Stay home!
は、homestayとはちょっと違う。
大いに違う。
大阪府の吉村知事の強い訴えにより、今、わたしは自宅軟禁されている。
あの美しいキラキラした目で呼びかけられると、(やや疲弊色あり)、自宅に留まらないわけにはいかない。
「大阪府は莫大な借金を抱えていて、橋下さんと松井さんと僕(吉村さん)で、少しずつ返しているところ」で、東京都のように、お金がないそうだ。
医療も補償もお金がたっぷりあってこそ出来ること。
「ですから、今は、何よりも、皆さんが出来ることは、自宅にいることです!」
難しく説明をし始めるとどうも吉村知事の口はモタモタする、か、あるいは「早口・事務的上滑り棒読み」になるとわたしは感じる。
美しい人は、口は立たないのが常。
顔だけでアピールできるから。
「顔で当選したんじゃないの?」と、娘の趣味悪ジョーク。
若く美しいと、余計なパンチをくらうようだ。
でもまあ、複雑な事情説明は専門家に任せ、若く美しいリーダーは、切に府民に心情論で訴える。
お金ないから仕方ないやん。
せめて、バタバタせずに被害を最小限にとどめてね。
という、無い袖は振れない論。
補償とセットに出来ない要請、苦しそうだが、それが現実だから。
というわけで、吉村さんに訴えられる前から自宅にいる、わたし。
長期入院のよう。
ところで、白浜アドベンチャーワールド生まれのシロクマ、神経をやられていた。
狭い檻の中で、行ったり来たりを病的に繰り返す。
かわいそう。
と同情しつつ、自分たちは動物園を楽しんでいるではないか。
かわいそうならビーフステーキを食べるな。
卵だってそうだ。
ふわふわスポンジケーキなどスィーツも。
じゃあ植物は良いのか?
キリがない。
地球を支配している者、人間の勝ちか。
忘れた頃に、自然災害などで猛威を振るい、神羅万象、全てのことには人間の力では及ばないことを見せつける。
話を戻す。
自宅療養中。ではあるが、病気ではないだけありがたい。
しかしながら、病気なら心身ともに弱っているから、自宅に監禁されても、さほどエネルギーは爆発しないだろう。
心身ともに健康なだけに、出口をふさがれると、詰まった煙突君が目を白黒させ真っ赤になるように、苦しい。
が、期間限定。頑張るしかない。
日頃、さぼっている掃除や片付け、やり始めると、残りの人生を全て使っても追いつかない。
もし、やり遂げてしまったとしたら、オー・ヘンリーの「最後の一葉」に見られるような、生きる活力の元を見失うかも知れない。→大げさ。
なので全部しない。タスクは残しておく。
とか言いながら、0.1パーセントのタスクも処理していない。
いつまでも死ねない。
というか、生きている間に、もっとこころの重みを軽減したほうが、爽やかになるだろうに。
生まれつきのナマケモノ気質は、コロナより強いようだ。
だが、あまりにも退屈で、掃除をした。ただし、ちょっとだけ。
ピカピカとは程遠い。
片付けものをした。ただし、冷蔵庫に貼り付けてある何年も前のメモ用紙を整理し、マグネットの位置を変えただけ。
きっと家族の誰も気づかないだろう。
だが、わたしのスッキリ度はスゴイ。
こんな小さなことで、こんなにスッキリするなら、、、と大断捨離を試みたりはしない。
菌とともに自分もろとも死んでしまう。
わたしは雑菌と共生共存している。
菌もわたしの一部なので、切り離せない。
(コロナ菌は遠慮、辞退するが)
毛布を洗濯してみたり、日頃しないことをゴソゴソやっている。
しかし、各人、住宅事情もあるだろう。
ちなみに、マイホームを買った頃、初めて実家の両親が遠路遥々、訪れた時。
父は家の中に入らず、敷地内の家の周り(外)をぐるりと一周しただけ。足で調査か?
母は、「なんと狭いダイニングキッチン!」と驚いていた。
さらに、当時、幼稚園年長さんの長女が伊賀忍者のように、廊下の壁と壁の間に両手両足を広げ、天井近くまでよじ登っているのを見て驚愕していた。
確かに、、、あれは、すごい。
そして、購入時は中古だったが、建て替えた時。
建築費を聞いて舅は、なんと高い!とびっくりしていた。
舅は市街地に一戸建て住宅やマンションを買ったり、実家の古い日本家屋を何度も修繕やリフォームしたり、その一角に新築住宅を建てたりと、家計をやりくりしながら、家をさわることが好きだった。
と言っても、独断で家族には相談無しだったようだが。
手堅い人だったので、同時に複数所有するのではなく、田舎から離れた文教地区に、最初は(たぶん)ローンで小さな一戸建て住宅を買い、それを売ったお金で次に住むマンションを買い、更にマンションを売ったお金で最後に住む終の棲家となる(といっても代々その地)実家の一部を新築したり、と、教育と仕事の両立を考えた地での住居を替えて行った。
なにしろ舅は、建て直した我が家が気になり、訪問日はまだかまだかと矢の催促。
荷物を入れて間もない(まだ荷解きされていないダンボールが山積み状態の)時に、舅姑は見学に来た。
今、思えば、舅は自分の残り時間が限られていたからだ。
訪問の半年ぐらい後に他界した。
で、残した一言。
「高いなあ」
姑の一言は、何言もあった。
トイレの色など、自分の年齢から見た健康に留意したマイナスの感想。
自分ならどうか、という目線。
二世帯住宅ではないので、そんな感想は胸の中だけで結構だ。
わたしの父は新築時はもうこの世にいなかったから感想は聞けず。
母は、どうだったか、、、?
あ、一つ、覚えているコメントがある。
ゴミ箱がプラスチック製の実用的な味気ないものだったのだが、それを見て、テイストに合ってないと指摘された。
確かに。
母は、インテリア空間と掃除に煩い。
一緒に家具工場に見学に行き、別注品オーダーをしたり、躊躇しているわたしの背中を押してくれた。
しかし、色々もっと大きな捉え方や感想もあるだろうに、また、なにそれ?とゴミ箱ピンポイント指摘で、転けそうだった。
新築するにあたって、住宅展示場のモデルハウスを色々見学した。
その中で、自分が将来、歳を取ったらこういう間取りがいいなあ、と思うものがあった。
設計時にはあまり老後を意識しなかったが、今、ぐるりと室内を見てみると、自分の理想の老後空間かも知れない、と感じた。
ただし、あと、20年後。
わたしの理想の老後は、20年ぐらい先にならないと訪れないという予感がする。
その頃は、自分の健康が気になって気になって、関心事は、それしかなさそうだ。
完全な健康オタクになりそう。
20年経つと今より衰えるのは必至で、健康が増進するわけがないので、20年後の自分を夢見るのもおかしな話だ。
でも、友人もいないし非社交家なのにもかかわらず、なんとなく、ぼわんとした、楽しい老後を思い描いているから不思議。
20年後にはコロナが終息していると多分思う。
(なんと悲観的な。もっと早く終息しているだろう)
有効ワクチンさえ出来れば怖くないわけで。
そんなに遠い日ではない。
今のまま友達もいない20年後は、コロナを気にせず雀卓を囲みたいなあ、と。
近所に麻雀する人いないか、今から探そう。
いや、対面しなくても、オンラインで繋がる麻雀でいい。
手元の麻雀牌だけ映して、ノーメイク、パジャマで髪もボサボサでも良いのが希望するところ。
それなら今でも出来ると思うが、楽しみはもっと後にお取り置きしよう。
と、話は逸れに逸れて。
楽しい自己満足の時間となりました。