることだろう。既に紹介されていることと同じ事をやっても、そこは所詮はレッド・オーシャンでしかないのだから。総花的な戦略を目指してはいけない。とんがった企業になることこそ、ブルー・オーシャン戦略の極意なのだ。

 しかし、ブルー・オーシャンもやがては、競合が進出して、レッド・オーシャンになってしまう。ブルー・オーシャン戦略は、知財、ネットワーク外部性、ブランドロイヤリティなどで、本来参入障壁か゛高いが、いつかは模倣されてしまう。著者は、戦略キャンバス上に描いた価値曲線が、他社と似たり寄ったりになったら、次なるブルー・オーシャンのを目指す時期だという。戦略が成功したからと言っても、いつまでもそれに酔いしれていてはいけないのだ。企業経営では、この点も心に留めておくべきことだろう。

 一般にビジネス書というものは、内容がスカスカのものが多いので、あまり読み返したいと思うものは少ないのだが、本書は、折に触れ読み返したいと思える本の一冊である。

☆☆☆☆☆

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酒どころ西条の美酒鍋

2015-01-10 11:58:55 | 旅行:広島県


 写真は、昨年末に所属している団体の工場見学の後の昼食会で食べた、広島の酒どころ西条の名物料理、「美酒鍋」。その名の通り、塩コショウと日本酒だけで味付けをする極めてシンプルな鍋料理である。西条駅の近くを歩くと、結構この料理をメニューにした店を目にする。

 私は、アルコールはだめだが、これはアルコールが飛んでしまうので、大丈夫だった。初めて食べたがなかなかいける。店の人の話だと、酒蔵毎に味が違うとのことだ。家でも簡単にできそうだが、手順に従って調理することが、結構大事らしい。

 なお、「美酒鍋」の読み方は、「びしゅなべ」でも良いようだが、こだわりのある人は、「びしょなべ」と呼んでるらしい。
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