蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

興味深いファミリーヒストリー

2020-04-29 | 人生
わたしはNHKテレビ人気番組「ファミリーヒストリー」の大ファンである。
一昨日は神田伯山。超人気講談師。36歳。
面白かった。

すごいルーツなのだが、本人がその断片なりを微塵も知らないことが興味深かった。
遠縁の親戚たちも、神田伯山が親戚だったなんて知らなかったようだ。
100年近く前の、うんと前のおじいさんは、世界を股にかけた伝説の柔術家で現地でも結婚し子供たちを5人?もうけ、南米にも血の繋がる親戚がたくさんいる。

まあそれはよいとして。
明治初期に180センチもある立派な体格の格闘家が外国を渡り歩き実績を残すのはスゴイことである。
隔世遺伝して何代か後の子孫は、その道に秀でていたようで、伯山さんのお父さんもそのうちの一人だったようだ。
素晴らしい身体をしていた。

だが、若くしてこの世を去ると、子供たちには何も伝えていない。
仕方ない。
子供たちも父亡き後に、傷を癒すのもままならないその上に、自分たちを立て直す方に力を注がざるを得ない。
過去を振り返るのは、余裕があってこそ。

ちなみに、小学4年?の時に父親を亡くした伯山さんの顔は、それまでは明るかったのに、能面みたいになったそうだ。
わたしもその頃の自分が映った写真を見ると、暗い顔をしているものがある。
感受性の高い頃に受けた衝撃は、大きな影を落とす。

おそらく想像では、埋められない空虚感から一日も早く、父がいなくなった虚無の代わりになるものを探し続けていたことだろう。
だから、仮にいなくなった人に関して知る機会があったとしても、あえて父親のルーツなどは余計に耳を塞ぎたかったのではなかろうか。

登場人物の皆さん、恋愛結婚。
職業も自らの力で手に入れ、家庭も築いて素晴らしい。
特に武士だった人は明治以後は職業自体がなくなったわけだから、激動の時代に生きることになる。
身分がなくなるのは貴族もそうだが。

田舎から単身出てきて身を起こすのはやはりそれなりのDNAルーツが起因しているかも知れない。
淘汰される中で生き残る強いDNAだろう。

江戸から明治に変わるあの頃。
実感としては想像できない。
(わたし自身に関しては当時のモノが現存していてリアルに時代を物語るが)
100年以上経つと、伝える者がいないと、伯山さんのように、全く知らない子孫がザラにいる。
過去は遠くになりにけり。
だが、DNAはどこかに繋がっている。
一人の人が欠けても今の自分は存在しなかったわけで。

栄枯盛衰があり、時代を経て今日に至る。
廃れて消えることはよくある。
その時代時代の登場人物は一人限りなので、何代も何代も一人で生きたら怪物モンスターである。
自分が生きている時代をどう生きるかなんだろう。

余談であるが、伯山さんのひいじいちゃんが、幼馴染と駆け落ち同然で東京で同棲していた時の師、徳冨蘆花に宛てた手記が紹介されていた。
「自分は女を作り、、、云々かんぬん」
生めいているなあ、、、。
作るのか。女を。
しかし男を作る場合もある。
猫は作れない。犬も鶏も牛も。
哺乳類同種の異性に関してだけ、作ることが出来るのか、、、感慨深い。
まあその幼馴染の明治初期のおばあちゃんが、世界的に柔術で活躍した大男の娘だったわけだから、ルーツとしてはとても重要ポイントである。
おばあちゃんも17歳で故郷を飛び出すにはワケがある。
このお父さんは、結婚して一男一女をもうけたにも関わらず家族には何も言わずに外国に失踪してしまったわけだから、残された家族(当時、長女6歳?長男推定3歳ぐらい?)は苦労したようだ。
(昭和15年に一度来日して父娘は対面したらしいが、昭和22年に69歳で他界。1947-69=1878生まれ)
明治初期の生まれか。
子孫によると、当時、家業のトラブルで責任を感じていたのではないかという憶測もある。
いずれにしても父親が失踪後は残された母や家を助け頑張った娘さんは、その頑張りDNAがあったおかげで、男に「女を作った」と表現される「男に作られた側の受動態の」女は、当時稼ぎがない夫に代わり乳飲み子を抱えておでん屋をしたりして子孫を残したわけだ。
しかし、彼女は後に夫になるにしても、男性に「作られた」わけ?
なんだかねーー。
そういう言い方、どうにかならん?
神経がササクレる、、、

まあいい。
そのおかげで、伯山さんがいる。

女(妻)を作った、ひいおじいさんの息子は、不運の人生だったようだが、そのまた息子(伯山さんの父)は、しっかりして兄弟の学費を工面したりしたとか。

※他にも詳しく正確なブログや番組内容紹介がたくさんあるので、ググってみてください。

お母さん方のルーツは時間切れっぽく、あまり紹介されなかったが名家だそうだ。

なんでもそうだが、美談がある一方で影の部分、光の裏には闇がある。
成功する人にはその分、苦労も大きい。
アップダウンの幅が大きければ大きいほど落差が大きい。
「平凡で名もなく貧しく美しく」は、それはそれで素晴らしい。

ちなみに、姑が晩年言うには、取り立てて目立つプラスではなくても、マイナスでなければ上出来だ、と。
これは、栄枯盛衰を経験しなければ当時一代ではピンと来ないだろう。
人間は一代しか生きないから。
何代にも渡って生きたらオバケだ。

過去があり現在があり、さらに未来がある。
当たり前のことなのだが、目の前のことしか見えない、振り回されるのは当然のこと。
良いにしても悪いにしても、必ず未来はある。
自分の代で終わりだとしても、生きているその代の人にとっては同じ長さなんじゃなかろうか。
次世代に繋いだ人も早死にすることもあるし。
自分はどう生きたいかを過去を通して未来を想像するというのも、なんだか楽しい。
もちろん、楽しくない人もいるだろうけれど。
命あってこそ。

わたしは歳のせいか、ごくごく当たり前のことにも感動するようになった。
自然のエネルギーには特に。
科学の力にも驚く。
人は科学では作り出せないが、生命倫理を脅かすような科学技術も誕生している。
なんでも、あまりやりすぎは、よくない。
そこそこがいいなあ、と。

伯山さんは、自分が人気が出て社会的に認められたからこそ、NHKが総力を挙げてルーツを調べあげてくれた。
普通にしていたら、一生知らず終いだったかも知れない。
そのあたりは、自分にご褒美。プラスのスパイラル。
また一段ステップアップの糧となることだろう。