ニュースが重い、、、。
世界中にこのムード。
まるで映画を観ているかの如く。
学生さんが、大学から実家に戻って感染が広まっている。
関西方面の学生は実家に休日に戻るには、近畿では大学が京都にあると最もドンピシャの位置にあるらしい。
「週末、実家に帰って洗濯物、持って帰るのにちょうどいい距離」
その言葉が夫から出た時、突然、何故かわたしは普賢岳か富士山が噴火した。
わたしの怒り琴線に触れた。
学生が下宿だったり、洗濯機がないならわからないでもない。
コインランドリーは今ほど多く普及していないかも知れない。
が、親に洗濯機をはじめ家電一式取り揃えてもらっている場合は?
ここから、逆噴火にコース変更となる。
夫は社会人になるまではアルバイト経験ゼロ。
学生時代は親が一式丸抱え。丸々面倒を見てもらっていた。
まあ将来への投資、国に代わって親が奨学金を出していると考えれば、そんなに目を三角にして怒ることはない。
お金というカタチに限らず、社会人になってから少しずつ返していけばよい。
それはそれとして。
次が大事。
大学が遠距離にあったため、大学から通える地にある賃貸住宅に一人で住んでた。
親からの家賃もさることながら、家事一切も、近くに住んでいた親戚(叔母)に丸投げ!!!
思い出しただけで、噴火後の富士山の灰を一気にガサ〜っとかぶったようになる。
洗濯機、冷蔵庫、電子レンジ、トースター、掃除機などの家電を全て揃えてもらい、下着も山のように新品を買い揃えられ、まだ使っていないものだらけなのに、これでもかこれでもか、とさらに母親から追加されている。
ひょっとしてその頃の靴下、まだあるかも?
夕食は叔母さんの家でよばれて、同時に洗濯物も持ち帰りする。
部屋の掃除も叔母さんが来て時々してくれる。
夫の父の妹である叔母(姑の義理の妹)に、姑はいくらかの金銭を渡して頼んでいたようだ。
通常は、親から離れて一人暮らしをして、初めて身につく家事力。
息子を家事不能者にしたのは、母親である。
ああ、また、気分が悪くなってきた。
考えると、吐き気さえ覚える今日この頃。
夫は、「叔母さんのタンシチューがとても美味しかった」とよく言う。
じゃあその味を再現してみて、わたしに食べさせてくれたら?
そんなことは死んでもしない。
美味しかったから、あんな風にしてほしい、と願望、淡い期待を寄せるのみ。
ああ、これを書いていて、またまた喉に何か逆流しそうだ。
姑はわたしという嫁が現れ、家事や身の回りの世話などの一切をバトンタッチすることが出来て、こころの底から喜んでいた。
やれやれ、これで息子の世話から解放される、と。
・・・・・
もうこれ以上、書く気がなくなった。
最近は、逆噴射しても、噴射したものは、すっと体に静かに戻り、何食わぬ顔で、元の形態を崩さない。
怒って噴火し、さらに逆噴射しても、一瞬の出来事。
鬼の形相は、周りに知られないまま、また元に戻る。
何十年も前の過去まで引きずって同時に蘇るが、それで終わり。
アラジンの魔法のランプから大男が出てくるように、身体からすごく怖い顔の化け物のような大きな夜叉が出て、ガァルル〜と呻き喚いた後、元の身体に戻る。
普通に笑顔さえ出る。
現実に、夫の「学生、週末帰省洗濯お持ち帰り発言」は、文字数にすると、25文字。
静かに聞いて、何の反応もしなかったわたし。
反応が大きすぎて、こころの機能がストップしたようだ。
怒るというのは、こころが生きている証拠。
こころは、死んでいる。
痛くないから。神経が通ってないんだろう。
それはそれで楽である。
喧嘩にも発展しないし、今後にも影響を及ばさない。
だが、血が通わず壊死した部分を切っただけである。
切らなければ生命維持に支障を来たすため、切った。
それだけのことである。
早い話が、「諦めた」。
さらに良く表現すると「諦観」の心境である。
達観とは少し違うのだが。
実際には、爆発も噴火も起こらず、火山灰もかぶらず、都市機能も麻痺せず、安泰は維持されている。
一瞬、鬼の顔スイッチは入ったが、顔には現れず。
ただ、ひょんなことで、体調やら気分がやらがすぐれないときに、突然、前触れなく爆発するかも知れない。
夫はそれを知っていない。
わたしが伝えていないから、、、わたしのせいだ。わたしの責任だ。わたしが悪い。
でもそういう思考回路は、鬱傾向の危険性を孕んでいる。
なので、「夫は悪くない」とは考えない。
喧嘩両成敗。二人とも、悪い。
わたしは、別分野で帳尻を合わせているから、綱渡りはどうにか谷底に落ちずに(今のところ)渡れている。
しかし、できれば、逆鱗のツボには触れないに限る。
見て見ないフリ、聞こえても聞かない。
ブログに書いていたら、だんだん気持ちが収まってきた。
こころのバランスを取るには、ブログは最大の効果を発揮する。
(巻き込まれて読んだ方、ごめんなさいの気持ちです)