蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

お見合い結婚って、なあに?

2012-08-02 | 暮らし

お見合い結婚について。

閉鎖された地域では、よく行われていた。
親戚間での婚姻もよくある。
明治~大正時代は、女学校の先生が、善意で、生徒の嫁入り先を紹介していたことも、けっこうあった。
嫁入り先は、同じクラスの生徒の、実家の長男に、とか、
紹介する生徒側も、される生徒側も、両方生徒の家なので、わかりやすい。
物産品の生産地や、生産者(=生徒の家)をよく知る、先生によって行われる、
教室を市場に見立てた、ブツブツ交換のようなものだ。

また、男女の出会いがあまりない職種の男性や、女性、
あるいは、自力で女性を口説くことが出来ない男性の結婚サポートシステムとして
お見合いは確実で、手っ取り早い。

途上国女性と日本男性、日本女性と白人男性という、上方婚もある。
インターネットで、アジア(日本以外の)女性を日本男性に紹介するサイトもある。
(魂胆が透け透けで、無性に不快な気持ちになる)
中国のように、熱心に、先に親が婚活をする場合もある。
条件は、結構、厳しいようだ。
恋愛がどうこう、スキだ、とか、究極の好みや感情の追究に至らずとも、
どっちか一方が(理想は両方が)少しでも好感を持てば、結婚は成立しそうだ。

就活のように、エントリーして
双方の条件に合った相手をコンピューターでマッチングする、わかりやすい結婚紹介システムもある。


結婚をどうとらえるかという、個人の考えも大きな要素だ。
お見合いではない場で知り合っても、相手が熱烈に惚れてくれた場合、
結婚するとしたら、この人ならいいかな、と、さほど自分は死ぬほどスキでなくても結婚することもある。
お見合いの時のボルテージと、さして、かわらない。
自分が相手を強烈に大好きになって、どんな悪条件も、はねのけるぐらいの熱情があれば、
結婚後も、後悔せず、やっていく自信があれば、結婚するとよい。

恋愛して好きになったら結婚したくなるのが、通常、ノーマルな順序だろう。

相手が、熱烈に「キミがスキだ」と言って結婚を申し込んできたとしても、
(イタリア人は、しょっちゅう、言っているようだけれど)
なかには、結婚に向いている相手だと判断して、申し込んでいる場合もある。
逆に、相手に猛烈にアプローチ、アタックする場合も、結婚に好条件な男性を射止めようとする女性もいる。

恋愛に破れて、でも、誰かと家庭をもって結婚したくなり、お見合いするとか、合コンに参加するとかする場合もある。

恋愛の時も、カッコイイ男女は、引っ張りだこで競争率が高いが、
結婚においても、条件のいい男性は、引く手あまたで、すぐに売約済みになってしまう。
ただし、条件だけではなく、本人の資質(ルックス、性格、思考力など)も当然、重要な要素。
しかしながら、どれに重きをおくか、優先順位は、ひとそれぞれ。

結婚には、いろんな考え方があって、千差万別で、正解はない。
国や時代によっては、一夫多妻制のところもあるし、母系家族のところもある。
通い婚も、遠距離・婚も、マスオさん婚(婿養子)も、形態は様々。

昨今は、核家族が当然のようになっているが、若い世帯の子育て放棄など、弊害も生まれている。
民間や行政機関の子育てサポートの利用だけではなく、
タテのつながりをうまく生かして、親世代が、若い世代の力の及ばない部分は、縁の下の力持ちとなり、
子育てをバックアップするのが望ましいと思う。
(とはいえ、でしゃばらないこと)

スキだから結婚するのもよし。(後のことは、一切考えない人と、考える人がいる)
あとで、スキにならなくなって離婚するのもよし。(これは、結婚するときより、困難)
離婚できないならできないで、それもまた道。

恋愛であれ、お見合いであれ、結婚とは、生活である。
共に暮らすということ。家庭を持つということ。
結婚しないで同棲、のちに子供が生まれる、ということもある。
結婚を視野に入れて同棲していても、破綻する場合もあるが、結婚しても破綻することもある。

だが、日本の場合、同棲と結婚は違う。
(フランスのように、同棲と結婚をあまり切り離して考えないで、その中間的な制度を作っている国もあるが)
制度としても、違うが、
親戚や職場など、社会的に認知される結婚には、社会人としての責任のような自覚が芽生えると考える。

同棲なら、破綻した場合、解消するのは自分達だけの問題だが、
結婚の場合、そうはいかない。
そっと離婚した場合は目立たないが、再婚する時に、周りにいずれは気づかれることになる。
両家、両方の職場、その他、影響を及ぼす範囲は大きい。
なので、少々の難は、目をつぶりガマンする。
そのうち、雨降って、地かたまる、などという発展的・相互理解につながることもある。

似たような環境の人と結婚するほうが、困難が少ないと予想できる。
あまりにも違いすぎると、価値観の違いが埋められなかったり、
恋愛時代には、お互いの違いを新鮮に思っていても、
結婚後は、その決定的な違いは、ズレ、溝となり、お互いの環境や親、親戚を非難しあうことにもなりかねない。


王位継承権のある王族が、その地位を捨てて、一般人と結婚するケースが、なかにはある。
一般市民には関係はないことだが、オフィシャルとプライベートが、ごっちゃになっていて気の毒ではある。
日本の皇族は、一般人から嫁入りするようになったが、男性が婿入りしたりはしないようだ。
どっちにしても、庶民には関係ないことではあるが、
国の長い歴史を誇る場合に、生き証人のように、時代をつないでいる。
政治や時の権力者に利用されたりして、自分ではどうしようもない、うねりに巻き込まれることも大いにある。

結婚制度、家制度なんていうものは、時代とともに移り変わっている。
古い意識に縛られている人もいるし、
全てが全て、陳腐で無意味なものかといえば、そう言い切れないようにも思う。
しかしながら、悪しき陋習は、破るべきである。
が、踏襲すべきことも、先代からの丸のみではなく、厳選して次代に引き継ぐことも悪くない。
先人の智恵を、すべてをはねのけるのではなく、良いと思ったものは拝借することは、決して悪くない。
ただし、チョイスする力が必要。
選択を誤ると、ややこしい、厄介なことになる。

結婚観は、時代や場所によって違うのは当たり前だが、
現在のそれぞれの生きている場所によっても、大きく違う。

単純に感情面や性の面だけを取り出して、議論するのは、大いに結構。
スキャンダルネタで騒ぐのもストレス解消になることもある??
お互い同居人(配偶者)や親族の、生活スタイルの温度差を愚痴って、日々の暮らしのうっぷんを晴らすのもよし。
結婚をテーマにした芸術を掘り下げ、深く楽しむのも、いい。

ただし、総合的に複合的に議論したりするのには、範囲が広すぎて、焦点が定まらず、詰め切れないと思う。
結婚のすべてを体系立てて知ることは、知って損をすることはないと思うが、
学問チックになって、遊びの要素がなくて面白みに欠ける。(でも、わたしは、けっこう、スキだったりする)

 

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あくびの出る話で、すみません。
オリンピック(男子体操)を背中で見ながら、時々テレビの方を振り向いて(上半身180度ひねり回転)
集中力、分散しまくり状態で書きました。