蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

自分一人では何も出来ない

2020-04-02 | ブログ
8年前の自分のブログ記事を読んだ。
どなたかが、えらく古いところから引っ張り出してきて読まれたもの。
最新の既読履歴から辿った。

内容は、今と同じ。 
考えも、感性も。
当たり前だ。
よほど大きな出来事でもない限り、人間、8年ぐらいではそう変わらない。
ただ、少しだけ、文体が変わっている。 
今より、ほんのちょっぴり、お行儀が良いように感じる。
周りに自分がどう映るか、気にかけているような、小さな配慮のようなもの、小心者、臆病な一面がチラリと見える。
出来れば一人でも自分を受け入れてくれる人がいたらいいなあという、迎合型の淺ましい魂胆が(一生懸命で健気でもあるが)透けて読み取れる。
(というか、まだブログを始めたばかりで遠慮がち。
初々しいところでもある)
が、厚かましく無神経気質が強い中では、ナイーブ路線は埋もれてしまう。
多分、書いているだけで、あまり気にしていないのだろう。

ただし自分比。
当時は大きくカールしたセミロングのヘアスタイルが、今はカールはやめてナチュラルにしたような感じ?
今では、どかんと太った可愛げない太々しさと、枯れて動けなくなった骨スカスカで脆く柔軟性の無さが同居しているかも。
あくまでも自分比。
これを「老化型自己肯定」とも言う。

まあどうでもよい話。
話はころっと変わり、、、
今朝もブログからステキなドイツの風を受けスタートした。
コロナ事情は世界同時であるが、個人のこれまでの生活は、個々にそれぞれある。
それにしても、風景写真の美しいこと。
色彩とバランスが、たまらなく好き。
文章よりも写真のほうが、訴えるものはストレートだ。
文章が加わると、鬼に金棒。
音、ミュージックもそうだとしたら、、、舞台やミュージカルは臨場感、そしてなんでもありの映画はそりゃあスゴイに決まっている。
そんなスゴイものを観ながら居眠りする人もいる。
人それぞれの感性だ。

と、それはさておき。
今日のドイツブログに書かれていた内容。
自分の力でなく周りのおかげで成功した人が、自分だけで何かをしたいと決心して行動に移した人。
規模や才能や人間性はまるで違うが、わたしと共通点を感じる。
自分自身では何も出来ない。
出来ることと言えば、支援する側、サポーター役。
頑張っている人を応援することぐらい。

自分では大して何も出来ないから、有料アテンダントの助けを借りる。
ボランティアの助けを借りるには、あまりにも厚かましすぎる。
自分がボランティアになる立場なのに。
(障がいのある場合や、困窮している人を助けたり、復興、復旧などは今は、ちょっと横に置いて)
お金を目的としない有志の助けを受けることこそが、その人の人間性を物語っているように思う。
ボランティアさんは、アカの他人である場合もあるだろう。
家族や友人、知り合いであることもあるだろう。

わたしは、どうなのだろう?
「家族」という、必要最低限の無料ボランティアを確保しているに過ぎない。
ビジネスではなく、趣味や遊びの場合は、無料と有料。
あとは、何をするにも、ほとんど有料。

だとすると、無料で動くということはかなり意味がある。
例えば、自治会活動、PTA、、、
趣味の会、サークル運営、同じ理念の人が集まり活動する会、、、、、

よく言われるのが、「1円のお金にもならないのにやってます」。
お金を得ることが目的ではない。
あまりにも支出ばかりでは破綻するので、ほどほどにバランスを取る。
予想外にお金を得たら、またその次の運用なり運営なりの手を打つのだろう。
最初から儲けを予測して動くのがビジネス。
やはり、ビジネスと非ビジネスは違う。
営利か非営利か。
しかし、綺麗事ばかりでは世の中、回っていかない。
生活がある。

自分は、台風の目の中にいるようにも感じる。
周りは激しく動いているのに、自分だけは、凪のように、ぴたっと静止している。
そんな感じかなと。

ある人に、つい最近、わたしは人ばかり観察して評論して、自分は何もしない、出来ないじゃないか、と、批判された。
ぐうの音も出ず、まるでその通りだった。
評論家は、皆んなの前で評論すると必ず、ブーメランが飛び返ってくる。
ひっそり、密やかに自分の胸の中だけで評論すれば良い。
にもかかわらず、ブログを書いたりして自分のこころの中では収まりきれない。
収まり切れない分に対し、非難を浴びる。
出る杭は打たれるのは、当たり前。

だとすると、自己防衛対策としては、開き直ると良い。
はい、そうですが、それがどうかしました?と。
「わたしを非難しているあなたこそ、わたしの目から見たら、どうしようもない欠点の塊です」
ただし、口に出しては言わない。思うだけ。

完璧な人などいない。
完璧であると自負しているとしたら、すでにそれで落第、失格。
自負してないとしても、完璧な人はいない。
どんな立派な人でも、自分一人で出来きないことはたくさんある。
それぞれ、完璧でない人が支え合って成り立っている。
と、自分の欠点を自分でフォローしよう。
でなければ生きていけない。

今日のブログ、なんだか、ぐるぐる回っただけで、わたしの頭の中に、印象に残るのは、美しいドイツの風景だけだ。
毎日、目とこころに、(無料なのに素晴らしい)贈り物を届けてくれて、いつもありがとうと思う。