蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

結婚への道

2020-04-27 | 人生
若い人のブログを読むと、なんだか懐かしい。
そういう日もあったなあ、と。
自分はどうだったか、と振り返るキッカケにもなり、なんだかふわふわする。

わたしにとって、結婚は、人生の重要課題だった。
今もであるが。
まず、結婚したいか、したくないか。
次、誰と結婚するか。
さらに次、相手は同意しているか。

時期、相手のタイミングが一致しないと、どんなにドンピシャな相手であっても、結婚できない。
無理やりは、無理。

この時期でなければならない、、、は、あまり無いとしても
(女性には出産期限があるが最近は高齢出産の定義枠が変化しているようだ)
「この人でなければならない」
これが重要だ。

わたしの場合、この人がダメならあの人、あの人がダメならその人、、、と、ハイ、次、ハイ、次、ハイ次方式。
時期のほうを重視した。
なん歳までに、という、自分に課した目標。

けっこう、ワタワタしたが、自己目標は達成された。
どこに、重要ポイントを置くか。

現在の夫とは(と言っても歴代一名のみ)、結婚を決めた時は、おみくじで例えると、吉や中吉ばかりが続いて決め手に欠ける中、時間ばかりが過ぎて最後のあたりは焦って、合否結果を出すのにかかる時間は短かかった。
なにしろ自己設定目標の期日、期限まで、時間がないので、ハイ次方式は、スピードアップされていた。

次に進む基準は、ハッキリしている。
どう?わたしと結婚する?
とプレゼンの後の詰めの段階で、グズグズもたついた人は、カット。
待たない。
わたしは時間がないのだ。
あんたにゃ、構ってられん。

そういう感じで、最後ラストスパート3人は、結構真面目に面接した。
相手がプレゼンした後、はい、ではこれで、、、と〆の手拍子とは行かなかった。
わたしに、すんなり行かない、引っかかりがある場合があった。

相手は包み隠さず現在の事情を説明してくれ、それでもいいか?と聞かれ、誠実なお人柄は高得点だったが、わたしはまだ若く初婚だったので、少しでも気になることや、自分がクリアできないことがあると、うーん、、、と熟考の後、パスした。

「日本語が通じたらそれでよい」は、最低必須条件だったが、実はその他にもあった。
「自分と環境が似ていること」
価値観が似ているだろうと予測した。
同じ事をしているのに、捉え方が人によって違う。
見下されたり卑屈になるのも嫌、逆にバカにしたり見下すのも嫌。
同レベルだと、自然体の価値観で行けるかと考えた。
あるいは等価交換できるものもある。
あなたのコレと、わたしのコレ、替えっこしよう、と。
例えば、美しさと、頭脳を交換とか。(両方無いけど)
最低でも、男女間において、女性らしさと男性らしさの交換は出来るはず。(LGBT除く)
それと、「親」。
親を見るとその背景が分かる。環境が見える。
若さというキラキラしたものが無くなった後の姿は、歳を重ねた親の姿に現れる、と考えていた。

なので、整理すると、
日本語、環境、親。この三要素。
価値観を形成する過程は重要だと思った。
日本語は、本人同士のコミュニケーション度を測る大事なチェックポイント。
これに加えて、本人の好み。
檻から出されたパンダのお見合いみたいなもの。
究極のところは、好きか嫌いか。
どちらか一方に吸引力があるか、ないか。

気合いを入れて最後の3人にいよいよ絞られた。
本腰を入れて取り組んだ。
実際は、順番が最後、直近の3人だった。
それまでは、生半可な遊び半分。
理想ばかりのアタマでっかちで、本気とは言えなかった。
さすがに最後の3人は、状況や顔はよく覚えている。

そのうちの一人は、今思えば、選に漏れてよかった。
その人と結婚していたら、地域のゴタゴタに巻き込まれていたかも知れない。
(そうならなかったかも知れない)
もう一人の人は、真面目故に一度結婚にフライング、失敗している経歴を持ち、その釣り合いを取るマイナス点がわたしにはなかった。
わたしは、まだショーケースに定価で売られ、外のカゴに山と積まれたバーゲン品でもワケあり品でもなかった。

わたしが自分で決めた条件をひっくり返すような人とは結婚しようと思わなかった。
なので、仮にそういう人が現れていたとしても、結婚しなかっただろう。

上に這い上がるのではなく、下に落ちるのではなく、横滑りを目指した。
皆さん社会人なので、破綻したようなキャラや生活の人はいなかった。

価値観は「現在」だけを見ても、変化することがある。詳細部分は特に。
共通するのは大雑把な大まかな価値観で良い。
過去、現在と未来、両方予測できるような、そういう感覚で見ていた。
若いのに、かなりしっかりしているではないか、わたし。

10歳から15歳の時だけ頑張って礎を築いたが、あとは流れに沿うだけか。
結婚も大きな人生の選択分岐点だったが、まああんなものではないだろうか。
これぞ理想!というような本命を逃がして穴馬も逃がし、色々逃がしているのだが、最高の理想より、ちょっと落ちる程度がよい。
わたし自身が手抜き未熟人間だから、人に理想を求めるわけにはいかない。
全力投球は瞬間だけで良い。
ずっと全力では続かないし、必死になりすぎるより、余裕があるほうが楽。
来たボールを打つタイミングが大事。

若い人の結婚には、何も言うまい。
時代も変わっているし、女性も男性も変化した。
二人が良ければいい。
そして子育てしながら、また変わっていけばいい。
一人がいい、非婚希望という気持ちもよくわかる。
わたしがもし、やる気、根性があって自立していたら、お一人様かも知れない。
でも、自分は、過去形の人である。
頑張る時期は過ぎた。
今の世の中なら、わたしは完全に落ちこぼれだと思う。
若い皆さんは、大変だけど、あまり大きなことも望んでいないように感じる。
そりゃあ、多くの高齢者を若者が支えるのは、重すぎる。

と、話は、またまた脱線し放題。
いつまで経っても終わらない。
今日は銀行に行かなければいけないのに、、、

また、明日に延ばそうという、ダラダラ感。
このままコロナが過ぎても、一生、こんなかんじだろう。