蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

モラハラとは対峙しない

2020-04-18 | 日々のこと
小学校、休校に加え、ついに保育所も休業。
近くに住む親は当てにされる。
しかもスープの冷めない距離は、スープだけでなく、子供も寝たまま運べる距離だ。
ちびっ子たちをぽいっと投入されるや否や学童保育&保育所に変わる。

きょうだい、ちびっ子が3人いたら、似たような年頃だし、親も家も環境も同じだから、ほっておいても遊ぶだろう、、、
という楽々子育ては、わたしの子供だけだった。
年子で3人、とても仲良く遊んでいた。
親から喧嘩仲裁や介入も、遊んであげたり、本読みもしてあげた記憶がない。
なにしろ、お互いに遊んでいて、年子は大変だけど、遊びに関してはなんと楽なんだろうと、いつも喜んで手抜きできた。
(教育は手をかけたが)
長女の強いリーダーシップと、下2人のおとなしい性格がマッチしていたようだ。

が、、、
長女の子供、ちびっ子3人。
バラバラで、それぞれ相手をしてあげなければならない。
小学1年にもなっているA(休校中に自動的に2年になった)まで、「ばあちゃん、こっち来て!これとこれ、どっちがいい?」とアプローチしてくる。
1年半年下の弟とは意見が合わず、別行動。
弟は、また全く違う1人遊びをしていて、わたしはフォローしている。
末子、女王様Cは、当然、一人っ子のごとく。
この子ら、めんどくさいわ〜。
1人に相手していると、別の1人はほったらかしになるし、なんでみんなで遊ばない?
わたしもニコニコ相手していたが、顔が段々疲れてきた。

(※ちびっ子たちは、わたしの大切な生き甲斐の一つだが、生き甲斐も棚からぼた餅というわけにはいかない)


自分の子供は楽だったかも知れないなあ、と今、振り返る。
というより、髪振り乱して余裕がなかったんだろうけれど。

末娘は、「おねえちゃんが死んだ夢を見た」と当時言っていたが、これは実はシリアスな事態だったのでは?
長女に、かなり抑圧されていたと思う。
長女は、「○○(次女)が大嫌いだ」とよく言っていた。
しかし、わたしは全然お構いなしになんの手も打たず時間が過ぎた。
姉妹は今も根に持つ部分もあるだろうけれど、仲良くやっているように思える。
上と下にギューギューに挟まれた軋轢(あつれき)のかたまり、長男は、遠くに飛んで行ったまま、帰って来ない。
さぞや清々しいだろうと思う。
父親(わたしの夫)の期待を押し付けられて、逃げたなあ、、、。

父親(夫)はそもそも、自分がそうだからといって、息子にも同じような道を背負わせるのは、どうかと思う。
息子に逃げられるのは、わたしも多少困るのだが、反面、逃げろ逃げろと応援している部分もある。

なんの疑問も持たず真っ直ぐ育った夫は、けっこうなお方なのだが、、、真っ直ぐをそのまま家族に押し付ける。
当たり前のごとく。
立ち止まって考えたり疑問を持ったりすると、親たちの敷いたレールから外れる危険性があるので、それはそれで良いのかも。
選択肢を持つことは、良いとは限らない。

考える余裕を与える前に、十二分に満たされ満足を与え続ける。
快適を提案し続ける。
本人は気づかないまま、手足をもぎ取っている。
自分で考える前に、常に一歩先の満足を与え続けられると、どうなるか?
ママはいつも他のことを考えなくてもいいように道を整備してくれる。
捻くれることなく真っ直ぐ、やるべきことだけをする。
それはそれで、満ち足りた人生だと思う。
疑問ばかり感じて、何にもしないより、疑問を感じずに、ばんばん、どんどん行動するほうがいい。
とは思うが、、、
アクセルとブレーキみたいなものか。
アクセルとブレーキは、分野によって役割交代になる。
両極端の性格が夫婦である場合、、、うまくいくこともあるし、いかないこともある。
両方あると、子供には良くも悪くも両面が見えて、いいんじゃないかと。
ただし、夫婦同士、お互いはどうなんだろう。
純正栽培された人は悪くはないが、全く柔軟性がなく、人の道を理解できない。
それはそれで、理解しないまま一生進めたら幸せなんじゃないかと思う。
人はお互い別の人間だから、接点部分があればよい。
違うということが判ればよい。
同化する必要はない。
自分とは違う人と暮らすんだから。

しかし、これまた眠っている子を起こされる瞬間がある。
ふいに逆鱗スイッチを押される。
怒りというよりは、哀しみ。
自分の全人格を全面否定されたような気になる。
これは、モラハラに繋がるのだろうが、する方は、モラハラという自覚が全くない。
された方が声をあげ、丁寧に説明し、啓蒙啓発すべきなのだが、もう相手をどうにか変えたいという、わたしの細胞が死んでいる。
赤から紫色になり、黒くなる手前。
このまま黒くなればよいと思っている。
自分にも原因があるし、解決策もよくわかっているが、行動しない。
サボりだから。気力がない。
外科手術はしない。
どんな腫瘍かよくわかっているが、腫瘍を抱えて生きていく。
時々、なんらかで痛むと収まるまでじっと待つ。

暗い人間だと敬遠されると思うが、誰しも陰の部分は持っていると考える。
自覚するかしないか。
自覚しないほうが、楽に生きられる。
周りは大変だったりすることもあるが、そんなことをいちいち考えていては、やってられない。
押したり引いたり、みんな協調しながら生きている。
365日、曇りひとつない太陽そのものの人も素晴らしいが、素晴らしい人には素晴らしい人が釣り合う。
100%ホンネで、腹黒の反対で、感情のまま生きている人がふと思い浮かんだ。
母だ。
あれで、思慮深い人なら鬼に金棒なのだが、ホンネ爆発で思慮深い、って逆ベクトルなので、凡人には無理かも知れない。
所詮、わたしは凡人から生まれたので、凡人の枠を出ない。
ではあるが、わたしは凡人礼賛。
いいじゃないの、凡人!

と、話がどんどん修正が効かないほど脱線している。
本当は、書きたいことがあるのだが、いくらなんでもここから、今から書くのは、憚(はばか)られる。
モラハラの具体的中身。
書いて発散しようとしている、、、が、また今度。
しかし、もやもや、している、、、