学歴偏重
わたしは、子供に、「勉強しなさい」と言った記憶がない。
わたしは、親にも「勉強しなさい」と言われた記憶がない。
学期末の通知簿やテストも、親は見ていない。
親は忙しくて、それどころではなかったのだろう。
ただ、母は、突然、「あんたは、学校で、いったい、なにを習っているんや?」
と、わたしが今、書きかけの小説の中に出てくる、主人公の鬼の母親みたいな、
憎たらしい、頭ごなしの反語っぽい否定から始まる凶暴な言葉で、わたしを傷つける。
勉強しろとは、決して言わないし、学歴偏重志向の父とは、意見が正反対の母だった。
(だが、たまたま、知人から耳にした、親が手抜きできる学校に、子供を放り込んだ)
父は、いつも、わたしに、「こんなことも、知らんのか」と頭ごなしに言い、
わたしは「学校で習ってないもん」と異議申し立てをする。
ふたりとも、わたしには勉強をしろとは、一言も言わなかったし、そのまま、わたしは、のんびり育った。
ある日、わたしは、のんびりすぎる、困った結果を抱え、
学校の勉強がわからないので、家庭教師をつけてほしい、と母に頼んだが、
「そんなもん、必要ない。どうせ、あんたは勉強なんかせんやろ」と、けんも、ほろろ。
このままでは、わたしは、社会の星クズになってしまうのでは・・・と、危機感に駆られ、
とりあえずは、中学のとき、英語塾に入ることにした。
親は、すんなり承諾した。
(といっても、姉と同じ塾だけど)
中学では、脳が溶けそうな化学をはじめ、苦手科目は深刻さを増していた。
気合と根性だけで、意味もわからず丸暗記、高校だけは・・・と、志望校をめざした。
高校の時、拍車をかけ、理数系は、まるで、ちんぷんかんぷん。
塾以前の問題だった。
学校のシステムはちょっと不思議で、わたしは数学は、からっきしデキなくて、ついていけなかったが、、
高校3年の時に進んだ文系女子のクラスでは、教科書に応じた内容の中間・期末テストは、高得点だった。
つまり、理数系に進む気のない生徒、しかも女子には、授業は教科書の内容、テストも教科書に沿ったもの、
しかも、テストの難易度はかなり低く、誰でも満点に近い点数は取れるようになっている。
(と、たぶん、想像する。わたしが取れるぐらいだから)
まったくデキない数学なのに、点数は満点に近い。
嬉しいかというと、複雑な気持ち。
ラッキー!! あるいは、ナメてんか?というかんじ。でも、哀しいこともない。
(高校3年の数学は、私立では文系の生徒は、大学受験に科目を絞って、
ひょっとすると数学の授業そのものが、学校では行われていないかもしれない)
点数なんて、評価基準によっては、あって、ないようなもの、
評価なんて、あって、ないようなもの。
デキが悪くても、その方面に進まない場合、凪のように波や風は止まるってこと。
それをラッキーととらえるか、こりゃ、いかん、ととらえるか。
それは、各人、それぞれの性格であり、生き方であり、人生である。
学歴を必要とするか、しないかで、天国と地獄の差。
楽をしたり、苦労をしたあとの、学歴の違いも、天国と地獄の差。
その後の人生、学歴に左右されるところに、いるのか、いないのか。
社会での立ち位置、ポジション。
各人、それぞれ。
学歴と学力も微妙に違う。
下娘は、
「勉強しろって言われなかったから、勉強しなかった」と、言っている。
上娘は、受験直前までクラブをしていた。(体育系)
息子は、中学以来は、家で勉強をしている姿を見たことがない。
(横になって寝ているような姿で、本を下に置いたまま読んでいて、
よく見ると、それが勉強関係のものだったような時も稀にあったかも)
わたしは、勉強しろと親に言われなかったので、勉強しなかった。
子供のことは、まったく言えない。
だが、無言のプレッシャーは、あったかも知れない。