蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

新境地

2012-08-21 | わたし

わたし、ご近所ブログの皆さま方よりも、ちょっと年上のようだ。

世代のステージが、すこし早く進んでいる。
年下の方々と感覚的には、共通点があるということは、わたしは、実年齢より、未熟なのかも知れない。

わたしの子どもたちが、高校生やら大学生の頃といえば、もう、ずいぶん、遠い昔だ。
各人、遠隔地から学校に通ったり、就職したり、親元を離れて、もうかなり、時間が経つ。
いちばん期間が長い子供で、10年、その次の子が、7年経過している。
いっしょに、生活していた日々は、もはや過去になり、配偶者を得た子もいるし、
さらに遠くに赴任して帰ってこない子もいる。

上娘が帰省してくると、息子のかわりに、婿がいて、合計、かつての家族と頭数は同じだ。
息子より、ずっと愛想のいい婿と接すると(たとえ、帰省の間だけの営業スマイル、義理トークだとわかっていても)、
なんだか得をしたような気になる。
次女だけは、まだ自宅から通勤しているが、明日、家を出ても不思議ではない。

子供が学生である時期と、そうでない時期、この年齢の違いは、けっこう大きいかも知れない。

わたしも、年を取った。
それは、子供が年を取るとともに、自分たちの親も年を取った、その影響が大きい。
自分ひとりで、年を取るものでもなさそうだ。

偉そうにしていた親が、年をとって、衰えてくると、「いたわる」、というプロセスのその前に、
力関係が逆転した瞬間は、バカにする、軽んじる、仕返しする、という、
かつて、頭をおさえるけられていた時期分の逆襲、貸し借りの微調整・反動期間が生じるようだ。
完全に逆転しきったところで、もう、前の力関係に戻るという力の逆転はありえないと、決定的になったところで、
やっとこさ、力を貸す、手助けする、という、強い者から弱い者へのいたわりの精神が芽生えるようだ。

いま、まさに、わたしたちは、その反動の期間である。
親は、弱りかけているが、まだ強い。
親も、権力を発揮したいが、身体が弱ってきたので、しかたなく、譲ろうとするが、まだ、元気。
元気になったり、弱ったり、行ったり、来たり。でも、まだ元気。
老政治家が、ちっとも引退しないのと、ちょっと似ているかも?
そのうち、元気なときよりも、元気でなくなってくるほうが、ウエイトを増してくるのだろう。
そうやって、権力の移動、徐々に世代交代が行われるようだ。

それと同じことが、子供の世代と、わたしたちの世代にもいえる。
行動力、体力、知力は、もう、完全に子供世代のほうが、親世代を上回っている。
ただ、親世代は、地域や、親族の間、社会でのキャリアの影響では、まだまだ、強い。(親の親も、まだまだ根強い)
だが、親世代と子世代は、互助関係にある。
これは、子供たちが学生の間には、ありえないことだった。
口ばかり達者でも、社会にまだ出ていない、しかも、親に養ってもらっている身では、なにを言っても口先だけの理想論となってしまう。
実力をつけて、社会で一人前にやってこそ、一人前の口がきけると思う。

なので、いま、子供世代、我々世代、親世代、この3世代が、
微妙な力関係の均衡を保ちつつ、崩れつつ、スライドを行っている時期である。
(他の人の話を聞くと、老親たちは、とっくに引退しているか、病気の人が多いようだが)
それは、実際に、子供たちが社会人になって、ある程度実績を積んできて、はじめて実感したことだった。

そういうあたり、子供や老親の状況の違いは大きいと思う。
子供の年齢が違う、というのは、単に、何歳上、とか、そういう単純な違いだけでは済まされない。

家族の中だけのことだと思うようだが、これが、けっこう、そうでもない。
考えが、変わると、家庭内だけのことではなく、
もっと、広い、家庭を離れたところで、自分の考えが変わったことを自覚する。

年齢って、大きい。
われわれよりも、上の年齢の人たちは、われわれより、もっと、いろんなことを経験し、いろんなことを感じ、
いろんな人生経験を積んでいる。

これらのことは、年齢を重ねて、わたしが、はじめてわかったことだ。
カサブタが、とれるように、焼魚の身が骨からぽろっと取れるように、
ある日、突然、予想もしていなかった心境が理解できるようになる。
年上の人々から聞かされていたことが、自分のこととして、実感、納得できるようになる。
じつに、不思議な感覚だ。

そして、自分のまわりにいる人の影響を無意識に受けている。
どういう人と付き合うか、どういう人が、身近にいるか、これは、とても大事なことだと思う。
年齢の低い時から、高い時まで、一生を通じて、自分の回りにいる人を見て、そう感じる。
不幸は、自分から知らず知らずに選んで不幸になっていく、不幸が不幸を引き寄せるそうだが、
幸せは、知らず知らずのうちに、自分が幸せを選んでいっているそうだ。

正(プラス)も負(マイナス)も、スパイラルだと感じる、今日この頃だ。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ人気ブログランキングへ