人が見かけで判断されるように、ブログのタイトルで、人は集まったり、スルーしたりする。
タイトルのつけ方は、アクセス数に大きく影響するようだ。
そして、アクセス数と、ブログ村の人気記事ランキングは、まったく関連性がないようだ。
わたしは、長く自分のブログを続けてきて、多少の演出はあっても、さして、大きなウソはなく
(「誇張」や「装飾」「偏見」を「ウソ」と指摘された場合、返す言葉がないが)
そうやって、あれこれ書いてきたので、
ここにきて、ホンネ中のホンネが書きにくくなってきた。
ブログを始めたころは、必死だったので、ありのままを熱心に、汗水流して、自分なりに工夫して書いてきたが、
いまは、どうだろう・・・??
決して、ありのままではないような気がする。
「ブログを続行してください」、とリクエストを受けることはあるが、それは、その人の都合で、そうおっしゃるわけで、
わたしは、自分より、その人の都合を優先するほど、スタミナがあるわけではない。
今のこのブログのままでは、だんだん、しんどくなってきている。
ご近所ブログの皆さんは、新しくブログを切り変えているが、わたしは、新しいブログを追加していっている。
つまり、結婚していて、離婚、再婚、離婚、再婚を繰り返しているケースと、
結婚していて、離婚せずに、恋人を一人増やし、二人増やししているようなもの。
恋人は変わっても、配偶者はずっと同じ。
住んでいる家を処分して、老人施設に入所したり、外国に拠点を移し変えたり、引越ししたりするケースと、
住んでいる家をそのまま残して、別荘を持ったり、週末マンションを購入したりしているようなもの。
(そんな、豪華版ではないが)
あっちこっちに、住居を持ちつつも、毎日、元の家には必ず帰り、住み続けている。
窓を開けて風を通すだけではなく、毎日、水もやり、草も、引いている。
それが、息がつまりそうになって、第二の家(恋人)、第三の家(恋人)を創るものの、
そこで自分を解放しているかというと、そうではなく、嘘八百も書けず、別の自分にもなれず、
自分の特化した部分を分けただけに過ぎない。
恋人たちの家でも、水をやったり、草を引いたりすると、労働量が増えるだけで、もはや息抜きなんかではない。
総合デパート・ブログだったのを、その中から特に思いの強いものを切り離し、専門店として、出店しているだけだ。
あいかわらず、本家のデパートは、カタチは少しずつ変わりつつも、営業を続行している。
だが、時流の波にも乗り切れず、赤字だ。
演出を少し引き算したとしても、自分の書いてきたものは、紛れもなく自分。
そんなに長らくお読みいただいている方がおられるのかどうか、知らないが、
自分のブログには、本当の自分がいて、過去の自分は消えていなくて、
ひょっとするとずっと読んでおられる方がいて(先日、ありがたいコメントを頂戴し、それはそれで驚きとともに嬉しく思い・・・)
しかも、本当にリアルの方も何人か、読んでくれていて・・・
で、ここにきて、疲れてきた。
息がつまってきた。
自分ではない、自分を出したい。
現実の自分ではない自分ではあるが、本当の自分を。
人に見られても、聞かれてもいいホンネって、ありえる?
それは、ホンネではなく、お飾りものの、映倫カットつきの、検閲つきのホンネであって、
もはや、そんなものはホンネとは言い難い。
気分転換のようなものをしたいのか。
他のブログもどれも、みな直球になってしまっている今、息抜きできる場所がない。
そのためには、やはり、いったん、このブログを製本化して、自分の記念として紙に残しておきたい。
(ブログをいったん閉鎖せずに、そのまま続けているのは、自分のこれまでの歩みを肯定していることだそうだ。
ご近所ブロガーさんに、そう指摘され、なるほど・・・と、気づかされた。
ただし、人の目を意識している・・・そこには、自分に正直でない部分は、多少?多々?ある。
それは、経験から得た悪智恵だ)
それからのことは、また、それから考えたい。
そう言いつつ、どんな装丁、どんな形式、どこの会社に、いつ・・・
・・・ほんとうに、閉鎖して、いいのか?
あるいは、もうひとつ、ホンネブログを立ち上げる?
しかし、これ以上、ブログを持つのは、限界を超える。
あれこれ具体的に考えるのが面倒で、縮小版で、細々、ずるずる、右肩下がりで、このまま行きそうだ。
自分に純粋、正直、妥協を許さないのではなく、やはり、たんに、面倒くさいだけだ。
結婚もこれに似ている?
コトを大げさに騒ぎ立てると、後々が、面倒なので、些細なことには目をつぶる。
年をとってくると、行動まで省エネになってきて、理想だの、希望だの、そんなことは、めんどう。
理想のための、具体的行動や努力や、
後々に控える、逆風や反動、リアクションを考えると、
なにごとも、そっと・・・多少の不満はあっても、そのままにしておきたい気になる。
濁った目は、益々、体の動きとともに、濁ってくる。
鈍さ。
これが、老人力?
いやはや、・・・都合のいい言葉を考え付いた人がいるものだ。
でも、ほんとうにほんとうに、蝶ブログ続行、どうしようか、悩んでいる。
だが、明日は、忘れているかも知れない。