マル鉄回顧録

鉄道写真・鉄道模型を始め、バスやトラックなど、乗り物中心のブログです。昔の写真はマル鉄鉄道写真館で再編集しています。

C58363 旧客時代のパレオ

2009-04-10 01:18:00 | 蒸気機関車
こんばんわ。

今日は久し振りにSLネタです。
今となっては懐かしい域に入ってしまった感のあるC58パレオエクスプレスの旧型客車牽引時代の写真を集めてみました。



昭和63年3月21日

C58363が車籍復活し、初めてパレオエクスプレスとして走り始めたのが昭和63年3月15日ということらしいです。さいたま博覧会の開催がきっかけとなったようです。まさに運転開始間もない頃の姿です。
火室扉の「PALEO EXPRESS」という表記はまだ装着されておらず、テンダ側面にデカデカとサントリーウイスキーのマークみたいな装飾が施されていました。



昭和63年5月5日

初めてのGWを迎えたパレオ。子供の日にちなんでか、ヘンテコなヘッドマークを付けて走りました。当時はガッカリしたものですが、ヘッドマークの装着が稀なときでしたので、今となっては貴重なシーンです。



平成2年4月30日

この頃は、火室扉に「PALEO EXPRESS」という表記が入り、テンダーのマークと合わせて非常に目立ちましたね。SLファンには非常に不評でした。



平成4年4月5日

この頃になると、テンダーの派手な装飾が外されています。ファンの不評に応えたものでしょうかね。これにより、サイドからの写真が非常に見映えする用になりました。旧型客車との組み合わせが良いですね。



平成4年4月5日

上の写真の返し列車です。
秩父鉄道は片勾配なので、返しはまず煙が期待できません。なので、殆ど片道しか撮らずに帰って来ました。このときはたまたま桜並木を見つけたため、珍しく撮ってみた次第。天気が悪くてね、絵にはなりませんでしたが、サービス煙?で応えてくれました。



平成5年5月16日

結婚後に初めて女房を連れて出掛けたときの写真。適度な撮影場所が見つけられなかったのですが、大量の煙で助かりました。出来れば後の鉄塔が煙でカブって貰いたかったんですけど・・・横風が少し強かったようで・・・。


SL+旧型客車という、SL派からすれば最高のシチュエーションの筈なんですが、電化区間で架線柱の間隔が短くうっとうしい、装飾が派手で目立ち過ぎ、といったことから結果的にはあまり訪れなかった秩父鉄道。
平成5年の写真を最期に、もう16年もパレオを撮りに行っていません。最大の要因は12系化されたことで写欲を削がれてしまったこと。そして、各地でSLが復活したため拠点が薄まったことでしょうかね。そして、子供が生まれてからは出歩く時間すら削られてしまいました。

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小野田線本山支線 クモハ42005

2009-04-09 01:16:00 | 旧型国電
こんばんわ。今日は起きてます。

しばらく旧型国電ネタから遠ざかっていましたので、1回完結ネタになってしまいますが、小野田線本山支線のクモハ42をご紹介したいと思います。


※撮影は、全て昭和57年10月5日です。


雀田駅にて

本山支線は単線1閉塞のみで、1両のクモハ42が往復するだけの路線でした。
早朝に宇部新川駅を出発し、直通で長門本山駅へ。そのまま午前中に7往復を運転します。小野田線との分岐点となる雀田駅から終点の長門本山駅は2駅間でわずか2.3kmという短さ。

土曜のいわゆる半ドンの日は13:30から1往復の電車がありますが、この日は土曜日でないため運休。クモハ42は雀田駅で16:30までパンタグラフを下ろして昼寝。夕方と夜に合わせて6往復して1日の運転を終了します。

写真は夕方の運転のためにやっと起きたところ、といった具合です。



風情のあるサボと形式表記

サボはプラスチック製のようですね。
この日の登板は005。本山支線用として001、005、006の3両が用意されていましたが、001はちょうど幡生工場に入場していたようでした。



クモハ42の検査表記類とお顔

こちら2位側のお顔ですね。長さのあるホロ枠が特徴で、私的にはこちらのお顔が大好きです。ただ、このまっ黄色のお顔はファンの間ではあまり好かれていなかったみたいです。ちなみに、引退末期の頃は、この警戒色は撤去され、茶色一色になりました。



長門本山駅にて

終点の長門本山駅は、突き当りの道路を挟んで直ぐに海になっていたようです。折り返しまであまり時間が無かったので、海を見る余裕がありませんでした。
写真左手前にはコスモスが写っているようですが、悲しいかなモノクロで撮ってしまったため、せっかくの季節感を台無しにしてしまったようです。



長門本山~浜河内間にて

長門本山駅を発車したクモハ42005。奥に見えるのが長門本山駅です。
電化区間において架線柱というのは処理に困るもんですが、構図的には邪魔な架線柱も、木製の架線柱はローカル然とした雰囲気を十分に醸し出してくれました。
「ワンマン」表示も無い時代ですので、オリジナリティもタップリですね。


茶色の関西急電から始まり、横須賀線ではスカ色に変身して颯爽と駆け抜け、また茶色に戻ってローカルでノンビリと余生を過ごしていたクモハ42。
旧型国電にあまり興味を示さなかった私でしたが、GMのクモハ43のキットを見つけて以来、小窓の行列が壮観なスタイルに惚れこみ、このクモハ42系が大好きになりました。
特に、両運転台で貫通幌受けの長いタイプの重厚さが大好きで、とき間に合わずして見ることが出来なかった飯田線のクモハ42に思いを馳せ、意地でも逢いたくなって、山口線の撮影に合わせて立ち寄った次第です。

その後は山口線の12系客車改造により写欲を失い、以来訪れることがなくなってしまいました。
しかし、旧型国電への憧れを誘ったクモハ42は、死ぬまで忘れられない存在でありつづける筈です。

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番号不明のEF15

2009-04-08 06:36:00 | 国鉄・JR機関車(直流型)
おはようございます。昨夜は早くに寝てしまったので、早起きアップです。

今日のネタはEF15です。が・・・・番号が不明で画像が悪いんです。
本来ならアップを見送るような内容ですが、貨物列車として捉えれば懐かしい編成ですので、ぼんやり見ていただければ・・・。



蕨~西川口間にて 

撮影時期すら不明。ブレていなけりゃサイドの番号で判る写真なんですけどね。ステップの白塗装から東京機関区であることが判ります。何となく中央3連窓が白っぽく見えるので、201号機ではないかな?という気がします。



昭和52年頃 蕨~西川口間にて

2ケタ番号車のようですが、朝日の逆光でサイドが潰れ、デッキが正面のナンバーに掛かって見えません。50番代っぽいですけど。



昭和52年頃 蕨~西川口間にて

こちらは、サイドがせっかくキレイに写っているのに、ピンボケで番号が不明になってしまったタイプ。こちらも東京機関区、2ケタ番号車のようですね。


昔の写真からスキャンしたものは、ピンが甘いとかブレているということで番号不明なものがあります。記録としては役に立ちませんが、印象としては古き良き時代を映し出しているので、なかなか捨てられない写真なんですよね。

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国鉄 旧型客車 スハニ64

2009-04-07 00:33:00 | 客車 列車・車両(ブルトレ以外)
こんばんわ。
昨日は良いネタだと思ったのに・・・



昭和53年頃 東北本線 黒磯駅にて スハニ642143

客荷合造車だとオハニ61が有名ですが、オハニ61を電暖化した際に重量が変わり、結果として新形式が与えられたのがスハニ64です。暖房方式以外はオハニ61と何ら変わりません。

昭和50年代、客荷合造車は亜幹線での使用が殆どであり、需要の多い東北本線では珍しい存在だったと思います。
毎年数回、母親の実家へ行く際に急行に乗ったり普通列車に乗って行ったりしましたが、黒磯口ではホンの数回しか見たことがありません。
そういう状況の中で、たまたま旧型客車を撮りに行ったときに偶然にも居合わせたので、非常にラッキーだったと思います。

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485系「やまばと」 総集編(クロ・クハボンネット型)

2009-04-06 16:51:00 | 特急型電車(交直流・交流)
こんばんわ。
また2日間の休みが終ってしまい、忙しい1週間となりそうでガッカリ。

さて、過去に何度かアップしたことのある特急「やまばと」ですが、フィルムスキャンから得たボンネット型の追加写真をまとめてアップし、総集編:最終回としたいと思います。
※過去ログ『485系「やまばと」 総集編(貫通型・非貫通型)


昭和48年頃 蕨~西川口間にて クロ481(再掲)※トリミング処理

上野~山形・会津若松間の気動車特急として誕生した「やまばと」ですが、奥羽本線の電化により会津若松編成を分離の上、483系化されて晴れて電車特急としてのデビューとなりました。
483系登場当初は、481系と同様にタイフォンがスカート部に取り付けられていました。そして、東北特急にはクロ481が登場し、上野方に連結されるようになり、「やまばと」は12連になってもこのような編成が見られました。
しかし、東北地方を走行するためにスカート部への雪の付着が問題となり、タイフォンのボディー側への移設工事が行われるようになり、その後の増備車は全てボディー部への取り付けとなって新製されています。この写真を撮った頃には既にボディー側にタイフォンを設置された車両を見た記憶がありますので、写真の旧タイプも最期の頃であったと推測されます。



昭和51年頃 上野駅にて クハ481(再掲)

この頃は既にタイフォンの移設工事も終っており、前出のような旧タイプの車両を見ることはありませんでした。
「やまばと」の車両は全て仙台運転所持ちであり、山形方の車両は殆どがボンネット車で組成されていました。



昭和52年頃 大宮駅にて クハ481(再掲)

陽の向きと座席の向きから見て、午後の上り「やまばと」でしょうか。この頃から既にボンネット車が好きだったようで、クロの外れた上野方の車両は撮らず、仙台方のボンネット車ばかり撮っていたようです。



昭和52年頃 上野駅にて

上野駅地平ホームでの1コマ。16番線にクハ481-200番代の「ひばり」。そして、15番線にはボンネット型の「やまばと」が停車しています。東北・上越新幹線の開業前、上野駅の特急黄金時代とも言える頃ですね。「ひばり」の方は、連結器カバーから見て青森運転所の編成のようです。



昭和52年頃 大宮駅にて クハ481

この列車も、陽の加減の感じからして3枚目の写真と同じ運用のようですね。プリントすると先頭が切れてしまうほどギリギリのフレーミングなので、プリントにしていなかったようです。


「やまばと」は昭和53年10月のダイヤ改正から秋田運転所持ちとなってしまった関係で、その後の活躍も続いたボンネット型が使用されることが無くなってしまい、魅力が大幅にダウンしてしまった列車と感じます。その時点でまだ中学2年生でしたので、残念ながら大変記録が少ない列車でした。

当時から3往復しかなく、やや地味な存在であった気がしますが、東北ボンネット車としては唯一残っていた4文字列車でもあり、トータルバランスの整った列車として思い出深い特急です。

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