父が書いた自叙伝もどき、昔の思い出・作文を、先日、実家でもらってきた。
タイトルは、「私の履歴書 ~思い出すままに~」、
父の法要の記念として、義姉が簡易製本してくれたものだ。
実家で古い初代ワープロを処分するにあたって、データをパソコンに取り込めるようで、
パソコンに詳しい義姉が、残っていたデータを復元してくれた。
もう、3ヶ月ほど前にもらっていたのだが、読む気がすぜ、ほったらかしにしていた。
今日は、お盆行事からの解放され、今度は、娘夫婦を迎えるための準備をするために、
部屋の片づけをしようと、そこらあたりの書類から手をつけた。
で、さっそく、その文書を手にしたとたん、そうだ、こんなもの、あったなあ・・と読み始めた。
父が72歳の時に書いたものだった。
父は、文章を書いたり、写真を撮ったりするのが好きだったが、なかなか上手いなあ・・・と感心した。
というか、特出した文才はないかも知れないが、読みやすい、わかりやすい、
文法的誤りがない、誤字脱字がない、客観的事実に誤りがない、忠実な客観的描写が、きちんとされている、
テンポがよい、リズムがある、語彙が豊富、・・・などなど・・・
さすが、生まれつきの文系人間だと、いまさらながら思った。
父は、紆余曲折の後に、理系に進んだが、文転ならいざ知らず、理転は、さぞやキツかったことだろう。
(偶然か、必然か、兄も同じ道を辿ることになった・・・)
学生時代の、文字どおりの死闘というかんじの、苦労だらけの勉強方法も記されていた。
平和な時代に生まれ育った、わたしなんか、比ではない。
学生時代の苦楽の様子や、当時の時代背景などもよくわかる、とても興味深いものだった。
というか、・・・
ちょっと読んでは、涙。
また、読んでは、涙。
ああ、もう無理。読めない。
席を立っては、涙。
うろうろ、動物園のクマみたいに歩きまわって、お茶を飲んで、
そして、また読む。
ティッシュで、なんども、涙と鼻をふき取る。
部屋を移動して、椅子を変えて、また読む。
父は、父の父(祖父)が72歳で亡くなったので、自分がその年齢に達した、72歳の時に、
その「履歴書」を書いた。
それを書いてから、6年後に父は、この世を去った。
履歴書は、昭和21年で終わっていた。
父が生まれてから、幼少時代~学生時代~出征~戦争が終わり、復員して日本に帰ってくる、その当日までだった。
まだまだ続編はあるだろうが、わたしは、今は、この時点では目にする機会に恵まれていない。
いちばん、涙が出て止まらなかったのは、
父が、祖母(=父の母)をお伊勢参りに連れて行ってあげたときの件(くだり)。
父の思いつきで、ほんの軽い気持ちで、大阪の上六の高級ホテルで一泊して、伊勢に祖母を連れて行ったそうだが、
祖母は、たいへん喜んで、いつまでも、何十年たっても、息子(=父)に、伊勢に連れて行ってもらったことを嬉しそうに人に話したそうだ。
父は、さして、たいそうな気持ちもなく、適当なノリでやったことが、
そんなに親孝行になったとは、自分自身でも、驚くような照れるような、複雑な心境だと、当時を振り返っている。
かくいう、わたしも、そういえば、祖母が晩年、もう90歳に近い頃、
「○○(=父)が、上六のホテルに連れて行ってくれて・・・」と、
珍しく無口な祖母が、嬉しそうに語っていたことを思い出した。
当時は、夫婦で旅行などできない時代だったので、息子に連れて行ってもらったことが、よほど嬉しかったのだろう。
下娘も、わたしの後に、これを読んでいだ。
「感想は?」と聞くと
「面白かった。特に、戦争のところが」
とのことだった。
わたしは、読むのに時間がかかったが(うろうろしたし、テッシュで涙や鼻を拭いたり、忙しかったし)、
彼女は、わたしが、このブログ記事を書いている間に、(しかもブログ記事の真ん中あたりで)あっという間に読んでしまった。
速読技術を取得した?
わたしが、とろいだけか?
わたしは、父の「私の履歴書」に、とても深いものを感じた。
この父親の子供でよかった、と、こころから思った。
いつも、わたしは、怒られてばかりで、楽しい思い出よりも、マイナスの記憶のほうが強烈だったが、
(梅ちゃんのお父さんみたいなイメージ)、奥の深さを感じた。
そして、父は、文中でも、祖父や祖母に感謝していた。
自分が、ここまで来られたのは、両親や周りの人のお陰だと記していた。
わたしが、今あるのは、両親のおかげ、両親があるのは、祖父母のおかげ。
順々に、感謝のスパイラルだ。
この想いを大切にして、自然なかたちで、子や孫に伝えたいと思う。