文理両道

専門は電気工学。経営学、経済学、内部監査等にも詳しい。
90以上の資格試験に合格。
執筆依頼、献本等歓迎。

迷惑なgooメールのリニューアル

2015-01-09 18:53:46 | オピニオン
 この8日から、gooメールがリニューアルされた。しかし、蓋を開けてみるとリニューアルというより改悪である。画面レイアウトが見にくい上に、使い難いことこの上ない。以前にも、gooメールには改悪により、ユーザーから悪評ぷんぷんだった過去がある。また同じことを繰り返すのか。「学習」という言葉は、彼らの辞書にはないのだろうか。現在の仕様で特に困ってはいないのに、なぜ、この忙しい時期に、仕様変更を強行するのかということにも理解ができない。


 また、何度やっても、旧メールから新メールへメールの移行ができない。この件について、ホームページから問い合わせをしたのに、1日待っても返事がない。誠実さを疑う。

 現在は、有料ユーザーしかいないのに、自分でデータを移行しろというのもどういうものだろうか。


 とにかく、今の状態ではとても使えない。どうやったら、こんな使いにくい仕様になるのか理解できない。果たして、ここの経営者は自分で使ってみて、リニューアルのゴーサインを出したのだろうか。言い訳はいらないから、とにかく、直ぐにでも仕様を元に戻して欲しい。

(追伸)
 いろいろ設定をやって、だいぶ以前のものに近づいたが、やっぱり使いにくい。なぜ使い方を変えるのか。リニューアルしても、設定のデフォルトは、以前のやつに近いものにしておくべきだし、ボタンの位置や表示なども基本的には同じにしておくべきだろう。

(追追伸)
 色々調べて、やっとデータ移行はできたものの、せっかく分類していたものが、ぜんぶごっちゃになって移行されており、まったく使いものにならない。何のために、あらかじめ分類用の会ファルダーを作ったのか。他にも、移行手順を読んだだけでは、絶対に分からないようなところもあり(苦情のコメントを読んで知った)、こんなものを普通のユーザーがさくさくやれるとは思えない。殿さま商売もいいかげんにしてもらいたい。


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書評:三人の志士に愛された女 吉田松陰の妹

2015-01-08 21:06:56 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
三人の志士に愛された女 吉田松陰の妹
クリエーター情報なし
幻冬舎


 平成27年のNHK大河ドラマは、吉田松陰の末の妹・文を主人公にした「花燃ゆ」だ。吉田松陰と言ってすぐ思い出すのは、松下村塾である。ここからは、多くの英傑たちが巣だって行った。それは、まさに、日本が近代国家への道を歩みだす、激動期のなかで起きた奇跡だ。

 幕末の長州は、多くの英傑たちを生んだが、そのなかでも別格なのが、吉田松陰と高杉晋作である。萩市内を走るループバスがあるが、その愛称が、「松陰先生」、「晋作くん」となっていることからも窺える。しかし、二人の敬称の違いから、萩市民の二人に対する思いの違いも見えてくる。松陰は、死後神として祀られたことからもわかるように、限りない尊敬の対象なのだ。

 まず知らない者はないと思われる松陰に対して、彼の妹・文のことは、山口県においても、殆ど知られていない。同じ大河ドラマ「八重の桜」の新島八重のように、決して歴史に残るような女性ではなかったのだ。しかし、無名だからこそ、花の燃えるような時代の目撃者としてふさわしいと「花燃ゆ」の作者は考えたのだろう。

 ここで、本書に戻るが、この「三人の志士に愛された女 吉田松陰の妹」というタイトルを見ると、いかにも文のことを中心に書かれているようだが、実は本書に書かれているのは、主として、吉田松陰、久坂玄瑞、楫取素彦の3名についてだ。減塩みそ汁ではないが、「文度」は、意外と薄め、控え目なのである。思うに、文のことを記した資料が乏しかったのだろうか。このことからも、彼女が、いかに無名だったかということが窺える。

 ところで、文が最初に嫁いだのは、晋作と並び称される、松下村塾きっての秀才久坂玄瑞だった。師の妹に対して、かなり失礼なことだが、玄随は、文の器量があまり良くないのでと最初は断ったというのが定説になっているようだ。今残っているのは、晩年の写真だけなので、若い頃の器量は分からないが、これを見る限り、まあ普通のお婆さんだ。玄瑞亡きあとは、松陰の友人だった楫取素彦と再婚しているのだから、それほど不器量だったとも思えないのだが。もっとも、井上真央のようだったということまでは、期待できないだろうが(たぶん)。

 そうは言っても、久坂玄瑞について記された章は、本書の中では、一番「文度」の高いところだろう。玄瑞が文に宛てて書いた幾つもの手紙が紹介されているからだ。文は、この何倍も玄瑞に手紙を書いたというが、そちらの方は、残念ながら現存していない。もし残っていれば、貴重な資料になっていたと思うと、残念である。しかし、その一方で、玄瑞は、京都妻(というよりは愛人)に、子供を産ませているのだから、いったい京で何をしていたのやら(笑)。

 そして、本書に紹介されている3人目の志士、楫取素彦は、玄瑞が蛤御門の変で自刃した後文が再婚した相手である。元々は、姉の寿の夫だったが、姉が病死後、後沿いとして入ったものだ。初代群馬県令(県知事)で、群馬県の発展のためにつくした人物である。この人物も、山口県内ではあまり知られていない。あの時代、多くの人材が輩出しすぎたので、一部のスーパースター的な人物以外は、いちいち覚えきれないということもあるのだが、それにしても、帯の写真の素彦、タレントの温水洋一さんに似てるなあ。

 松陰、玄瑞については、何かにつけ語られることが多いが、楫取素彦については地元でもほとんど語られることはない。かくいう長州人の私も、今回初めて知った次第だ。本書を読んで、色々と知識をつけておけば、今年の大河ドラマも10倍くらいは楽しめるものと思う。

 長州には、おそらく、もっともっと隠れた人材もいたのだろう。本書により、わが郷土の偉大さを再認識したのだが、それにしても最近は人口も減る一方で生彩を欠いている。ドラマの放映で興味が湧いたら、ぜひ、文ゆかりの地である、萩市や、防府市などを訪れて欲しい。

☆☆☆☆

※本記事は、姉妹ブログと同時掲載です。

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書評:村上海賊の娘(下)

2015-01-06 22:29:53 | 書評:小説(その他)
村上海賊の娘 下巻
クリエーター情報なし
新潮社


上巻を読んでから、大分間があいた「村上海賊の娘」(和田竜:新潮社)の下巻。織田家と毛利家が初めて戦った木津川合戦をモチーフに、戦国の世を思いのままに生きた海賊の姫を描いた歴史小説である。上巻では、表紙イラストにすらりとした後ろ姿で描かれていた主人公の景だが、この下巻では正面からの景が描かれており、「ほらやっぱり可愛いじゃないか」ということが分かる。誰やねん、「悍婦醜女」(じゃじゃうまのブス)なんて散々言っていた奴は(笑)。

 戦に憧れていた景だが、本願寺と信長の戦いを目にして、その悲惨さを知り、自分の甘さを思い知り、落ち込んでしまった。能島にかえった景は、イケメンの児玉就英に嫁入りを決心して、なんと、おしゃれに精出すようになってしまうのだ。日に二度も着物を着替えたり、白粉を塗って、化粧をしたり。これまで散々ブス扱いされてきた景だが、馬子にも衣装、おしゃれをすれば、ナイスバディと相まって、独特の美しさが顕になってきたようだ。景も、今に生まれていれば、弾き手あまただと思うが、でもやっぱり、そんな姿は本当の景じゃない。

 ところで、景の嫁入り話が進んでいる、児玉就英だが、最初は、イケメンだけど、アホで気ぐらいばかり高い男として描かれていた。なんぼなんでも、こんなところに嫁にいかさんでもと思っていたのだが、下巻では、次第に案外と良い奴だということが分かる。人には色々な面がある、一面だけ見ても分からないということだろう。そして、景にしても、敵に対しては獰猛だが、優しい面も多い。本書では、その景の優しさが、大きな物語を創りだしていると言えるだろう。

 この下巻では、村上水軍は、毛利に味方して、本願寺に兵糧を運ぶことになる。しかし、信長配下の眞鍋海賊と泉州侍たちが、木津川河口を塞いで、本願寺に兵糧を届けるためには、彼らと一戦交えなければならない。小早川隆景の密命により、毛利軍は、眞鍋海賊たちとにらみ合いを続けた末に、引き上げようとする。しかし、景は、本願寺門徒を見捨てることは出来なかった。父親から隆景の真意を聞いた景は、門徒を助けるために再び戦いに乗り出す。

 この時の様子が何とも景らしい。これまで来ていたおしゃれな小袖を脱ぎ捨て、真っ裸で海を泳いで兵たちの許に行き、そのうちの一人が来ていた小袖を取り上げる。次に「褌」と命ずると、兵はあわてて、自分の褌を解き始めるのだが、さすがにこれは景のお気には召さなかったらしく、「真っ新(まっさら)なのを持って来い」と怒られている。

 ともあれ、海賊の姫の一途な思いは、大名たちの思惑など吹き飛ばして、男たちを動かす。その姿は、まさに瀬戸内のジャンヌ・ダルクだ。しかし、敵の頭である眞鍋七五三兵衛は、まさに怪物。不死身のバーサーカーだ。最後の方では、無敵のバーサーカー対戦闘派美少女の死闘が続く。景は満身創痍だ。果たしてこの怪物を倒す事ができるのか。この作品は、基本的には、歴史小説だが、二人の戦いは、ヒロイックファンタジー(魔法は出ないが)とも相通じるものがあるだろう。忙しくてなかなか下巻を読めなかったが、読みだすと面白くて、まさに一気読みだ。


☆☆☆☆☆

○関連過去記事
村上海賊の娘(上)

※本記事は、姉妹ブログと同時掲載です。




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JR八本松駅

2015-01-06 13:43:19 | 旅行:広島県


 上の写真は、山陽本線のJR八本松駅。広島駅から約30分。ごらんの通り、高架駅になっている。ここに降りるのは初めてだが、所属している団体主催の工場見学に参加するのためにやってきた。

 驚いたのは駅の前にある通路。歩道橋かと思ったら、何と自動車が通っている。通路ではなく、道路だった。




 そして、こちらが、駅の前から、下の方を写した写真だ。特段変わったものも無いようで、普通の田舎駅の風情である。


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書評:Anne of Green Gables

2015-01-04 10:49:03 | 書評:小説(その他)
Anne of Green Gables
クリエーター情報なし
Yearling


 少し前にNHKの朝ドラで有名になった、「赤毛のアン」の原書となる、「Anne of Green Gables」(L.M. Montgomery:Yearling; Dgs Rep版)。

 「グリーン・ゲイブルズ」と呼ばれる家に暮らす、マシューとマリラは、孤児院から子供を引き取ることにした。マシューの手助けにと、男の子を頼んでいたはずだが、やって来たのは、やせっぽちで赤毛の女の子。この時の様子が、各章のタイトルに端的に表されているが、これが面白い。列挙してみよう。

 1.Mrs.Rachel Lynde is Surprized
 2.Matthew Cuthbert is Surprized
 3.Marilla Cuthbert is Surprized

 レイチェル・リンド婦人は、カスバート兄妹の友人だが、まず彼女が、カスバート家で孤児を引き取ることを知って驚き、次に、マシューは、やって来たのが女の子だったことに驚き、そして、マリラは、マシューが連れ帰ったのが女の子だったことに驚いた。そう、みんな、びっくらこいてしまったのだが、この物語はこんな、先の展開を予測させるような、ユーモラスさを感じさせる章建てから始まっていく。

 結局は、グリーン・ゲイブルズで暮らす事になったアンだが、これがなかなか変わった女の子だった。おしゃべりで、空想好きで、やたらと周りのものにロマンチックな名前を付けたがる。おまけに、「アン」は、”Ann"ではなく、最後に”e"をつけてくれとか、ドレスの袖は、ふくらんでいる(puffed)のがいいだとか、色々とこだわりもある。

 カスバート家は、マシューとマリラが二人で静かに暮らしていた家だった。それがアンが来たことで、がらりと雰囲気が変わる。おおげさで、芝居がかった物言いのうえ、喋り出したら止まらない。この作品の半分以上はアンのおしゃべりで占められているような観があり、マリラからはしょっちゅう”Hold your tongue!(おだまり)”と言われてしまうのだが、それでも時にマリラを笑わせる。想像力がありすぎて、妄想が暴走している様子はなんとも可笑しい。しかし、これはアンの本来の性格というのもあるのだろうが、恵まれない生い立ちの中で、ただ想像の翼を広げて、夢見ることだけが慰めだったということも連想させ、痛ましくもある。

 この物語に面白身を与えているのが、アンが繰り広げる数々の失敗だ。「腹心の友」となったダイアナにワインを飲ませてへべれけにさせたり、ケーキにヘンなものを入れて台無しにしたり、黒髪になりたいと、怪しげな行商人から仕入れた毛染め剤で髪の毛をグロテスクな緑色に染めてしまったりと、彼女の日常は失敗だらけなのだ。

 髪の毛を黒く染めようとしたのは、アンが自分の赤毛にものすごいコンプレックスを持っているからである。学校で、赤毛をからかったギルバートを一生許さないんだと、それ以来ずっと無視しているというのがすごい。あの年頃の男の子は、気になる女の子をからかったりするものだ。許してやれよと思うのだが、なんとも執念深いことである。数年後にアンの危ないところを助けたギルバートが和解を申し込んだ際にも拒絶してしまった。さすがに、このころになると、アンもギルバートのことを別の意味で意識し始めたようで、この拒絶は、アンの心に後悔の念をもたらす。結局和解が成立したのは、二人がクィーン学院を卒業した際に、ギルバートの示したある好意がきっかけだったのだが、それにしても仲直りするのになんと時間がかかったこと。ギルバートが、将来の夫になるということを考えると、なんともすごいツンデレぶりではないか。それにしても、ギルバート、あんたもよくがんばった。偉いよ(笑)。  

 赤毛、そばかす、やせっぽちだということで、アンは自分の容姿に自信がないようだが、著者がアンの容姿のモデルにしたのは、当時アメリカで人気だったというイヴリン・ネスビットという女性だそうだ。リンク先には、彼女の写真も載っているが、これで自信がないのなら、世の中の99%の女性は自分の容姿に絶望しなくてはならないくらい綺麗で可愛らしい人である。

 ところで、マシューは、最初からアンにぞっこんのようだ。まるで孫娘ができたような感覚だったのだろうか。妹のマリラも、厳格で融通の利かないところはあるが、決して冷たい人間ではない。アンは彼女にとってもかけがえのない存在になっていくのだ。天涯孤独だった女の子が、グリーン・ゲイブルズで自分の居場所を見つけ、マシューやマリラの愛に包まれて、ダイアナという「腹心の友」、ギルバートという「ライバル兼将来の伴侶」を見つける。これは、そんな物語である。まさに笑いあり涙あり、今にも本の中から飛び出してきそうなほど、アンが活き活きと描かれている。結構厚い本なので、最初は読みとおせるかと思ったが、読み進むにつれどんどんアンの魅力に夢中になっていき、気がついてみると読み終わっていた。

☆☆☆☆☆

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書評:世界でいちばん石器時代に近い国パプアニューギニア

2015-01-02 10:16:26 | 書評:学術・教養(人文・社会他)
世界でいちばん石器時代に近い国パプアニューギニア
クリエーター情報なし
幻冬舎


 「パプアニューギニア」は、世界で2番目に大きな島であるニューギニア島の東半分と周辺の島々から構成される赤道直下の島国だ。約780万人の人々が、なんと800以上の言語を使っており、公用語は英語。この他に共通語としてピジン語が使われている。英連邦の一員で、国家元首はエリザベス女王。海は美しくダイビングのメッカだそうだ。

 日本から南へ、飛行機で6時間半。ハワイに行くのと同じくらいの飛行時間だそうだから、近いと言えば近い。しかし、その割には、私たちはこの国のことをあまり知らないのではないだろうか。私自身も、「パプアニューギニア」と聞いて連想するのは、以前テレビで放映されていた、「南国少年パプワくん」くらいのもので、南海の楽園といったイメージしか持っていなかった。本書、「世界でいちばん石器時代に近い国パプアニューギニア」(山口由美:幻冬舎新書)は、そんな近くて遠い国、パプアニューギニアの歴史、風俗などについて紹介したものである。

 この国は、我が国の歴史とも大きく関係している。太平洋戦争の頃、ニューギニア島は最大の激戦地の一つだった。動員された16万人の兵士のうち、なんと15万人が亡くなったのだ。この島には、いまなお多くの同胞たちの英霊たちが眠っているのである。戦時下の状況での不幸な事件もあったが、島の人たちは、戦いに敗れた日本兵たちに、暖かく接してくれたという。そのおかげで1万人もの人が、生きて再び母国の土を踏むことができたのだ。

 本書には、日本兵と島の人たちとの交流例として、「柴田学校」が紹介されている。「柴田学校」とは、元陸軍中尉柴田幸雄さんらが、1944年10月から終戦まで、現地の子供たちのために開設した学校である。パプアニューギニアの初代首相は、この学校の生徒だった。こういったエピソードや、近年のJICAの人々の活躍などにより、この国の親日感情は抜群で、著者のような一般の人がきても歓迎してくれるという。我が国も、隣国の一挙一動に汲々としているだけではなく、もっとこのような国々との関係を深めることを考えるべきであろう。

 ところで、タイトルにある「世界でいちばん石器時代に近い国」という意味だが、この国の内陸部では、近代文明とのファーストコンタクトが、1950~60年代であり、それまでは、石器時代とあまり変わらない暮らしをしていたということなのである。この名残として、いまだにシェルマネー(貝のお金)が通用しており、これを専門に扱う銀行もあるというのだから驚く。また、首狩りや食人の風習も最近まで残っていたという。怖いのは、黒魔術が、今なお顕在なことで、最近でも、黒魔術をかけた者として認定された若い女性が、暴徒にガソリンをかけられ焼き殺されたという痛ましい事件があったのだ。

 本書は、そのようなパプアニューギニアについて、光と影の両面から描き出しており、なかなか興味深く読める。私たちは、欧米や隣国ばかりでなく、もっと周りの国々について知らなくてはならないだろう。そのためには貴重な一冊だ。

☆☆☆☆

※本記事は、姉妹ブログと同時掲載です。


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