蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

学歴偏重

2012-08-07 | 人生

わたしは、子供に、「勉強しなさい」と言った記憶がない。
わたしは、親にも「勉強しなさい」と言われた記憶がない。

学期末の通知簿やテストも、親は見ていない。
親は忙しくて、それどころではなかったのだろう。

ただ、母は、突然、「あんたは、学校で、いったい、なにを習っているんや?」
と、わたしが今、書きかけの小説の中に出てくる、主人公の鬼の母親みたいな、
憎たらしい、頭ごなしの反語っぽい否定から始まる凶暴な言葉で、わたしを傷つける。

勉強しろとは、決して言わないし、学歴偏重志向の父とは、意見が正反対の母だった。
(だが、たまたま、知人から耳にした、親が手抜きできる学校に、子供を放り込んだ)

父は、いつも、わたしに、「こんなことも、知らんのか」と頭ごなしに言い、
わたしは「学校で習ってないもん」と異議申し立てをする。

ふたりとも、わたしには勉強をしろとは、一言も言わなかったし、そのまま、わたしは、のんびり育った。
ある日、わたしは、のんびりすぎる、困った結果を抱え、
学校の勉強がわからないので、家庭教師をつけてほしい、と母に頼んだが、
「そんなもん、必要ない。どうせ、あんたは勉強なんかせんやろ」と、けんも、ほろろ。

このままでは、わたしは、社会の星クズになってしまうのでは・・・と、危機感に駆られ、
とりあえずは、中学のとき、英語塾に入ることにした。
親は、すんなり承諾した。
(といっても、姉と同じ塾だけど)

中学では、脳が溶けそうな化学をはじめ、苦手科目は深刻さを増していた。
気合と根性だけで、意味もわからず丸暗記、高校だけは・・・と、志望校をめざした。
高校の時、拍車をかけ、理数系は、まるで、ちんぷんかんぷん。
塾以前の問題だった。

学校のシステムはちょっと不思議で、わたしは数学は、からっきしデキなくて、ついていけなかったが、、
高校3年の時に進んだ文系女子のクラスでは、教科書に応じた内容の中間・期末テストは、高得点だった。
つまり、理数系に進む気のない生徒、しかも女子には、授業は教科書の内容、テストも教科書に沿ったもの、
しかも、テストの難易度はかなり低く、誰でも満点に近い点数は取れるようになっている。
(と、たぶん、想像する。わたしが取れるぐらいだから)
まったくデキない数学なのに、点数は満点に近い。
嬉しいかというと、複雑な気持ち。
ラッキー!! あるいは、ナメてんか?というかんじ。でも、哀しいこともない。
(高校3年の数学は、私立では文系の生徒は、大学受験に科目を絞って、
ひょっとすると数学の授業そのものが、学校では行われていないかもしれない)

点数なんて、評価基準によっては、あって、ないようなもの、
評価なんて、あって、ないようなもの。


デキが悪くても、その方面に進まない場合、凪のように波や風は止まるってこと。
それをラッキーととらえるか、こりゃ、いかん、ととらえるか。
それは、各人、それぞれの性格であり、生き方であり、人生である。

学歴を必要とするか、しないかで、天国と地獄の差。
楽をしたり、苦労をしたあとの、学歴の違いも、天国と地獄の差。

その後の人生、学歴に左右されるところに、いるのか、いないのか。
社会での立ち位置、ポジション。
各人、それぞれ。

学歴と学力も微妙に違う。


下娘は、
「勉強しろって言われなかったから、勉強しなかった」と、言っている。
上娘は、受験直前までクラブをしていた。(体育系)
息子は、中学以来は、家で勉強をしている姿を見たことがない。
(横になって寝ているような姿で、本を下に置いたまま読んでいて、
よく見ると、それが勉強関係のものだったような時も稀にあったかも)

わたしは、勉強しろと親に言われなかったので、勉強しなかった。
子供のことは、まったく言えない。

だが、無言のプレッシャーは、あったかも知れない。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ人気ブログランキングへ