マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

平成22年6月(前半)拍手コメントのご紹介

2010-06-17 20:11:00 | ノンジャンル
こんばんわ。

ちょっとタイミングを外してしまいましたが、今月も沢山の拍手コメントをいただきましたので、またいつものようにご紹介させていただきます。


2010/6/4 0:02 室蘭本線の普通列車(キハ40+キハ22)

そのときは何気ないありふれた光景でも時間が経つと、ああなつかしいなあ、と思えるのですね。でもこのタラコ色、登場時には非難の嵐だった気がするのは私の思い違いでしょうか?

タラコ色は昭和52年頃から登場したでしょうかね。塗装合理化でグリーン帯が無くなった頃で、「なんてことしやがる!」くらいに思ってました。地元がこの気動車には円の無い場所ですが、キハ55系の急行色がタラコになったとき、全ての撮影をパスしてしまいました。今考えると、貴重な車両たちを記録に残すことが出来ず、大変後悔しています。


2010/6/5 0:27 平成22年5月分:EF651000番代貨物列車

いつも楽しく拝見しています。1000番台の原色はいいですね。1000番台が去ったらどのナンバーが保存されるのでしょう。その時はクリームと青色の国鉄原色の機関車がいなくなると思うので寂しいだろうと思いました。これからも情報発信お願いします。

PFもまだまだ数的にはあるようですが、やはり貨物色はどうも好きになれません。でも、最近は白プレートとかが来ると喜んで撮っています。人間も変わるもんですね(笑)。


2010/6/5 22:32 485系「ホームライナー鴻巣3号」

今年もそろそろ走行写真を、と思っていました。しかし芸のないヘッドマークですね。能登はちゃんと作ったのだから、少しくらい手を掛ければいいのに・・・。

一番夏至に近い季節ですが、明日からずっと雨なので、走行写真は難しくなってしまいそうです。こうした趣きのない愛称だからこそ、積極的にイラスト化すれば良いのに・・・私も賛成です。


2010/6/8 10:41 昭和60年 EF8150+ホキ2200+タム9600

kokifu50000です。いつも楽しんで拝見しています。10時の一休みにチェックしましたところ、大変懐かしい貨車を拝見しまして、コメントさせていただきます。あのタム9600を何度か見かけました当時は私が中学生で、その中学校も荒川橋梁すぐ手前の西浦和寄りにありまして、休み時間や体育の授業中でも貨物列車が通過すると眺めていました。当時私は、数百メール離れた中学校からタム9600を見たので、星のような社紋しか分からず、東京瓦斯のプレートが見えませんでしたので、あの星印とタンク形状から自衛隊のミサイルか特殊な武器かと本当に思っていました(笑)。その後、十数年後に私有貨車図鑑を購入して東京ガスのLNGタンクということが判明しましたが、すでに廃車されて実物を見ることができませんでした。ビックリするのは、うさぴょんさんが大宮操車場でタム9600に添乗されたことです。きっと私が眺めていた貨物列車の多くに携われたのですね。今でもホキで記憶にあるのは、ホキ2200に加えて、ホキ8300、ホキ9800、タキ24700も確かに覚えています。また懐かしい画像をお願いします。

正確な記憶ではありませんが、タム9600は定期的に来ていたように思います。たまたま見たというより、しょっちゅう見てましたからね。
ホキ9800も記憶にありますね。キリンビールのマークが付いていました。確か、台車がホキ2200と違っていたように記憶しています。ホキ8300というのは模型化はされていますが、あまり印象に残っていません。



2010/6/9 23:20 タム9600の思い出に補足

タム9600で2度目のコメントです。この貨車を掲載された時は驚きました。ちょうど16番でタム9600のキットを注文した日だったからです。私もいろいろ情報を集めていましたら、「吉岡心平 の 貨車ホームページ」サイトでは、やはり2タイプ(初期がシャッターで後期が観音開き)が紹介されていました。さらに良く見てみますと初期型ではタンク中央に側ブレーキ、後期型では連結器近くにクルクル手で回すブレーキになっています。大宮操車場で添乗されたときにどちらのブレーキを使われたのかでどちらの型式なのか判明するかと思いました。私にとって大変タイムリーで思い出深いネタで、感動しました。これからもよろしくお願いします。

私も同氏のHPを見て、そう言えば乗ったことがあったかな?みたいな気がしてきました。ただ、添乗ブレーキなので、特徴のある観音開きのある給排装置部分を見ることが出来ないんですね。それで印象が薄いのかもしれません。
それにしても良いタイミングでしたね。何かしら情報があった方が、作るときも想像が膨らんで楽しくなるのではないでしょうか?



2010/6/11 2:19 貨車の手ブレーキ装置(側ブレーキ)

今回も興味深い記事を有難うございました。貨車好きな私にとってうれしい限りです。クルクル回す手ブレーキは、足で踏む側ブレーキよりも操作、手加減が難しいような想像がありますが、実際はいかがだったのでしょうか?ハンプ突放で、複数の貨車が連結される場合に、二軸貨車とボギー貨車ではそれぞれ連結する貨車の数に制限があるのでしょうか?その場合には、添乗される方も複数となるのでしょうか?質問ばかりで済みません。

本線列車は制限速度を守ったり、時間を調整したりという微調整の制動を行いますが、入換の場合は流しながら連結するときくらいしかこうしたテクニックは使用しません。ですので、基本的にはブレーキを掛けないか、100%の力で掛けるかの2通りしかありません。あとは、貨車の性能や積荷によって、100%で掛けたときの減速度が違いますので、これは体で覚えた勘になるでしょうね。たまには止まれなくて強く激突してしまったり、流したかったのに思ったよりブレーキが利き過ぎて止まってしまったりというのは良くあります。
入換両数というのは、基本的には制限はありません。長いのもあれば2軸・ボギーの混在も入換の効率のみです。ただ、重たい車両を制動したいのに空車のブレーキで制動を掛けても全く利かずに引きずられていってスピードが落ちませんから、色々な車両が繋がっているときは、事前に配布される分解表を参考に、目の前を通り過ぎる貨車の車票を瞬時に見分けながら添乗位置を判断して乗り込みます。
1日に1度だけ、身入りの明星セメントタキ1900が6~8両で来るのですが、これだけはカーリターダーが利き切らないので、助役が山の上から1両のブレーキを利かせっ放しで下りて来て、2人でブレーキ扱いをして対応していました。



2010/6/12 20:27 タム9600の思い出に補足

実際に扱った、つばささんならではの解説に拍手です。

ありがとうございます。このブログを見ている殆どの方は貨車に乗ったことが無いと思いますので、リアルに伝わるかどうかは別としても、イメージを膨らませることが出来ればいいな、と思います。


2010/6/16 20:53 貨車の手ブレーキ装置(側ブレーキ)

2拍手目のコメントで済みません。足で踏んでブレーキ(側ブレーキ)する映像がありました。前にも拍手コメントで紹介しました大宮操車場のハンプ廃止の1年前の映像です。良く見ると黄色のヘルメットに名前がタケワキ、竹脇と漢字とカタカナで書いてありました。同僚の方かと思います。その方は、ハンプ突放されたトラに乗り込んでブレーキをかける場面がありました。続いてブレーキ解除する場面も見ることができました。突放された貨車に乗り込みのは大変危険な仕事なのが分かります。今後も楽しく拝見させていただきます。

竹脇さんですか?名前まで見えるほど大きく写っているんですね。この方は面白い良い先輩でした。後輩の面倒見も良かったので、後輩からは人気がありましたね。私も良く遊んでもらいました。
私も同じようなことを約2年間やっていました。ハンプ入換が無くならなければ、もう数年は居たかもしれなかったですね。時間が出来たら、先輩たちが乗っているシーンもアップするかもしれません。ただ、みんなカメラ目線でおちゃらけて写っているので、公共の面前に晒していいのかどうか、疑問ですけど。


みなさん、ありがとうございました。
なお、質問形式の内容については、拍手コメントですとご返事が大変遅くなってしまいます。急いでいなければ構わないのですが、もし返答を早くお聞きになりたい場合には、通常のコメント欄を合わせてご利用くださいませ。

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昭和55年:山崎のカーブにて

2010-06-17 01:11:00 | マル鉄アーカイブズ
こんばんわ。

しかし、暑かったですね。しかも、外回りの帰り道、チョット時間があったので脇道に入ったら、河川に阻まれて行き先を失い、1時間も彷徨ってしまいました。帰ってきてから地図で確認したら、やはり4km強の距離を歩いてしまったようです。本当に昨日は疲れました。

で、本当は昨日撮ったねたをアップしようと思ったのですが、Fe4のlineさんが『傘を差しての雨の山崎カーブ』と題した記事をアップされて、これを見て非常に懐かしさがこみ上げてしまったので、むか~し撮った写真をアップしてみようと思いました。

撮った場所は山崎駅の京都寄りのカーブです。当時の神足(現:長岡京)~山崎間になります。昭和55年8月撮影のものです。当時、未だ高校生でした。



475系 急行「立山」

当時は北陸急行も健在で、ヘッドマークを掲げて走っているのは、房総急行や四国の気動車急行と並んで魅力的でしたね。朝方で暗く、ややブレてしまっているのが勿体無かったです。



EH106牽引 上り貨物列車

当時の撮影の目的は、このEH10もメインになっていました。もう廃車が出始まっていた頃でしょうか。終焉を迎えている時期でしたね。
末期はPS22Bクロスパンタを搭載した車両も居ました。チップ輸送のトラ90000も、大宮操車場で働いている頃には良く添乗しました。



153系 下り急行「比叡」

東海道・山陽新幹線が開業し、一部の夜行列車以外は殆どが廃止されてしまった急行列車でしたが、「東海」とこの「比叡」だけは長らく存在していました。1往復のみの存在でしたが、良く頑張っていたものです。東海道の153系も最終期を迎える頃で、ちょうど「新快速」撤退後の専用塗装車両が大垣区に配置となり、普通列車やこの急行「比叡」にも連結されていました。



485系 特急「白鳥」

関西口では唯一の東日本車両で運用されていた特急「白鳥」。1000kmを超える距離を同日内に走破しており、電車特急としては最長距離ランナーでした。上り列車を朝方に撮っている筈なので、下り「白鳥」の送り込み回送ではないでしょうかね。



EF58113牽引 荷物列車

こちらは4枚と逆向きを見た方向になります。
EF58113の牽く荷物列車で、午前中の撮影で唯一撮ることが出来た荷物列車です。原形小窓にワイパーカバーの付いた、米原機関区オリジナルのスタイルが美しいですね。引き過ぎてパンタグラフが切れてしまった失敗作です。



583系 特急「雷鳥」

53・10改正で誕生した583系運用の「雷鳥」。九州夜行の廃止による余剰車を活用し、昼間専用として使用された583系としては珍しい運用でした。それほど夜行列車が激減したということなんですね。485系のみで構成された北陸特急にあって、変化をもたらしてくれた存在であったと思います。

まだまだ望遠レンズも使い始めの頃で、あまり良い写真も撮れませんでしたが、その後殆ど関西を訪れる機会も無くなり、たった一時代だけの記録となってしまいました。当時走っていた車両で今でもそのまま残っているのは、485系の「雷鳥」くらいになってしまったかもしれません。さすがに30年の間に車両の歴史は変わってしまいましたが、lineさんの写真を見る限り、この辺りの路線風景は昔とあまり変わっていないように思います。


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コメント (8)
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