蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

元恋人、元夫婦、今は?

2020-04-06 | ブログ
自意識過剰のせいで、非公開にした蝶ブログ記事、さきほど読んでみると悪くない。
また別の機会にアップしよう。
(その時はタイムリーな世の中の動きから微妙にズレて、炭酸の抜けたサイダーのようになる、、、が)

全くコロナには関係ないことを書く。
なぜ、今?  今日?  みたいな。
それなら非公開・時事ネタのほうがずっと適切だと思う。が、、、。
そうやって、gooのオマケ機能の御利益で、少しわたしのブログに関心を持ってくれたかも知れない人を意図せず肩透かしする。ワザとじゃないのに。
ああ、もったいない。

が、自分本意の動物脳で生きているので、その時の気分に左右される。

と前置きはもういいから。

ちなみに、
わたしは、ブログ村エッセイの注目記事ファンである。
そこにアップされる記事の中には、わたしと全く接点がない話題、生活、考えもあり、かなりわたしを面白がらせてくれる。
その中で、今、元恋人と暮らしている方のブログがある。
今、元恋人は、前は恋人だった人だそうな。
その感覚は理解できないと思っていたが、日本人に多い、さめた夫婦に当てはまると、今、ふと思った。
卒婚などとも謳われるようになり、元夫婦が、籍を抜かないまま一緒に暮らす行動として、認識されている。
ただ、卒婚は、熟年以降の世代に多く、次の相手を探す気力も魅力もない場合が多いと想像する。
エッセイブログの元恋人と暮らす人は、若い世代。
まだまだこれから、別の人とカップリングする可能性がある。
その兆しが現れた時に、元恋人とは別れるのだろう。
夫婦の場合でも離婚するかも知れない。

その一方で、次の新しい相手とカップリングするために別れるわけでもないケースもある。
相手が嫌いで、一緒に居たくない。
しがらみがいっぱいあっても、それを上回るほど、別れたい気持ちが勝つと、別れるのだろう。
迷って悩んで考えて出口が出なくなると、脳の導きではない方向から道が拓けることもあるかも知れない。

まあそれはそれとして。
不満はあるけど、仕方なく、別れにまでは至らないから別れない、、、そんなカップルは大勢いると思える。
そのうち、一緒に暮らしていると馴染んでくる、とか、情が移るとか、時と共に変化したりする。
若い世代なら、子供が出来たら、そのまま事実婚へと移行。
子供のために、それをきっかけに籍を入れることもある。
全て想像だけど。

知り合いの娘さん、息子さんは、二人とも事実婚。
籍を入れているのかどうか知らないが。
フランスなどは、事実婚も多く、事実婚カップルに向けた法制度も整えられているようだ。
日本でもLGBTカップル向けのフォローもされつつある。
それは昨今になってのこと。
わたしのように、昭和世代の中でも、古い価値、慣習にがんじがらめにされた状況で暮らしてきた人間にしてみると、なかなか頭のスイッチがすんなり切り替えられない。

アタマでは新しい波を柔軟に理解しているが、自分の古い価値観は根強くカチカチの石のように、溶けずに存在している。
「今時の若い人」や「海の向こうの話」なら、そんなものだと理解できるが、自分と同世代の人のこととなると、自分とは深い溝を感じる。

その知り合いはわたしと同世代なので、その娘さん、息子さんは、わたしの娘、息子と同世代。
同棲から事実婚へと、二人とも移行しているが、その親も、同じ経緯。
わたしとは価値観の違いを感じる。
まあ、仲良く結婚生活を送っているのなら、あるいは、仲悪くても、わたしとは何の関係もない。
自分の気持ちや考え方、感性を自覚するには、サンプルの一つになる。
自分はどうか?どう思うか?どうしたいか?
はっきりわかって、それで良し。
道が違うということがわかれば良い。

話が、どどーんと逸れて、読んでいる人は、そろそろ流し読み終了地点かな、と、スタンバイしているかも知れない。
(あるいは、とっくに、もういない)

根っこを辿れば、結婚は、わたしは犬や猫と同じようには考えていない。
社会の枠組みの一つであると捉えている。
外側より中身が大事とは言っても、わたしにとっては外側は外せない。

じゃあ、卒婚は?
なんだかだんだん書く熱がトーンダウンしてきた。
本音と建て前が交差するゾーンは、扱いがめんどくさい。
立派な建て前を書いても何の面白みもない。
かといって、本音を書きまくってストレス発散かというと、そんな時期は過ぎた。
なりたい自分像、みせたい自分像というものがある。
(しかし、気分次第)

なので、ここで、自己チューブログは終了します。
長文スキップ読解のお役に立てたでしょうか。